【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 6・7 写真は、大日寺山門からの境内

2023-01-31 12:32:33 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
 (6日目・4月26日)  13番札所 大日寺~17番札所 井戸寺 学生時代の仲間Kさんからの心のこもったお接待、Aさんも合流して美味しくて楽しいひと時
 
 曇り時々晴れ。6:00起床 7:00朝食 8:30発。旅館のすぐ近くの 13番札所 大日寺にお
参り。四国88札所に大日寺は4番 28番 と13番の3か所があるが、おそらく本尊が大日
如来さんではないかと思う。だとしたら太陽を畏敬する古代からの信仰を繋いでいる
古寺なのかなあ、と勝手に想像。9:55に14番札所 常楽寺着、自転車遍路の時も感心
したが、当寺の石流の庭は珍しく、見事。10:50に15番札所 国分寺着。山門には臨済
宗の看板が掲げられている。国分寺も各県に一つずつあるけれど、以前から廃藩置県
は明治時代からなのに四国4県に対応して4か所の国分寺もどうも人為的だなあと、ど
うでもよい疑問を持っていたが、考えると桓武天皇のころには四国は、阿波、土佐、
伊予、讃岐の四つの国だったから、4県それぞれのにあっても何もおかしくないのだ
なあと、ここにきてふとどうでもいい納得をした。それと、四国霊場はすべて弘法大
師の真言宗かというとそうではない。ここの国分寺は臨済宗の看板が掛かっている
し、他にも大師堂には空海さんと並んで最澄さんを祀る大師堂が併設されているとこ
ろもあるし、紳仏混交で神社の末寺という所も多いし、本格的な山岳修験の寺もあ
り、在所の住民が集い四季折々の祭り楽しむ寺も沢山ある。今回歩き遍路を始めて、
四国遍路というのは特定の教義を持つ宗教的行為といったものではなく、古くからの
民間信仰を集め四国の人たちによって培われてきた文化が四国曼荼羅の世界を作って
きて、そこに身を置きそこにそれぞれのマイウェイを創っていくんだなあと、20年前
の自転車遍路の時とはまた違った実感として、思う。本日の半日コースは、徳島市の
シンボル眉山の南西に点在するいくつかの近在の里寺歩きで、そんなことを思いなが
ら歩いているメンタルの余裕が少しあった。
 11:40に16番札所 観音寺、12:40に17番札所 井戸寺。
 井戸寺の近くに住む大学時代の同期の仲間Kさんが、お昼に親子丼ぶりをお接待し
てくれる、ということで境内にて待つ。しばらくすると昨日一緒に行動していたHさ
んが井戸寺にやってきた。ばあちゃんの旅館から大日寺までの12Km以上を1時間30分
早く出たとはいえ追いつかれた。さすがアスリート。年齢を聞くと53歳とのこと。そ
こへ大学時代の仲間のKさんがやってきて二言三言しゃべって『ご一緒にどうぞ』と
いうことになり、Hさんも『いいんですか。それじゃいただきます。』と一緒にKさ
ん宅に車で送ってもらう。
 Kさんの自家栽培の安全美味の野菜たっぷりサラダのあと、阿波尾鶏とKB鶏卵の地
卵をたっぷり使った親子丼(KB鶏卵は同じ大学出身で1年先輩が経営していた会社
で、彼は早世し子供さんが継いでいるとのこと)。デザートは砂糖がたっぷりと浮き
出た手製の大きな干し柿と御抹茶の大接待。Kさんとは久しぶりで、懐かしく一杯い
っぱい話し込んで、Hさんも話に加わり、『ゼッケンがうまく開かない』というと
『安全ピンで留めたらよい』とかアスリートらしいアイデアを頂いた。たくさん食べ
て先にHさんがJRの駅に向かい、そのあと大学時代のM君やO君を懐かしみ、充実し
た時間を過ごした。阿南市にある22番札所 平等寺近くに住む同じく大学時代の1年後
輩で学術系サークルの部長をしていた、一言居士でインテリのKちゃんが楽しみにし
て待っているとのこと。うれしいことで、何とか旧交を深めよう。本日大雨警報の日
だったが何とか持って、現在は曇り空。本日徳島市内のビジネスホテル泊りで、久し
ぶりにラーメンでも食って、娑婆でマイペースの時間でいろいろと楽しい仕事をしよ
う。明日はリラックス日で買い物や余分な荷物の送り返しや物書きやら、いろいろ楽
しんで3時ごろに18番札所 恩山寺近くの遍路宿へ移動しよう。
(大日寺近くの宿から。朝の風景)

(13番札所 大日寺山門)
(大日寺境内)
※デジカメの写真編集ソフトの扱い不慣れのため、14番札所~17番札所、徳島市内~小松島への移動
の多くの写真データが行方不明になりました。

