-脳動脈瘤発見!!-
私の父、市太郎は一九六一年の五四歳のときに脳卒中を起こした。その後一九六七年の六十歳のときに三回目の脳卒中の発作を起し、死亡している。当時のこと は定かではないのだが、周りの人の話によると『突然発作を起こして倒れた』ということである。ずっとかなりの高血圧であったこともあり、くも膜下出血では なかったかと思う。
私の兄は、一九八二年の四二歳の時にくも膜下出血を起こした。自分が社長をするダンボール製造加工会社で仕事が終わってすぐ に「頭が割れるように痛い」と言い出し、軽い嘔吐をした。すぐに帰宅し、その後四~五日の間仕事を休み、かかりつけの医院に通った。医師から、国立大阪循環器病センターを紹介してもらい、そこで受診し検査の結果『脳動脈に奇形がある』ことが判明、開頭手術を受け、くも膜下出血の処置と奇形部分の切除とクリッピング手術を受けた。幸い、くも膜下出血はごく軽度であり、後遺症は残らなかった。兄は二〇〇二年にも軽い脳内出血を起し、甥の奔走で大阪の富永病院へ行き、そこで最先端の医療を受け、アンギオの結果、小さくない脳動脈瘤が発見された。再びの開頭手術でクリッピング手術を受けることとなったのである。現在、アフターケアの検査などはしていないが、元気にしている。
二〇〇六年現在の私も五十七歳で「危険年齢」をすでに迎え、遺伝的な危険因子も気にもなっており、高血圧症で日頃受診しているNクリニックの院長に相談した。そして脳外科などの最先端医療をしており、兄も脳外科手術を受けたT病院で受診すべく、紹介状を書いてもらった。
二〇〇六年一月二十日(金)
パートナー同行の上、初めてT病院で受診。朝九時に病院に着いて診察を申込み、四診で受診し、状況を説明しMRI検査をすることとなった。MRI検査待合の二階へ行くと多くの人が検査を待っていた。検査は午後一時三十分頃開始というので、待つ間病院近くの定食屋さんで食事をし、その後喫茶店でコーヒを飲んだ。 ただ、T病院のMRI室や診察室、救急処置室や脳外科手術のライブをモニターで放映している緊張溢れる雰囲気が何とも言えない緊張感となってはなれず、どんな結果が出るかの不安が結構気持ちを圧迫してきて、まったくくつろぐ気分にはなれなかった。
病院に戻り、MRI検査の待合では、最先端を行く脳外科手術や脳腫瘍摘出の手術をライブで中継している。病院のポリシーとして『手術室を密室にしない』『手術の技術に対する絶対的な自信である』旨の説明が書かれてある。
MRI検査は初めてなので少し緊張していた。やがてMRI検査が始まった。狭い機械の中に頭部が入っていき、『ガリガリ』『ガガガガ』などのかなり強烈な音が周りからする。緊張のうちにMRI検査が済むと、再び1階の診察室前で待つように指示を受ける。今度は一診で受診とのことで待っていた。
やがて名前が呼ばれた。担当医はI医師という。毛髪は茶髪にしておりベテランではあるのだろうが、若くも見える。後日看護師さんに「I先生は何歳?」と聞くと、「年齢不詳です」とのこと。MRIの写真を乾先生が説明してくれる。「二箇所に比較的大きい脳動脈瘤らしきものがあります。」といわれた。I先生から今後の治療法の説明があり、結果手術をするのが良いという。I先生は「いつ脳動脈瘤が破裂するかわからない」というし、脳外科の看護師であったパートナー は「早くアンギオをしなさい」という。
私は、今は自覚症状や不自由もなにも無く、健康に過ごしているのに、『なぜだ!』という絶望感・不安感に襲われる。近々絶対に休むことのできない出張もありそれが終わってからということで、深い意味も無く「一月二十七日にアンギオをお願いします」と言ってしまった。本当は嫌で嫌で仕方が無かったのだが、周りからせきたてられてのなりゆきである。I先生は「そうですか。それでは入院の予約をしましょう」といって、看護師さんに指示している。私はさっさと機械的に進められていく自分の運命に、だんだんと目の前が暗くなってきた。手術の前に、脳動脈瘤の部位や大きさを確認するために、アンギオの検査をするとのこと。この検査は、右足の付け根の動脈から、カテーテルを頸部まで挿入し、造影剤を注入して脳動脈の血管造影撮影を行う検査である。動脈からカテーテルを入れるため、検査後に止血等のため安静が必要で、入院の検査となる。検査入院日を一月二十七日(金)に予約 し、本日は診察を終え帰宅した。
