【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 17  写真は 清滝寺への遍路道での古仏

2023-01-20 00:37:41 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(17日目・5月7日) ホテルSP~35番札所 清滝寺~三陽荘~36番札所 青龍寺 
           いよいよ足摺に向けて歩きだす。そして様々な出会いと、
         懐かしい風景。
 6:00起床、準備、朝食→8:40発→11:20 35番札所 清滝寺(きよたきじ)
12:15→16:10三陽荘→16:30 36番札所 青龍寺(せいりゅうじ)16:55→17:05三陽荘
泊り

 晴れ後快晴。本日怒涛の歩き2日目。昨日の道迷いのおかげで本日はスムーズに歩
けた。とはいえずっと県道、国道の交通量が多い道路で、あまり快適ではない。やが
て仁淀川、清流で自転車遍路の時はしばらく橋上で止まって、上から川で魚を取って
遊んでいる子供たちを見ていたの思い出す。10:00前に仁淀川大橋を渡り順調だった
が土佐市の街中に入ってからが大変。
(仁淀川大橋を渡る)
(仁淀川は河口近くでも清流)

 遍路道の案内看板がほとんど見当たらず、山の中腹に清滝寺は見えてはいるのに。
地元の人に道を聞いて11:20に何とかたどり着いた。標高100m程度の遍路道を登った
ところの山門では、私と同年配と思われる男性が石段の掃除をしておられた。先方か
ら、
 「どこから来られました?御歳はいくつですか?通し打ちですか?」
 しばらくいろいろと話していると
 「私は、徳島で仕事をしていましたが、この寺が好きでこちらへ移ってきま
した。」
 とのこと。清滝寺には平和観音という新しいけれど立派な観音像が境内に建立され
ている。その観音像の後光が太陽の当たり具合で黄金に輝くという。今日は天気がい
いから見られると思う、と言われるので見に行くと、なるほど時計でいうと1時から
5時くらいの部分が太陽の光を反射させ、黄金に輝いているように見える。お礼を言
い、これからの通し打ちの予定を言って、青龍寺を目指した。お詣りを済ませ、平和
観音様の後光を見て、境内で佇んでいるとしばらくすると男性が再びやってきて、
 「お遍路さん。無理には言いませんが、失礼かもしれませんが青龍寺までお送りし
ましょうか。私は足摺の金剛福寺まで、お送りしたこともあるんですよ。」
 と、言われた。清龍寺までは15Km以上ある。しかし、車に乗せていただくという
のは遠慮してもいいことになっているので、丁重にお断りした。仕事はリタイアされ
ているが、遍路との触れ合いをとても大事にされている。思いやりに感謝。
(清滝寺山門にて)
(清滝寺の境内)
(清滝寺の平和観音。後光が金色に?)
(清滝寺境内から土佐市街、土佐湾遠望)

 青龍寺を目指して土佐市街を抜けると、また遍路地図に悩まされる。地元の方に道
をお聞きして確かめつつ歩いていると、後ろから40代前半位に見える歩き遍路さんが
追い付いてきた。彼も道悩まされの“ご同病”やはり北が上になって書かれていないと
イメージが大きく狂う。お互いマイペースで、というルールーを守りながらも、しば
らくの区間同行した。島根県からきて明後日までとのこと。今回は室戸半島東側の番
外霊場の鯖大師のある鯖瀬からスタートして、全部歩き通しているとのことで大変御
健脚。やはり山が好きで中国山脈はほとんど踏破しているそうだ。私は大山と蒜山、
それと近畿圏かもしれんけど氷ノ山、扇の山などと話も弾んだ。ずっと県道を歩いた
が、塚地の休憩所から彼は山道の峠越えというので、そこで別れた。謙虚で優しそう
な人だった。私の“通し打ち作戦”を話していると、参考になります、と言ってくれ
た。
 やがて、土佐市も南西の端となる宇佐町に入り宇佐大橋を超えて本日宿泊の海辺の
三陽荘に着。立派な旅館だ。荷物を置いて、先に近くにある青龍寺に参る。古刹であ
った。
 
(青龍寺への遍路道にて)
(青龍寺山門)
(青龍寺の民衆の歴史を感じる境内)

 観光地にもかかわらず、摩耗した古仏が寺に落ち着いて並んでいる。清滝寺は
清滝が落ち、宇佐町のシンボルは青龍寺の名前にあるように Dragon で、青龍寺にも
竜神が祭られている。竜は水神のシンボルで、この地方は雨水が少なく、雨乞いなど
で寺が在所のコミュニティセンターだったのだろう。お参り後三陽荘に戻り、宿泊の
チェックイン。
(本日の宿泊所 三陽荘の立派な夕食の一部)
            (本日、45,511歩。  すべて歩きで、31,8Km)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 18 写真は横波スカイラインからの太平洋

