撮影日2019年10月20日
酒田市に遊廓が置かれていたのは「今町」「船場町」「高野浜」の三ヶ所。『さかた風土記』によれば、江戸後期に三つが出そろい維新を迎えたが、明治二十七年の庄内大地震によって船場町は衰退。今町には料亭と芸妓だけが残り、妓楼は高野浜に引き移った。この頃から高野浜は「新地」と呼ばれるようになった。
『赤線跡を歩く』完結編より
↑『赤線跡を歩く』と同じ位置から撮影。
新地は現在の南新町一丁目にあたり、日和山公園の西北側の一帯を占めていたらしい。
建て替えられているものの、妓楼当時の屋号を引き継ぐ旅館が何軒かあり、料亭も一軒だけ営業している。大正五年には妓楼三十四軒に娼妓百〇四人、芸妓三十五人と大きな遊廓だった。
↑現「松美屋旅館」。旧「海望楼」
旅館のご主人の話によると旅館内は改装済みで遊廓時代の名残は殆んど残っていないとの事。
↑妓楼当時の看板「海望楼」を掲げています。
↑今回宿泊した現「松山旅館」。旧「松山屋」
※遊廓時代の名残が多く残る貴重な内部は次回紹介予定です。
↑「西村屋旅館」。旧「西村屋」
昭和5年に発行された『全國遊廓案内』によると、酒田町にあった遊廓の屋号は、
小川屋、門眞樓、福田樓、常盤家、藤美屋、綠屋、越後屋、群芳樓、櫻屋、吾妻屋、松村屋、本五樓、柿崎屋、吉田屋、出島屋、西村屋、明園樓、藤屋、下總屋、喜楽亭、海望樓、翠峰樓、松山屋、北海樓、一笑亭、美咲屋、宮崎樓、眞田屋、五十嵐屋、清月、高砂屋等である…
と紹介されています。
撮影日2019年10月20日