私の父、市太郎は一九六一年の五四歳のときに脳卒中を起こした。その後一九六七年の六十歳のときに三回目の脳卒中の発作を起し、死亡している。当時のこと は定かではないのだが、周りの人の話によると『突然発作を起こして倒れた』ということである。ずっとかなりの高血圧であったこともあり、くも膜下出血では なかったかと思う。
私の兄は、一九八二年の四二歳の時にくも膜下出血を起こした。自分が社長をするダンボール製造加工会社で仕事が終わってすぐ に「頭が割れるように痛い」と言い出し、軽い嘔吐をした。すぐに帰宅し、その後四~五日の間仕事を休み、かかりつけの医院に通った。医師から、国立大阪循環器病センターを紹介してもらい、そこで受診し検査の結果『脳動脈に奇形がある』ことが判明、開頭手術を受け、くも膜下出血の処置と奇形部分の切除とクリッピング手術を受けた。幸い、くも膜下出血はごく軽度であり、後遺症は残らなかった。兄は二〇〇二年にも軽い脳内出血を起し、甥の奔走で大阪の富永病院へ行き、そこで最先端の医療を受け、アンギオの結果、小さくない脳動脈瘤が発見された。再びの開頭手術でクリッピング手術を受けることとなったのである。現在、アフターケアの検査などはしていないが、元気にしている。
二〇〇六年現在の私も五十七歳で「危険年齢」をすでに迎え、遺伝的な危険因子も気にもなっており、高血圧症で日頃受診しているNクリニックの院長に相談した。そして脳外科などの最先端医療をしており、兄も脳外科手術を受けたT病院で受診すべく、紹介状を書いてもらった。
二〇〇六年一月二十日(金)
パートナー同行の上、初めてT病院で受診。朝九時に病院に着いて診察を申込み、四診で受診し、状況を説明しMRI検査をすることとなった。MRI検査待合の二階へ行くと多くの人が検査を待っていた。検査は午後一時三十分頃開始というので、待つ間病院近くの定食屋さんで食事をし、その後喫茶店でコーヒを飲んだ。 ただ、T病院のMRI室や診察室、救急処置室や脳外科手術のライブをモニターで放映している緊張溢れる雰囲気が何とも言えない緊張感となってはなれず、どんな結果が出るかの不安が結構気持ちを圧迫してきて、まったくくつろぐ気分にはなれなかった。
病院に戻り、MRI検査の待合では、最先端を行く脳外科手術や脳腫瘍摘出の手術をライブで中継している。病院のポリシーとして『手術室を密室にしない』『手術の技術に対する絶対的な自信である』旨の説明が書かれてある。
MRI検査は初めてなので少し緊張していた。やがてMRI検査が始まった。狭い機械の中に頭部が入っていき、『ガリガリ』『ガガガガ』などのかなり強烈な音が周りからする。緊張のうちにMRI検査が済むと、再び1階の診察室前で待つように指示を受ける。今度は一診で受診とのことで待っていた。
やがて名前が呼ばれた。担当医はI医師という。毛髪は茶髪にしておりベテランではあるのだろうが、若くも見える。後日看護師さんに「I先生は何歳?」と聞くと、「年齢不詳です」とのこと。MRIの写真を乾先生が説明してくれる。「二箇所に比較的大きい脳動脈瘤らしきものがあります。」といわれた。I先生から今後の治療法の説明があり、結果手術をするのが良いという。I先生は「いつ脳動脈瘤が破裂するかわからない」というし、脳外科の看護師であったパートナー は「早くアンギオをしなさい」という。