2023-01-19 13:21:15 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(18日目・5月8日)三陽荘~須崎市 ホテルバンダガ  横波スカイライン、
         たぶん古道の名残か、古仏に護られている道を歩く
 6:00起床、朝食→8:15発→ひたすら横浪半島の横波スカイラインを歩き→須崎市ホ
テルバンダガ

(三陽荘から朝の土佐湾、太平洋を望む)
(三陽荘の豪華な朝食) 

 快晴夕方から小雨。本日、怒涛の歩き3日目。昨日詣った青龍寺の参道を過ぎれば
登り坂で、その後標高100m~140mの尾根道を歩き続ける。この道は横波スカイライ
ンで足摺に向かって右手は宇佐から続いている浦ノ内湾で左手は遠大な太平洋。断崖
絶壁に白波が押し寄せている。大型連休最終日の日曜日で、観光客も随分と少なくな
ってしまった。坂道を登り切ったら小さなアップダウンの繰り返し。遍路道はこのス
カイラインともう一つは浦ノ内湾をはさんで対岸の県道23号とコースが分かれる。自
転車遍路の時は23号を通ったので今回は観光客の多さに少し躊躇はあったけれど、い
ろんな遍路道をとの思いから古道かどうかも分からないけれど、横波スカイラインと
した。距離はさほど変わらない。
(横波スカイラインから太平洋を望む)
(浦ノ内湾側も海辺には道はない)

 歩き出すと、ゴールデンウィークというのに車が少ない。逆に心配になってくる。
それでも地元のバイクの走り屋さんがツーリングやサーキットで結構走っている。こ
ちらが右カーブ対面が左カーブで山などで前方が見えない場所では、バイクも結構倒
してインをカットして入ってくるから音がしたら突然鉢合わせのようになって何回か
ヒヤッとした。うち、一人はバイクを立て直したときにちょっと見ると高齢の人に見
えた。しばらく行くとちょっとした駐車場兼展望所のようなスペースがあり、移動式
の屋台のような売店が出ていた。おばさんが店番をしており、ジュースを買った。
おばさんから話しかけられた。
 「お遍路さんやってはるんですか、おいくつですか」
 私
 「73です。」
 「へえ、えらいですね。私は74才ですわ。車では何回か回ってますけど。」
 「ほんなら、イノシシですか。」
 「いや、ネズミの4月生まれで、このまえ74になりましたんや。」
 私と同じ1948年生まれだった。おばさん、NO WAR のゼッケンみて訪ねてきたの
で、戦争絶対反対と書いてます。というと盛んに本当ですね、うちのおじいさんも戦
死してるんです、と話してくれた。
(駐車場にある売店。移動式?)
(道のあちこちに、古仏が祀られている)

 先ほどのバイクの走り屋さんはこちらの方へ戻ってきては屋台のある所でUターン
して、再び走り出している。どうやらこの場所と宇佐町寄りのスペースでのUターン
でサーキットしている様子。その2人組の人たちが何回目かのUターンの時にバイクを
止めて、屋台の方へと近づいてきた。フルフェースのヘルメットを取ると、結構年配
の人だった。見た感じは60才代に近い50才代か。そうか、今日は日曜でサンデーライ
ディングを楽しんではるんやな。だけど、歩行者フレンドリーでお願いします。
 さらに歩いて、次の広い駐車スペースやトイレのある武市半平太像広場で小休止。
(土佐の偉人。すごい!!)
(武市半平太はここで太平洋を睥睨している)

 南国市で武市半平太の生家があったけれど、像はやはり太平洋を睥睨するの場所が似
合うのか。
 スカイラインを歩いて思ったけれど、ひょっとしてこれは遍路道の古道として使わ
れたのではないか、と思った。何しろすり減ったような古仏があちこちにある。そし
てわれわれの先祖は道を作るときに、海辺、川辺、つまり遍路(辺路…同意の字
変)、山では鞍部(山越え)、尾根筋(見晴らしが効く)とか理由があるが、ここは
海辺は断崖絶壁で不可能、浦ノ内湾沿いも断崖絶壁が多く、今でも在所や集落はほと
んどない。
 やがて、スカイラインも平地に降りて、浦ノ内湾の最奥部で県道の遍路道と合流し
て、遍路小屋や休憩所のある所を過ぎ、須崎市街地に入り、本日の宿泊場所ホテルバ
ンダガ着。明日は鉄道、バス使用で、岩本寺と足摺岬の金剛福寺へ。
(浦ノ内湾最奥部の地。ここからほぼ平地を須崎市街へと)
            (本日、43,926歩。  すべて歩きで、30,7Km)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 19 写真は土佐くろしお鉄道での移動中