 (7日目・4月27日) 15:00までoffタイム。その後明日に向けて小松島市まで移動
 余分な荷物を家に送り返したり、傷バン、消毒液、爪切り等を補充し、スタバで遍
路日記の整理をして。毎日配信が予定だけれど、結構忙しくて、おまけに宿に着くと
バタンキュー状態になってきて大変~。15:00には明日スタートの18番札所 恩山寺近
くの民宿へ移動のため、JR徳島駅から阿波赤石駅、その後歩いて民宿へ行くこととす
る。(続く)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 8 写真は 民宿ちば さん駐車場にて

2023-01-30 16:09:14 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
   (8日目・4月28日) 18番札所 恩山寺~19番札所 立江寺~ふれあいの里さかもと

 晴れ。 6:00起床・朝食・談笑→7:20発→7:50 18番札所 恩山寺→10:00 19番札所 立
江寺10:40→途中、遍路休憩所など立ち寄る→13:50昼食(ジビエレストランで鴨肉う
どん)14:35→14:50道の駅“ひなの里”15:30→15:45ふれあいの里 さかもと泊
 朝、“NO WAR 戦争は絶対悪”“RESPECT HUMANRIGHTS 人権の尊厳”のゼッケン
を安全ピンでとめてやっとみられるようになったので、民宿 のご主人に写真を撮って
もらう。ご主人自身も記念に撮っておきたいとのことで被写体了解。朝一の18番 札
所恩山寺の納経所のご婦人が達筆で写経をしておられた。納経をして頂いたが、今ま
で何気なく見ていたのだが、それぞれ個性があり、この方は梵字にしても美しく書か
れるのだなあと内心感銘して見ていた。  
 ゼッケンのことに触れられ、しみじみと『戦争は絶対にしてはいけませんねえ』
と。
 恩山寺から19番札所 立江寺への道にきれいな『お遍路休憩所』があり、立ち寄っ
てノートに英語でコメントを残しておいた。立江寺を過ぎてしばらく行くと道の北方
の山に地肌がむき出しのところがあり、20年前の自転車遍路の時にも見た景色が残っ
ていた。以前もあれは自然災害の崩落か、砂利採集などの乱開発か。いずれにしても
癒される景色ではない。県道や工事中道路など歩いているうちに、『真稔へんろ道』
などの案内が出ており、そちらの方を歩くと古道ではないけれど歩き遍路が歩きやす
いように山中につけられた道のよう。しばらく結構な距離の遍路道を歩き、県道に出
てやっとあった食事処。ジビエ料理のレストランで鴨肉うどんを頂いたが、美味しか
った。
 ご主人(オーナーさんと思うが)が挨拶にこられて、まだお若そうに見えたんだけ
れど30年ほど前には大阪で調理師をされていて、こちらへ移住とのこと。遍路日目以
降、昼は行動食のはずだったが、この工程は道の駅”ひなの里”があり、道中何軒か食
事所があると楽観していたが、実際はジビエ料理レストランまで何もなく、飢えに耐
えて遅い昼食だった。
 ひたすら歩き、道の駅から本日の宿泊所”ふれあいの里坂本”に電話をすると車で迎
えに来てくれる。本日宿泊の ”ふれあいの里 坂本”(地名)は、廃校になった小学校を
きれいに改築し農村体験型施設・おへんろさん大歓迎をキャッチフレーズに、在所坂
本の住民の皆さんが過疎対策、Uターン対策などで共同運営されている。本日担当の
ひとりに若い女性がおられて、京都の大学にいて、Uターンで戻ってきたとのこと。
楽しそうに仕事をしておられた。他のスタッフは地元の方。同宿は男性二人と女性一
人で女性は大阪出身で長野に移住し、鍼灸師をしており今回は明日が最終日というこ
とで、ここまでの行程を尋ねたら彼女もまたなかなかの健脚だった。歩き遍路の人
は、健脚の人が多い。
 明日は20番 鶴林寺、21番 太龍寺を回り、そのあと阿南市に住む大学1年後輩で学
術系サークルの部長をしていた一言居士で論客のKちゃんと会い、いよいよ発心の道
場(徳島県)も最終直前になる。

(民宿の夕食。客は私一人で心のこもった夕食に心より感謝。)

(遍路への出で立ち。)
(朝の静寂の18番札所 恩山寺)



(19番札所 立江寺山門)
(お遍路休憩所。英語でメッセージを残してきた)
(ジビエレストランで、鴨うどんの昼食)
(ちょっと痛々しい景色。20年変わらず)
(ふれあいの里坂本)
(部屋から校庭を眺める)
(教室がリニューアルされたきれいな客室)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 9 写真は 民宿山茶花 さんでの夕食

