【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 1   写真はハービス発の高速バス

2023-02-05 18:05:40 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
(1日目・2022年4月21日)大阪発高速バスで、発心の道場 徳島県へ。コロナ自粛で神戸、大阪、京都、滋賀から外の出るのは2年半ぶり。

 (1番札所 霊山寺-早速のご接待)
 昼頃に大鳴門大橋を渡り12時10分に徳島大学前で降車、明石大橋から降り
だした雨はかなり激しくなってきた。四国に入り、高速バスは小松島行なの
で、徳島大学前で下車し路線バスに乗り換えJR徳島駅、そこで昼食を食べ夕
食をテイクアウト。14:28のJR高徳線に乗り45分ごろに坂東駅着。駅前門前
通りを約10分歩くと本日の宿(ハウス)があった。あらかじめ到着と夕食の
連絡で電話を掛けた時に女性が対応され、一番札所霊山寺へ車で送ってくれる
とのこと。『歩きやから大丈夫です』と言おうとしたが、これは断ってはいけ
ないと思い直し
 「有難うございます。お願いします。」
と言っており、ハウスに到着したら待ってくれていた。車の中や霊山寺の売店
で遍路の作法やらいろいろと蘊蓄をいただき、ありがたかった。自らは140回
のお遍路でうち歩きとおしたのは2回で、四国霊場会公認先達とのこと。ベテ
ランの信心深い方なんだと思った。
 ハウスはきれいな民家。夕食を食べながらいろんな話をしていただいた。ロ
シアによるウクライナへの侵略戦争という絶対悪の話になった。ご本人は
1942年(昭和17年)生まれで『でしたらご両親はアジア太平洋戦争の中を生
きてこられたのですね』と尋ねると、ご家族は外地からの引き揚げで、終戦後
もご家族の絆を守り大変なご苦労を経験された、とのこと。山崎豊子の「大地
の子」のような話をリアルに伺った。お母さんは家族には全く戦争のことは話
さなかったけど、晩年は『話しておけばよかった、話すべきだった。』とおっ
しゃっておられたそうです。
 現在、ほぼボランティアでお遍路さんのご接待を仕事としてハウスの管理を
していること等話していただいた。
 また、私には以前にパートナーと尋ねて思い出の多い、霊山寺のすぐ近くの
ドイツ村で第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜が人道的に扱われ、村の祭りや文
化行事や手作り楽器での第九の演奏合唱を地域ぐるみで開催したのは、当時の
村や役所の人たちの『お接待の心、お接待文化』なのだといったことも話して
いただいた。話が弾んで、あとシャワーをいただいて、ちょっと荷物整理やら
で午後9時就寝。

 初日から素晴らしい出会いと勉強をさせていただきました。22日からは遍
路日記は簡単なものにします。まとめたものは1~2週間ごとにブログでアッ
プします。
(本文では、個人情報やプライバシーの関係で、ご了解を頂いている部分以外
は固有名詞は使用しません。宿泊所については『ハウス』…洋風民宿、bed & 
breakfatな感じ・『旅館』…日本風旅館、民宿・『ホテル』…ホテル、ビジネ
スホテル で表記します。(続く)
(街並みからの霊山寺門前…好きな風景)          (雨のそぼ降る霊山寺境内)


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