2023-01-18 21:48:38 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(19日目・5月9日) 須崎市ホテルバンダガ~37番札所 岩本寺~39番札所 金
           福寺~民宿大声で『帰ってきたよ 足摺』と叫びたい気持
          ちに 
  5:30起床→6:20発→7:02土讃線 多の郷駅→7:57窪川駅→8:10 37番札所 岩本
寺:45→9:27土佐くろしお鉄道 窪川発→11;47高知西南バス→13:45足摺岬→昼
食→14:40 38番札所 金剛福寺15:20→15:50民宿泊
 終日雨、寒。36番青龍寺から37番岩本寺を経て、38番金剛福寺までの距離は約
140Km。次の39番延光寺までは更に53km。ここを歩き通すというのは修行の道場高
知県の中でも特別の『覚悟』を要する道だろう。また88ヵ所札所すべてを歩き遍路で
結願するというのは、私の今回の通し打ちとは、また次元の違った体力とメンタルと
資金の準備と『覚悟』が必要だと、1番札所霊山寺から四国の対角線、足摺岬まで遍
路を続けてきて、身に染みて実感している。札所のあちこちで『何日で回ったか、何
回回ったか、そんなことより何を得ることができたか』といった標語が張られている
が、負け惜しみでなくありがたく噛み締めている。
 自転車の時に岩本寺に入ったのは17:00ギリギリ前で、慌てて納経を頂いてまたひ
たすらアップダウンの海岸道を足摺目指して、だいぶ遅くなって飛び込みで“民宿 海
坊主”さんに泊めていただいた。しかも食事も出していただいた。翌日は四万十川河口
とか海辺の松林の道をひたすら自転車をこぎ続けた、そんなことを思い出しながら窪
川の町を歩き、岩本寺にお詣りした。あらためて境内を今回はゆっくりと見させて頂
いたけれど、在所の方たちの息遣いのようなものを感じる、町に溶け込んだ落ち着い
た寺でよかった。確か以前は善根宿があったように思うが見当たらない。しかし立派
な宿坊があり、歩き遍路さんにとっては補陀落への決死行のオアシスなのだろう。私
も当時が今だったら、時間に追われて自転車で夜間まで動き回らずに善根宿に泊まっ
て旅を続けていただろう。
(JR 多の郷駅の時刻表)
(ホテルより須崎市街の朝)
(岩本寺参道と山門)
(岩本寺本堂)
(窪川で、土佐くろしお鉄道のダイヤ表)
(土佐くろしお鉄道で移動)

 JR窪川駅で土佐くろしお鉄道に乗り換え、中村(現四万十市)駅へ。1時間以上待
って11:47の路線バスに乗り、土佐清水経由で13:45に足摺岬についた。路線バスの車
窓からの景色は私にとっては本当に懐かしく、つい最近見た景色のように蘇らせてく
れた。土佐清水では病院や養護老人施設、銀行など新しい建物は立っているけど、町
の活気はかえって静かになっている。土佐清水で自転車の時に泊まったのがホテル南
粋。まだあるようだがバスからは見えなかった。土佐清水市街から足摺岬へと向かう
地道を走り入り江にある中の浜(中浜万次郎の出生地)手前の山越えの道にある保育
所は廃園になっているようだけど建物はそのまま。在所の地道にはあちこちに遍路道
の札があり、20年前は自転車を押して登り山越えの道に出た。当時は阪神淡路大震災
の余韻も残り坂の上から見て本当に津波を心配したことや、魚や野菜の移動販売の車
が大音量で当時でも少し懐メロだった小林旭の『昔の名前で出ています』をがなり立
てながら走り回っていたこと、隣の大浜の集落も同じように入り江にありやはり山越
えの道に合流するのに押して上ったこと、等々がつい最近のように目の前に広がって
蘇ってきた。在所は、津波避難所があちこちにできて入るけど、それ以外は何も変わ
っていなかった。
(四万十川を少し遡って)
(やがて大浜の集落)
(足摺岬のレストハウスで昼食)

