10日は、静岡市立竜南小学校の同窓会でした
今年の初めから、ずっとずっと楽しみにしていたけれど、我がクラスはたったの7人の参加。
他のクラスは半分くらい参加しているところも。
途中で同級会を開いているかいないかの差のようです。
8月にあった中学の同級会のときにも思ったけど、
参加する人、しない人の違いは何でしょう?
遠い、近いは関係ないと思う。
実際、私も名古屋から行ってるし、横浜や富山からだって来てた人はいるし。
まあ、実家が引っ越してたり、友達のツテも途中で途切れて、
連絡の取りようが無かった人もいるけれど。
もっとたくさん集まると思っていたので、とても残念です。
でも、数人でも、懐かしく、会えた喜びは変わらず (他クラスの子達とも)
手をとり合い、ジャンプして歓喜
すっごく綺麗になっていたYちゃんは、みんな分からなかった。
彼女は、「ある数人の男の子達にいじめられていたから、
今日来ていたら、一言言ってやろうと思ってたのにー 」
と、明るく言ってました
我がクラスには、ヤンチャな男の子がかなりいました。
4,5,6年生と、3年間同じクラスメイトのままなので、クラスごとの色の違いがはっきり出ていました。
同窓会の最初に、一人ずつ、近況や小学校時代の思い出を発表していったのですが、
そこで改めて、クラスごとに思い出が違うことに気付きました
行事がたくさんある学校だったので、行事に関しては同じ思い出があるけれど、
日々の授業に関して、私はあまり思い出がないことに気付いた。
そういえば、優等生クラスの授業を見学に行った時の事を思い出したけど、
あんな活発な意見交換する授業、我がクラスには無かったな・・・。
でも、楽しかった小学校時代
本当にたくさんの行事が詰まった学校でした。
今から思うと、先生方の苦労は並大抵ではなかったでしょう。
先生もお二人参加され、当時のお話をしてくださいました。
その当時、竜南小学校は創立まもなくて、
教育方針が、全国の先生の憧れの学校だったそうです。
(生徒の私たちはそんなこと全く知らず)
赴任された先生方は、希望と意欲に満ち溢れていたということでした。
『創る喜び、学ぶ楽しさ』
校歌にも出てくるこの言葉が、まさしく学校の教育でした。
自分達の手で田植えをし、収穫をし、収穫を祝って祭り(竜南祭り)をします。
おみこしを、班ごとに、1年生から6年生までみんなで手作りし、町内をねり歩きます。
その時に着る ハッピ も、自分で米袋にデコレーションして作ります。
前夜祭もあって、これもまた手作りのぼんぼりにろうそくで火を灯し、
ちょこっとお化粧をして、夜、学校に集まります。
屋上から、火の塊が下りてきて、大きな焚き火に点火する
といった大掛かりなイベントもありました。
『竜南太鼓』といって、酒樽を太鼓にしたものを全員でたたいたり・・・。
語り始めたら、止まらないくらい竜南祭りだけでも思い出は尽きません。
(「酒樽探しなど、私たちも色々と大変だった」と母)
その他の行事は、
6年生の夏に、伊豆の戸田の海で、2kmの遠泳をします
修学旅行はなく、この林間学校がその代わりです。
遠足は、学校からずっと歩きで、標高1000mの竜爪山を登ります
遠足というより本格登山です。
今、健康なのは、この時鍛えられているからかもしれません。
5,6年生で行くキャンプも、重い荷物を背負って山登り。
そのキャンプの練習で、4年生の時に、学校にお泊り体験をします。
それも、ただお泊りだけではもちろんありません。
先生方がお化けになって、校舎内に潜み、肝試し大会をします。
2,3人のグループで行くのですが、真っ暗な校舎はそれだけで恐い
音楽教室から、ピアノの音が ♪ポロロン♪ と鳴って、
お化け(先生)が、「わあーっ」って出てきたら、もう恐怖がピーク
コースを外れて、ショートカットしてギブアップ
(確かいつも威勢のいいK君が一緒に行ってくれたけど)
今思い出しても怖い。
こんなことしてくれる先生って、今いる?
お正月には、大きなすごろくや、福笑いを校庭に作ってくれて、
竹馬や、羽根突きなど、日本古来の遊びをみんなでしたり、
学校の花壇の柵を、生徒のデザインで手作りしたり、
まだ新設で、荒れている校舎周りの土地の石ころやガレキ拾いもしたなあ。
通信簿もテストも無かったなあ。
こんな学校、今ではありえないでしょ。当時でも他にはない。
この年になって初めて気付いたわけではないけど、
改めて、竜南小学校に通えたことを幸せに思いました
今回参加しなかった同窓生には、このことを是非伝えたいな。
今年の初めから、ずっとずっと楽しみにしていたけれど、我がクラスはたったの7人の参加。
他のクラスは半分くらい参加しているところも。
途中で同級会を開いているかいないかの差のようです。
8月にあった中学の同級会のときにも思ったけど、
参加する人、しない人の違いは何でしょう?
