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【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

「日大理事長のいわゆる『背任事件』に思う大学の危機とメディアに対する警鐘」

2021-12-19 15:41:22 | 楽しく元気に『反日』トーク
 日本大学の田中理事長が『脱税』で逮捕されました。テレビ、新聞各紙でも大々的に報道されていますが、元大学職員としては各メディアの報道の視点にかなりの違和感を持っています。
 『日大背任事件 理事長の説明を求める』(11月18日朝日新聞社説)の論調は「公的存在として」「まず大学の見解と今後の取り組み」を「丁寧に説明すること」を求めています。各紙の論調もおおむね同様のことであり、田中理事長がいかにして大学で権力を握り、圧倒的な力を保持して挙句大学を私物化してきたか、といった記事です。
 『脱税』はこの事件の切り口かもしれません。今後背任や横領といった刑事事件の立件へと進んでいくでしょう。その時は、各メディアは衆議院議員選挙も済んで選挙違反の与党や一部の野党議員や候補者や木下元都議らに対するような猛烈なバッシングを浴びせるのかもしれませんが、それは今後も粛々と正義と公正に則って報道すればいいので、大手メディアがバッシングを煽るなどは論外です。
 日大問題の本質は、ネコババ、キャッシュバックの原資の大半が学費であるということです。各紙とも私学助成金のことについては触れていますが、この『事件』に対する学生や保護者の視点からの論調は見受けられません。ほぼそのような視点からの報道は残念ながら進歩的と言われるメディアでも物足りません。長引くコロナ禍で家計の急変、それに伴い学生の生活苦が深刻になり学生の貧困が社会問題にもなっています。希望をもって大学に進学しても学費が調達できなくて、希望を失い退学や休学に追い込まれる学生がどれほど多いか。私が大学職員として現役の『平時』ですらそのような学生は一定数存在し、相談を受けた時には可能な限り応援しましたが叶わなかった時には心が痛みました。
 田中理事長はそのような若者・学生、父母の血と汗の結晶を食い物にしているのです。更に心無い人たちは、SNS上で日本大学との縁のある者としての学生や父母さらにはOB・OGに対してまで、筋違いな『弱者いじめ』の猛烈なバッシングを浴びせてきています(#日本大学)。
 学校法人の仕組みは株式会社とは異なり、公益財団法人に類似しておりそもそも利益が発生しません。利益処分としての株主への配当という仕組みではありません。従って何やら旧理事から刑事告発の動きがあるような報道(期待?)もありますが『背任』『横領』といった『株主』代表訴訟をならって『理事』代表訴訟という刑事告発は今日の司法の動向からみて、おそらく門前払いになるでしょう。それどころか文科省は来年の通常国会に法案を提出する日程に入っている、私立大学の評議員を全員外部の人材とし、大学の自治学問の自由を奪い取る大改悪への大きなバネとして日大事件が利用されることが危惧されます。そしてマスメディアのあまりにも薄っぺらいもっと言えば、無意識かもしれないけれど結果自ら政権の愚民政策に加担している能天気な視点からの報道には暗澹とします。
 日本大学の学生、教職員やステークフォルダーの皆さん方は何よりも学生、父母、OB・OG等の皆さんに寄り添った日本大学の改革へ大変な困難を乗り越えて一致して取り組んでいただきたいと思います。例えば理事全員の辞任ではなく解任を求める運動、ネコババ、キャッシュバックに見合った学費分の返還と真摯な謝罪等、下からの運動として今すぐにでも取り組むことはあります。また知性と叡智の府であるべき他の私立大学や私立の学校法人は日大事件を他山の石としてではなく、現政権による大学ガバナンスの結果の象徴であることを覚醒し、さらに自らの大学をも検証するといった課題に引き寄せて毅然として大学の自治と学問の自由を守るために、声を上げるべきではないかと思います。
 若者・学生の個性が輝き、生き生きとしている学園、地域、ひいては国は活気にあふれています。日本一さらには世界一学生が輝いている、そんな大学にしたいという思いが私の職員としての仕事のミッションでありプライドでした。今もそう思いNPOで微力ながら恩返しのつもりで活動しています。
 日本の大学は先進国ではまれにみる富国強兵の管理教育であり、企業に役立つ即物的で費用対効果を求める『人づくり教育』です。そのモデル的な日大の背任事件の本質は、若者・学生そして彼らをサポートする人たち、ケアする人たちへのひいては国民への重大な蔑視であり奢りである、と思います。特に各メディアはこの問題をもっと掘り下げて、何よりも若者・学生、父母に寄り沿った目線で報道してほしいと切に思いますが、2021年衆議院議員選挙後、日本のメディアはもう終わったのでしょうか。知性と叡智の府である大学や私立学校はそうであってはいけないと痛切に思います。