 在所を過ぎて、海沿いの崖の上の道をバスは走り、“黒潮最接近の
地”や亜熱帯の自然林のトンネルなど懐かしかった。『帰ってきたよ』と大声で叫び
たい気持ちになってきたけれど、心の中でつぶやいた。
 補陀落の寺金剛福寺にお詣りして、民宿に向った。終日の雨が寒い。暖を取る衣類
は何も無い。
(補陀落の寺 金剛福寺の山門)

(金剛福寺本堂)
(金剛福寺の千手観音)
(民宿へ行く途中の白水洞門)

 足摺の民宿の予約を入れる時に、最初に連絡した宿は、もう営業されて
なかったので、何軒かに連絡させていただいてやっと予約で来た民宿だった。ご夫妻
(と思っているが)で運営されておられる。まだお仕事でも現役世代の感じで、遍路
宿や民宿では比較的お若い経営者さん。マッサージチェアを置いたリラックス室や天
井の高さや、星見ベランダ(物干し場)やらセンス溢れる民宿で、雰囲気的にはハウ
ス風で大変快適。
 夕食の時に、年配の男性から
 「やあ、お久しぶりでお元気そうですね」
 と挨拶をされた。見ると、なんと焼山寺下の『ばあちゃんの旅館』でご一緒だった
方。雨中で転倒して、鍋岩からタクシーを呼んで(よく来てくれたものだ、と思って
いるが)ばあちゃんの宿に来られた方だった。私より年長で、あの時は仕事は現役か
最近まで現役だったかで、いずれにしてもそこそこのポジションで仕事をされている
のだろうという雰囲気だった。今、再会して随分と気さくでフレンドリーな感じで、
ここまでの道のりの経験を交流したりでひと時を過ごした。気さくにフレンドリーに
話せる仲間の雰囲気で、対角線で再会できたことはうれしかった。本日の宿泊客はそ
の方とあとご夫婦の自動車遍路さんと私の4名。部屋から星見ベランダに出てみた
が、雲は一向に晴れてくれない。
(民宿の夕食)
          (本日移動、約130km、 歩行、9,827歩、距離7.1km)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 20・21 足摺岬灯台と太平洋を背景に

2023-01-17 23:38:14 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
  (20日目・5月10日) 民宿~足摺遊歩道~高知西南バスで中村~民宿
 
  5:30起床→7:00朝食→8:10発→万次郎の足湯→足摺遊歩道→9:45バス足摺発→11:40
中村着→図書館→16:25民宿泊り
 雨後曇り一時雨、寒。本日は足摺遊歩道を散策して、土佐清水まで歩きそこからバ
スで中村(現四万十市)に戻る予定だったが、雨と寒さで早く中村へ移動することと
した。
 昨日宿泊の民宿さんは2日前にやっと予約ができた。『宿泊施設一覧』を順番に電
話をしたがやっとつながったのがこの民宿さん。ご夫妻で運営しておられ、女将さん
は10年前に大阪から移住してこられてお遍路さんのお接待をしているということで、
その心遣いがいろんなところに感じられる。
 民宿自体は20年前のガイドブックにも紹介されていて、結構以前からあるようなの
だが、細かい話は全く聞いていない。朝食の後、お接待で頂いたおにぎりを入れるか
わいい巾着袋などさりげないサービスで提供していただき、改めてセンスの良さに感
激。女将さんの方から NO WAR のゼッケンのことを聞かれ、説明すると御自身の意
見を語られ、そのうえで、
 「意思表示をすることは大事なことですね、偉いですね。」
 と、励ましていただいた。
(万次郎の足湯)
(足摺岬灯台。補陀落渡海の地?)
(灯台と一緒に)
(自撮りで)

 バスを待つ間、無料でオープン施設の万次郎の足湯に入って、ガラス戸越しに白水
洞窟を見る。その後足摺遊歩道を散策した。遊歩道の東の端は歩き遍路道となってい
て、自転車遍路の時にこの遊歩道を押して歩いたことを思い出した。椿のトンネル
も、天狗の鼻からの灯台も懐かしかった。
(大浜の集落)

(中の浜の集落。20年前は自転車を押して)
(中の浜集落にて)
(ここにも遍路道の案内札)

 9:45の路線バスに乗り、昨日と同じ入り江の在所や土佐清水を経て中村(現四万十
市)に戻り、民宿に着いた。明日は、off日。もともと、四万十市あたりでパートナー
にお出まし願って四万十川散策でもしようかと思っていたのだが適わなかった。せっ
かくのOFF日を有意義に過ごそうと思っている。民宿さんもほかの宿泊客が3~5人でしたが、出張族の常連さんが多かったようだ。和気あいあいとした雰囲気だった。
(四万十市(旧 中村市)の本日宿泊の民宿の夕食)
                        (本日 6,648歩 距離 4.8km)

 (21日目・5月11日)  終日、中村市で過ごす
 雨後曇り。午前中四万十川の散策と、昼前から四万十市立図書館でこの間の日記書
きやら、これからの日程計画、宿舎の予約など。
(民宿の朝。あいにくの雨)
(四万十川)
(四万十川の清流のはずだけれど、雨で?)