2023-01-29 00:49:57 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
4月29日  20番札所 鶴林寺~21番札所 太龍寺 またしても山登りで大雨。
 小雨のち大雨と強風、のち曇り。5:30起床・荷造り・食事→7:10発→7:25出発点
道の駅→8:00出発→10:00⑳番札所 鶴林寺(雨風強く道は石や木の根)10:55→12:
05水井橋(県道19号)→13:30細野橋→14:05Kさんの車に同乗しロープウェイ下
→14:30ロープウェイで山頂、㉑番札所 太龍寺→15:40ロープウェイ下→16:00Kちゃ
ん宅でお接待17:15→17:20民宿山茶花泊
 昨日の腰痛が回復せず朝から憂鬱な気分。本日は20番鶴林寺、21番太龍寺と2つの
山寺遍路の日というのに朝から雨でますます憂鬱な気分。リタイアも頭をかすめる。
Kさんに電話を入れとりあえず20番の鶴林寺まで、遍路道の山道は避けて車道を登
り、寺でエスケープの相談をするかもしれないと電話する。Kさんは『この雨風やか
ら無理をしないように』言ってくれるが。車道を登りだして“正解”だった。すぐに雨
脚が強くなり簡易舗装道には川のように雨水が流れる。しばらく上ると尾根筋にはか
なりの速さで雲が飛んでいく。昨日同宿だった女性の遍路さん遍路道を行ったが難儀
していないだろうかと思ったが、どうしようもない。ただ、分からないことに自身の
腰痛がほとんど感じなくなり、むしろ快調になってきていることに気付いた。ピッチ
も上がり姿勢もしゃきっとしてきている。快調に気づき『何だったんだろう?』『本
気度や精進とかが試されたのだろうか?』などいろいろ思いめぐらす。快調に気をよ
くして山頂の寺までの八丁石からは遍路道に入った。やはり石畳など濡れていなけれ
ば快適な道なのだろうけど、案の定滑って危ない。風が大木を大きく動かし折れ枝な
ども危ない。とにかく3時間目算のところ、2時間で登り切った。
鶴林寺のお参りの後、納経所で太龍寺の様子を聞くと、今のところロープウェイも動
いているけれど、停止するかもしれないとのこと。そうなると本日不可ということに
なってしまいそう。いろいろケースを考えつつ県道を下り、鶴峠からは登ってきた県
道との逆を下っていく。少し行くと阿南市の看板が出ていて市境を超えたことが分か
る。歩く方は登山口の反対側への下山も65分とますます快調。そうなると下山地点の
水井(すいい)から対岸の21番札所 太龍寺まで遍路道を歩いて登ろう、といった“本
能”のようなのもが湧いてくる。しかしここは冷静に。『今回の目的は登山ではな
い。登山靴でもないし、装備もしていないし、非常食もなく、Tシャツ一枚とポンチ
ョだけ。動けなくなって雨に降られて、この季節でも低体温で命を失う、といった事
故は全く珍しい遭難でも何でもない。』と気を取り直し、県道19号の舗装道路を、ロ
ープウェイ乗り場へと向かった。1時間強ほど歩いていると、ロープウェイ乗り場で
待っていてくれているはずのKさんから電話があり、『水井で待っていたが先にいる
のならそちらへ向かう』とのこと。15分ほど細野橋で待っているとKさんがやってき
た。Kさんの車に乗せてもらい、30分ほどで、太龍寺ロープウェイ乗り場着。間引き
運転のロープウェイのお世話になり、太龍寺にお参りした。20年前は麓に自転車を止
めて歩いて登ったが、当時よりずいぶんと境内も整備されている感じがする。鶴林寺
は逆に遍路道は整備されてきているが、寺は昔のまま、といった感じだったけれど。
 お参りの後、雨も小止みになってきて、Kさんも同窓で職場も同じだった、22番札
所 平等寺近くに居を構えるKちゃん宅へ向かい旧交を深めた。Kちゃんにも、初めて
お会いするパートナーさんともども、心のこもったお接待をして頂いた。相変わらず
一言居士で物事の本質に迫る論調は健在。KちゃんとパートナーさんとKさんと4名で
楽しく談笑後22番札所 平等寺隣の民宿 山茶花へ向かった。
明日は、修行の道場 徳島県最後の23番札所 薬王寺を経て、いよいよ 修業の道場 高知
県へと移動する。
      (本日距離、24.1km  歩数、25,518歩 歩行距離19.19km)


(鶴林寺七丁からの遍路道)


(鶴林寺山門)

(鶴林寺納経所の前)

(鶴林寺から下り、阿南市に入る)

(太龍寺ロープウェイから麓を見る)

(太龍寺は整備された山寺。静寂な境内)


(本日の民宿山茶花さんの夕食)