荒れ狂う【愚民政策】に思う、メディアの退廃

2021-12-19 15:41:22 | 楽しく元気に『反日』トーク
 先の衆議院議員選挙後に、大手のマスメディアはこぞって『自公の圧倒的勝利』『与党が支持された』『野党の野合は支持されず』『野党は批判ばかり』等の大キャンペーンを繰り広げた。その論調に納得できない私は、改めて「愚民政策」について考えてみた。『為政者が民衆を無知の状態におとしいれて、その批判力を奪おうとする政策』(広辞苑)とか、ウィキペディアでは、民衆が新聞を読まなくさせて政権批判ができなくさせるといった解説とか、類似語としてポピュリズム、例示としてナチスドイツなどが書かれている。
 私は「愚民政治」という言葉を使用すること自体上から目線であると思い、言うことを避けてきた。しかし、政権側が公言するというのは全くその通り上から目線の奢りで大衆蔑視だが、私たち民衆が「愚民政策」と言うことは権力、政権に対する異議申し立てであると思う。むしろ直視して覚醒し怒りを表明しなければならないと強く思った。『歯に衣を着せない』麻生太郎氏は、「新聞を読まない人は全部自民党(支持)だ」(6月)と発言し、投票率が低いのは政治が安定しているからいいことだなどと言って憚らない。マスメディアは単なる放言やジョークで済ませるのではなく、ジャーナリスト足らんとするなら今こそ凛とすべきだと思っていたが言論の権化である新聞が、今回の衆議院議員選挙後の報道のような愚民政策をバックアップする記事を展開するということは、自殺行為ではないか。
 朝日新聞は、以前『メディアタイムス』欄(2020年2月14日)に『首相との会食』に関わる見解として政治部次長(政権担当)が『取り込まれることはありません。そのことは記事を通じて証明していきます。』と書いていた。比較的知性のある新聞と思っていたが、今回の新聞自体を否定し滅ぼす愚民政策への迎合・忖度がその証明とは。日本のマスメディア全体が大本営発表を垂れ流していた時代を想起し、暗澹たる思いがする。
 この間の市民連合と野党との協定で、びっくりするような知識人、芸術家、芸能人、スポーツマンらがしんぶん赤旗に登場し自分らしく生きる輝く個性が報道されました。奮闘する中小、地方・地域のメディアとも連携し、その軸となるしんぶん赤旗(特に日曜版)はまっとうな大手メディアであることは間違いないけれど、だからこそ『政党機関紙』のような名前はある種の価値観の塊のようなので、赤旗日曜版にニックネームを付ける(例えば、Voices of Rainbow People =略してVoRP=ボープ  とかはどうだろうか。私はセンスがほとんどゼロですので、例えば、以下は無視していただいて結構ですが)。楽しく元気でポジティブに自分らしく生きておられる皆さんや特に発想抜群の若者たちのセンスをお借りして公募するとかいかがでしょうか。メディアの退廃に暗澹たる思いでため息をするだけでなく、楽しく元気で!!