    ゴールデンウィークは、観光客ですごかったけれど、またしずかになってしまった
と、地元の方が言っておられた。その反動か観光施設も歴史博物館も飲食店も『本日
休業』が多かった。それでも中村市が幸徳秋水の出生の地で、秋水や女性社会活動家
の師岡千代子の墓があったり、彼や彼女らにちなんで市民による平和活動が続けられ
ている。なんだか四国はどちらかというと保守的な雰囲気がするし、お接待文化とい
うと村社会的に思うかもしれないが、土佐藩・高知県は明治維新や自由民権運動や戦
後の山原健次郎さんらをはじめとした平和教育活動等々、知性的で凛とした県民性を
お持ちなんだなあ、と改めて実感した。

 明日は“修行の道場 高知県”最後の39番札所 延命寺に詣り“菩提の道場 愛媛県”の
入り口に泊まり、観自在寺を目指す予定。

(中村市は、幸徳秋水の出生の地)
(幸徳秋水の墓。卒塔婆)
(師岡千代子の墓も隣に)
(観光施設はほとんどが『本日休館』)
(図書館からの四万十市街)
(民宿の本日の夕食)

 (安息日閑話‐その3)
 1番札所 霊山寺の対角線、足摺まできての自分の気持ちの移り変わりを少し整理し
ました。
 (出発前)四国歩き遍路通し打ちは自分が彼岸に旅立つまでの目標の一つでした。
コロナで動けない状態が続いているときに、プーチン(あるいは彼を支配する好戦者
も含め)らがウクライナ侵略戦争という絶対悪の蛮行を行い、これに対する意思表示
として#NO WAR #Respect HUMANRIGHTS のキャンペーンを四国遍路とジョイン
トしようと思いました。プレスリリースや高知県で断酒会への参加、ウクライナ支援
のクラウドファンディングなどのアイデアも合わせ、最初はかなり入れ込んで、『受
け狙い』を考えました。ただ、パートナーからの指摘もあり、『受け狙い』はかなり
トーンダウンはしましたが。
 (徳島県を過ぎて)発心の道場と言われる徳島県は、JRを12駅間分利用しただけで
全部歩き通し。室戸半島東側は最初から路線バスと決めていました。路線バスに乗り
ながら雨に祟られ厳しかった徳島で出会った人たちに思いを馳せ、室戸岬の西側を歩
いているうちに、『受け狙い』は止め、真摯に遍路をしよう、と決めました。『究極
のマイウェイ』どころか『究極の自己満足だった』と恥ずかしながら気付きました。
めげそうになるメンタルを自分で叱咤したのは、修行の道場といわれる高知県に入っ
てからだったと思います。
 (高知県を歩いて)修行の道場と言われる土佐、高知県は距離は4県のうちで一番
長いのに寺の数は一番少ない。室戸岬の先端の最御崎寺はその前の薬王寺(徳島県日
和佐町)から70km以上、足摺岬の先端の補陀落の寺金剛福寺は前の岩本寺から
80km、その前の青龍寺からだと150km近くあり、さらに次の延光寺までだと約
200km以上。高知に入ると、歩きの通し打ち遍路さんを見かけることが極端に減って
しまう。厳しい修行が遍路に課せられるのだろう。 また、遍路宿の皆さんや、地域
の皆さんのお接待の心遣いが少し違って感じられます。厳しい地での厳しい修行の道
場で出会った人達とのふれあいに励まされて、ここまで来たら必ず結願すると心に決
めました。



四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 22 写真は大雨の 39番札所 延光寺

2023-01-16 18:53:32 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(22日目・5月12日) 民宿四万十~とさくろしお鉄道~39番札所 延光寺~宿
          毛の秋沢ホテル泊  大雨の中修行の道場から菩提の道
          場・愛媛県へと)
 6;10起床、朝食→7:30民宿発→中村駅→10:07中村発→10:25平田駅着→10:50 39番
札所 延光寺11:45→13:20宿毛フジスーパー(地図チェック)14:00→14:15宿毛秋沢ホ
テル着→14:50昼食(喫茶グランマグランパ)→買い物→16:20秋沢ホテルチェックイ
ン泊り