遠い、近いは関係ないと思う。
実際、私も名古屋から行ってるし、横浜や富山からだって来てた人はいるし。
まあ、実家が引っ越してたり、友達のツテも途中で途切れて、
連絡の取りようが無かった人もいるけれど。
もっとたくさん集まると思っていたので、とても残念です。
でも、数人でも、懐かしく、会えた喜びは変わらず (他クラスの子達とも)
手をとり合い、ジャンプして歓喜
すっごく綺麗になっていたYちゃんは、みんな分からなかった。
彼女は、「ある数人の男の子達にいじめられていたから、
今日来ていたら、一言言ってやろうと思ってたのにー 」
と、明るく言ってました
我がクラスには、ヤンチャな男の子がかなりいました。
4,5,6年生と、3年間同じクラスメイトのままなので、クラスごとの色の違いがはっきり出ていました。
同窓会の最初に、一人ずつ、近況や小学校時代の思い出を発表していったのですが、
そこで改めて、クラスごとに思い出が違うことに気付きました
行事がたくさんある学校だったので、行事に関しては同じ思い出があるけれど、
日々の授業に関して、私はあまり思い出がないことに気付いた。
そういえば、優等生クラスの授業を見学に行った時の事を思い出したけど、
あんな活発な意見交換する授業、我がクラスには無かったな・・・。
でも、楽しかった小学校時代
本当にたくさんの行事が詰まった学校でした。
今から思うと、先生方の苦労は並大抵ではなかったでしょう。
先生もお二人参加され、当時のお話をしてくださいました。
その当時、竜南小学校は創立まもなくて、
教育方針が、全国の先生の憧れの学校だったそうです。
(生徒の私たちはそんなこと全く知らず)
赴任された先生方は、希望と意欲に満ち溢れていたということでした。
『創る喜び、学ぶ楽しさ』
校歌にも出てくるこの言葉が、まさしく学校の教育でした。
自分達の手で田植えをし、収穫をし、収穫を祝って祭り(竜南祭り)をします。
おみこしを、班ごとに、1年生から6年生までみんなで手作りし、町内をねり歩きます。
その時に着る ハッピ も、自分で米袋にデコレーションして作ります。
前夜祭もあって、これもまた手作りのぼんぼりにろうそくで火を灯し、
ちょこっとお化粧をして、夜、学校に集まります。
屋上から、火の塊が下りてきて、大きな焚き火に点火する
といった大掛かりなイベントもありました。
『竜南太鼓』といって、酒樽を太鼓にしたものを全員でたたいたり・・・。
語り始めたら、止まらないくらい竜南祭りだけでも思い出は尽きません。
(「酒樽探しなど、私たちも色々と大変だった」と母)
その他の行事は、
6年生の夏に、伊豆の戸田の海で、2kmの遠泳をします
修学旅行はなく、この林間学校がその代わりです。
遠足は、学校からずっと歩きで、標高1000mの竜爪山を登ります
遠足というより本格登山です。
今、健康なのは、この時鍛えられているからかもしれません。
5,6年生で行くキャンプも、重い荷物を背負って山登り。
そのキャンプの練習で、4年生の時に、学校にお泊り体験をします。
それも、ただお泊りだけではもちろんありません。
先生方がお化けになって、校舎内に潜み、肝試し大会をします。
2,3人のグループで行くのですが、真っ暗な校舎はそれだけで恐い
音楽教室から、ピアノの音が ♪ポロロン♪ と鳴って、
お化け(先生)が、「わあーっ」って出てきたら、もう恐怖がピーク
コースを外れて、ショートカットしてギブアップ
(確かいつも威勢のいいK君が一緒に行ってくれたけど)
今思い出しても怖い。
こんなことしてくれる先生って、今いる?
お正月には、大きなすごろくや、福笑いを校庭に作ってくれて、
竹馬や、羽根突きなど、日本古来の遊びをみんなでしたり、
学校の花壇の柵を、生徒のデザインで手作りしたり、
まだ新設で、荒れている校舎周りの土地の石ころやガレキ拾いもしたなあ。
通信簿もテストも無かったなあ。
こんな学校、今ではありえないでしょ。当時でも他にはない。
この年になって初めて気付いたわけではないけど、
改めて、竜南小学校に通えたことを幸せに思いました
今回参加しなかった同窓生には、このことを是非伝えたいな。
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