(6日目・4月26日) 13番札所 大日寺~17番札所 井戸寺 学生時代の仲間Kさんからの心のこもったお接待、Aさんも合流して美味しくて楽しいひと時
曇り時々晴れ。6:00起床 7:00朝食 8:30発。旅館のすぐ近くの 13番札所 大日寺にお
参り。四国88札所に大日寺は4番 28番 と13番の3か所があるが、おそらく本尊が大日
如来さんではないかと思う。だとしたら太陽を畏敬する古代からの信仰を繋いでいる
古寺なのかなあ、と勝手に想像。9:55に14番札所 常楽寺着、自転車遍路の時も感心
したが、当寺の石流の庭は珍しく、見事。10:50に15番札所 国分寺着。山門には臨済
宗の看板が掲げられている。国分寺も各県に一つずつあるけれど、以前から廃藩置県
は明治時代からなのに四国4県に対応して4か所の国分寺もどうも人為的だなあと、ど
うでもよい疑問を持っていたが、考えると桓武天皇のころには四国は、阿波、土佐、
伊予、讃岐の四つの国だったから、4県それぞれのにあっても何もおかしくないのだ
なあと、ここにきてふとどうでもいい納得をした。それと、四国霊場はすべて弘法大
師の真言宗かというとそうではない。ここの国分寺は臨済宗の看板が掛かっている
し、他にも大師堂には空海さんと並んで最澄さんを祀る大師堂が併設されているとこ
ろもあるし、紳仏混交で神社の末寺という所も多いし、本格的な山岳修験の寺もあ
り、在所の住民が集い四季折々の祭り楽しむ寺も沢山ある。今回歩き遍路を始めて、
四国遍路というのは特定の教義を持つ宗教的行為といったものではなく、古くからの
民間信仰を集め四国の人たちによって培われてきた文化が四国曼荼羅の世界を作って
きて、そこに身を置きそこにそれぞれのマイウェイを創っていくんだなあと、20年前
の自転車遍路の時とはまた違った実感として、思う。本日の半日コースは、徳島市の
シンボル眉山の南西に点在するいくつかの近在の里寺歩きで、そんなことを思いなが
ら歩いているメンタルの余裕が少しあった。
11:40に16番札所 観音寺、12:40に17番札所 井戸寺。
井戸寺の近くに住む大学時代の同期の仲間Kさんが、お昼に親子丼ぶりをお接待し
てくれる、ということで境内にて待つ。しばらくすると昨日一緒に行動していたHさ
んが井戸寺にやってきた。ばあちゃんの旅館から大日寺までの12Km以上を1時間30分
早く出たとはいえ追いつかれた。さすがアスリート。年齢を聞くと53歳とのこと。そ
こへ大学時代の仲間のKさんがやってきて二言三言しゃべって『ご一緒にどうぞ』と
いうことになり、Hさんも『いいんですか。それじゃいただきます。』と一緒にKさ
ん宅に車で送ってもらう。
Kさんの自家栽培の安全美味の野菜たっぷりサラダのあと、阿波尾鶏とKB鶏卵の地
卵をたっぷり使った親子丼(KB鶏卵は同じ大学出身で1年先輩が経営していた会社
で、彼は早世し子供さんが継いでいるとのこと)。デザートは砂糖がたっぷりと浮き
出た手製の大きな干し柿と御抹茶の大接待。Kさんとは久しぶりで、懐かしく一杯い
っぱい話し込んで、Hさんも話に加わり、『ゼッケンがうまく開かない』というと
『安全ピンで留めたらよい』とかアスリートらしいアイデアを頂いた。たくさん食べ
て先にHさんがJRの駅に向かい、そのあと大学時代のM君やO君を懐かしみ、充実し
た時間を過ごした。阿南市にある22番札所 平等寺近くに住む同じく大学時代の1年後
輩で学術系サークルの部長をしていた、一言居士でインテリのKちゃんが楽しみにし
て待っているとのこと。うれしいことで、何とか旧交を深めよう。本日大雨警報の日
だったが何とか持って、現在は曇り空。本日徳島市内のビジネスホテル泊りで、久し
ぶりにラーメンでも食って、娑婆でマイペースの時間でいろいろと楽しい仕事をしよ
う。明日はリラックス日で買い物や余分な荷物の送り返しや物書きやら、いろいろ楽
しんで3時ごろに18番札所 恩山寺近くの遍路宿へ移動しよう。
(大日寺近くの宿から。朝の風景)
(13番札所 大日寺山門)
(大日寺境内)
※デジカメの写真編集ソフトの扱い不慣れのため、14番札所~17番札所、徳島市内~小松島への移動
の多くの写真データが行方不明になりました。
(7日目・4月27日) 15:00までoffタイム。その後明日に向けて小松島市まで移動
余分な荷物を家に送り返したり、傷バン、消毒液、爪切り等を補充し、スタバで遍
路日記の整理をして。毎日配信が予定だけれど、結構忙しくて、おまけに宿に着くと
バタンキュー状態になってきて大変~。15:00には明日スタートの18番札所 恩山寺近
くの民宿へ移動のため、JR徳島駅から阿波赤石駅、その後歩いて民宿へ行くこととす
る。(続く)