(四万十市を出発。まもなく赤大橋) 
 小雨のち強い雨。中村から歩いて39番 延光寺に行く予定だったけれどすぐに本降
りになり、土佐くろしお鉄道で延光寺の最寄りの平田駅まで移動して、そこから延光
寺を経由して宿毛まで歩くように計画変更。無人の平田駅についてポンチョをかぶ
り、準備を整えて出発。
 体調はまずまず快調。ポンチョは徳島の難所鶴林寺でも使用したが、風が強くてさ
っぱりだった。リュックを蔽うので精いっぱいで、下半身はずぶ濡れ。本日は風もほ
とんど無く、快適なポンチョ歩きだったが、やはり体が火照ってきたらサウナ状態。
駅で身支度をして歩き出して約20分で39番札所 延光寺に到着。

(39番札所 延光寺。高知県最後の寺)
(延光寺の目洗い地蔵。コロナ禍で使用中止。)

 同時に雨が本降りになってきた。延光寺界隈には以前あった岩風呂自慢の遍路宿さ
んも無くなっているようだし、民宿で賑わっていたのだが、遍路さんの姿はほとんど
お見掛けしなかった。延光寺は目洗い地蔵と井戸があって眼病にご利益があることで
有名で、賑わっていたのだが、今日は雨のせいもあってか静かだった。境内は雨がざ
あざあ振っていて、他に参拝者や遍路さんもおらず、一人で落ち着いて散策した。納
経所で納経をしていただいた中年の女性から“NO WAR”のゼッケンで声を掛けられ、
話が弾む。ウクライナの話から先の大戦の話で、“戦争は絶対悪”への賛同、挙句は歩
きの通し打ちの遍路の覚悟は、次元の違う覚悟が必要、といった話への関心等々。
 納経の後、境内も閑散としているので、お参りを済ませて写真を撮ってもらおうと
納経所へ行くとご婦人が替わっていて高齢の女性。親子かなあ。お二人ともコミュニ
ケーションがお好きなタイプの方に思える。それではと、雨中のポンチョ姿の遍路姿
の写真を撮っていただいた。
(大雨の延光寺境内にて)

 延光寺から歩いて高知県西南端にある宿毛市街の秋沢ホテルに向かう道はずっと国
道56号線。地道の遍路道はあるのだが大雨で滑って歩くのは危ない。普通の登山で
もこれでは中止になるだろう。ざあざあと降る雨は両側の田んぼや田植え後の稲には
心地良さげだが、川も増水してきているし、有線のラジオの放送ではどこかのダムが
放水を始めた、と言っている。
(延光寺から宿毛への道)
 宿毛の宿泊予定の秋沢ホテルに14:15分に到着。少し早いので荷物はホテルのコイ
ンロッカーに入れ昼食と買い物に出向いた。土佐くろしお鉄道宿毛駅の方へ向かって
いると、やっと開店している昼食にありつけそうなカフェがあった。名前が『グラン
マグランパ』で名前に似合ったおしゃれな雰囲気のお店で、ママ友や在宅勤務と言い
ながらパソコンと向き合う女性が集まる場所のようだった。
 ホットサンドセットを食べて、ホテルに向かう道すがら、やっと見つけたスポーツ
用品店に行く。実は、ピンチなのだ。3日目から大活躍だったカジュアルサンダル
の“はなお”とは言わないと思うが足を草履に固定するベルト部分がもはや紐状態で今
にも切れそう。店に行くと女性が出てきて、ウォーキングシューズや普通の草履はあ
るけれど、カジュアルサンダルはおいていないとのこと。この辺までくると靴を潰し
てしまわれる方が結構多く、靴は置いてあるけどサンダルは年に何人かはおられる
が、店にはおいていないということらしい。置いてありそうな大きなスポーツ品店は
宇和島までないですよ、とのことだった。仕方がないので、となりにあるスーパーフ
ジ系列の店で、一番幅広で布製の柔らかいスクールシューズのようなスニーカを仕入
れた。イチかバチかだ。明日、明後日で何とか足をなじませよう。
(最強の味方、カジュアルサンダルの代打の柔らかスニーカー)

                 (本日、26,388歩。  距離18.4Km)