私は、今は自覚症状や不自由もなにも無く、健康に過ごしているのに、『なぜだ!』という絶望感・不安感に襲われる。近々絶対に休むことのできない出張もありそれが終わってからということで、深い意味も無く「一月二十七日にアンギオをお願いします」と言ってしまった。本当は嫌で嫌で仕方が無かったのだが、周りからせきたてられてのなりゆきである。I先生は「そうですか。それでは入院の予約をしましょう」といって、看護師さんに指示している。私はさっさと機械的に進められていく自分の運命に、だんだんと目の前が暗くなってきた。手術の前に、脳動脈瘤の部位や大きさを確認するために、アンギオの検査をするとのこと。この検査は、右足の付け根の動脈から、カテーテルを頸部まで挿入し、造影剤を注入して脳動脈の血管造影撮影を行う検査である。動脈からカテーテルを入れるため、検査後に止血等のため安静が必要で、入院の検査となる。検査入院日を一月二十七日(金)に予約 し、本日は診察を終え帰宅した。
-いよいよ、アンギオの検査。果たしてどうなるか、大変不安-
二〇〇六年一月二十七日(金)
朝、近所のTクリニックで腰痛のリハビリ治療を受けた後、十時にパートナーとともに出発。十一時にT病院着。検査入院の受付を済ませて、八階のナースセンターに行くように指示を受ける。八階の病室に案内されて、検査衣、ティージ帯に着替えた。やがて、点滴を入れられ、剃毛をされていくうちに、いよいよアンギオの検査が現実のものとなって迫ってきて、緊張が高まってくる。
前回のMRIでは「2箇所で脳動脈瘤の疑いが高い」ということである。Nクリニックへ送られてきた診断書にも『多発性脳動脈瘤の疑い』とは書かれてはあるが、まだ『確定』というわけではない。本音のところでは、アンギオの検査はもう逃れられないけれど、結果として『手術をしなくても大丈夫です』という診断になるように、願っていた。
パートナーが食事に出ている間に、あれこれと思いが巡ってきた。 十四時三十分、ストレッチャーに乗せられて検査室に移動。パートナーもついてきたが検査室の中待合で待機。私は検査室に入り検査台に移る。検査台には頭部が動かないように固定枕があり、そこに頭部をはめ込む。外来の診察を終えた乾先生がやってきて、いよいよ検査が始まった。
「少しチクッと痛むよ」
といいながら、最初に右足の付け根に局所麻酔が二~三箇所注射される。少し痛むが、たいしたことはない。麻酔の後すぐにその部位から動脈にカテーテルが入れられが、それも痛いというほどでは無い。カテーテルは頸部の動脈まで挿入されるのだが、何も感覚が無く、痛みや苦痛もない。
カテーテルを挿入してから、「右のほうに薬を入れますよ」といわれ、ポンプのような音がして一瞬右頭部や耳がボアーッと火照るような感じがした。造影剤が注入されてレントゲン写真を撮ったのだろうが、余り気分の良いものではなかった。次に左頭部、もう一度右頭部を撮り、最後に頭部全体を撮影し、その都度造影剤を注入した部位が熱く火照った。
アンギオ検査は二十~二十五分くらいで終わり、カテーテルの挿入部位を止血し、重し(砂袋)を乗せて、病室へと戻った。暫くは止血のため安静で、ベッド上から動いてはいけないとのこと。
二〇〇六年一月二十七日(金)
朝、近所のTクリニックで腰痛のリハビリ治療を受けた後、十時にパートナーとともに出発。十一時にT病院着。検査入院の受付を済ませて、八階のナースセンターに行くように指示を受ける。八階の病室に案内されて、検査衣、ティージ帯に着替えた。やがて、点滴を入れられ、剃毛をされていくうちに、いよいよアンギオの検査が現実のものとなって迫ってきて、緊張が高まってくる。
前回のMRIでは「2箇所で脳動脈瘤の疑いが高い」ということである。Nクリニックへ送られてきた診断書にも『多発性脳動脈瘤の疑い』とは書かれてはあるが、まだ『確定』というわけではない。本音のところでは、アンギオの検査はもう逃れられないけれど、結果として『手術をしなくても大丈夫です』という診断になるように、願っていた。
パートナーが食事に出ている間に、あれこれと思いが巡ってきた。 十四時三十分、ストレッチャーに乗せられて検査室に移動。パートナーもついてきたが検査室の中待合で待機。私は検査室に入り検査台に移る。検査台には頭部が動かないように固定枕があり、そこに頭部をはめ込む。外来の診察を終えた乾先生がやってきて、いよいよ検査が始まった。
「少しチクッと痛むよ」
といいながら、最初に右足の付け根に局所麻酔が二~三箇所注射される。少し痛むが、たいしたことはない。麻酔の後すぐにその部位から動脈にカテーテルが入れられが、それも痛いというほどでは無い。カテーテルは頸部の動脈まで挿入されるのだが、何も感覚が無く、痛みや苦痛もない。
カテーテルを挿入してから、「右のほうに薬を入れますよ」といわれ、ポンプのような音がして一瞬右頭部や耳がボアーッと火照るような感じがした。造影剤が注入されてレントゲン写真を撮ったのだろうが、余り気分の良いものではなかった。次に左頭部、もう一度右頭部を撮り、最後に頭部全体を撮影し、その都度造影剤を注入した部位が熱く火照った。
アンギオ検査は二十~二十五分くらいで終わり、カテーテルの挿入部位を止血し、重し(砂袋)を乗せて、病室へと戻った。暫くは止血のため安静で、ベッド上から動いてはいけないとのこと。
-インフォームド・コンセント-
アンギオ検査の後、止血のため病室で安静にしていた。トイレにも行けず、点滴を続けているため小用が近く、ベッドの上での用足しとなりパートナーに手間をかけた。さすがに看護師であり、手馴れたもので随分と助かった。
午後七時過ぎに担当のI先生の回診があり、アンギオの後の止血は順調であり、検査結果等について説明するとのことで、パートナーと一緒にカンファレンス ルームへと行った。検査の結果は、二箇所あった脳動脈瘤の疑いのうち、一個所は動脈が巻いているだけで問題は無いが、もう一個所は7mm程度の脳動脈瘤ができているとのこと。病名としては「右末梢性前頭葉動脈瘤。」
「この大きさであることと、遺伝の危険因子を考えると、一年で2%ぐらいの動脈瘤破裂の危険性があると考えられます。一年で2といっても十年になると20%のくも膜下出血の危険性があるということです。」
「治療をするとすれば、血管内治療で動脈瘤にコイルを埋め込むのは、瘤の形から難しい。開頭手術による、顕微鏡下でのクリッピング術になるでしょう。」「治療をして手術そのもののリスクは0.1%~0.2%のアクシデント的な危険性がある。手術による後遺症のリスクも3~5%あります。左半身の運動. 感覚マヒや、前頭葉障害としての記憶障害や性格が変わること、ろれつが回りにくくなること、若年性の認知性、脳の痙攣等が発症することがあります。合併症や感染症の危険もありますし、術後出血や術後てんかんのリスクもあります。動脈瘤に癒着した細い動脈や、動脈瘤そのものに細い動脈が繋がっていたら、万全の処置を施しますが、それでも瘤をクリッピングするときに細い動脈にダメージを与え、脳に何らかのダメージが残る場合があります。その他、脳動脈瘤起因の 脳梗塞、新生脳動脈瘤も危険性は残ります。」
そのようなインフォームド・コンセントが延々一時間以上あり、最初はメモにとっていたが、だんだんと気力が無くなってきた。『何でやねん』『何も悪いことしてないやないか』『そんなリスクをおかしてまで手術せんでもええやないか』『破裂したらそのときのことや』などと心の中で叫んでも、開頭手術に向かって インフォームド・コンセントと回りの事態の流れはどんどんと進んでいく。
「手術をお願いします。」
そう言わざるを得ないような『成り行き』であった。パートナーも、一生懸命メモを取っており、開頭手術に納得の様子である。インフォームド・コンセントの後午後九時ごろにパートナーは帰っていった。