四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 10 写真はJR牟岐線社内。遍路さんも多い。

2023-01-27 17:33:27 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
(10日目・4月30日)  22番札所 平等寺~23番札所 薬王寺 本日天気晴朗なれど風寒し。発心の道場・徳島県からいよいよ 修行の道場・高知県へと入る

 天気晴朗、風は肌寒い。5:30起床、準備、朝食→7:50発・22番札所 平等寺
8:20→10:10JR阿波福井(肌寒い。道迷いの挙句列車の待ち時間が長いので
1駅先まで歩いて行く)→19:40JR阿波福井発→10:55JR日和佐着→11:10 23
番札所 薬王寺(徳島県最後の寺)11:40→13:03JR日和佐発→13:38JR阿波海
南駅着→14:06DMV阿波海南駅発→14:32 DMV道の駅東洋町着(DMVは旧JR
線の線路を使用し、レールと道路と両方走れるように改良したバスの路線。当
地の名物で多くの“撮り鉄さん・鉄子さん”がいた)→東洋白浜リゾートホテル
 本日も朝は腰痛が残っていて気にはなったが歩き出すと快調になってくる。
単にロキソニンテープの効果かなあ、とも思わなくもない。平等寺からしばら
くは朝の間は寒かった。
 いよいよ修行の道場、高知県に入るが高知県は長丁場。スケジュールの調整
ともう一つ太平洋に沿った遍路道は集落の間隔が離れている。左は太平洋、右
は山の路が延々と続く。そこに、万万が一津波が来たら大変やばいと遍路の計
画段階から苦慮していた。当地に生活しておられる皆様には大変失礼な、申し
訳ないような思いを持ちつつ結局効率と安心を考慮して公共交通機関を使うこ
ととする。 
 ゴールデンウィークがスタートし遍路さんがにわかに増えだした。それも自
動車での遍路や自転車での遍路、バスツアーが多く、歩き遍路さんは徳島県で
無念のリタイアをされる方が少なくない。リタイアされる方は、区切り打ちの
遍路さんと、通し打ちの遍路さんではフィジカルのこともあるけれど、やはり
多いのは靴が合わずに足の激痛で歩けないといった方が結構おられる。
 私は最強の味方であるカジュアルサンダルのおかげで、ひどい外反母趾と偏
平足で不安ではあったが、無事に難なくクリアして歩き遍路を続けている。通
し打ちの歩き遍路さんもここまでくると皆さん健脚でおられる。しかしリタイ
アとかで歩き遍路さんの数は高知へ入るとかなり減ってきている感じだ。自動
車、自転車、バイク、バスツアーなど全体としてはGWに入って増えてきてい
て、遍路宿や民宿の予約がとりにくくなっているし、料金も“GW価格”で高く
なっているところが多い。初日から出会った歩き遍路さんはバラバラになっ
て、それぞれマイペースで遍路をしておられるようだ。JRやDMVには折り畳
み式のロードレーサーを積んでリラックスしている自転車遍路さんが多く、ま
るでお遍路列車の様相だ。自転車でも区間によっては鉄道を利用するのだな
あ、と思った。結局徳島県では、阿波川島⇒鴨島間、JR徳島⇒阿波赤石と阿
波福井⇒日和佐⇒海南間はJRを利用し、後はすべて歩き通した。
阿波海南⇒甲ノ浦(鉄路)⇒道の駅東洋町(バス)間は、旧JR牟岐線のレー
ルを活用し、レールと道路と両方走れるように改良したバスの路線である
DMVに乗る。DMVは当地の名物で多くの“撮り鉄さん・鉄子さん”が海南駅の
バスから鉄路への切り替え地点にいた。DMVは定員20名の予約制で、その日
はGWでもありかなり満員とのことであったが、幸い空席があり乗ることがで
きた。乗れなかったら東洋町まで、まるまる路線バスで行かざるを得ないし、
時間も1時間40分ほどかかってしまうところだった。
 本日の宿泊は、リゾートホテルで5階建て。場所は甲の浦(かんのうら)の
ビーチにあり、キャンプ場も併設されていて多くの家族連れで賑わっていた。
ビーチには津波避難施設が作られていて、多少の緊張感もある。ゴールデンウ
ィークも重なって、なにやらストイックな遍路修業というより、娑婆に戻った
感じ。あと1週間ほどは仕方がないか。宿泊のリゾートホテルは地元の方が経
営しておられ、レストランは閉鎖し夕食はなし。普段はあまり客もいないとの
こと。コロナがそれに輪をかけているのだろう。遍路宿も休業から廃業へと増
えているらしい。仕方なく近辺の飲食店に行ったがどこも満員で、3件目(最
後の店)でやっとシーフードパスタにありついた。
 甲の浦は前回の自転車遍路の時に、現在は廃路線になっている大阪南港から
のフェリーで下船した場所で、本日四国で唯一の残った未踏の区間、日和佐
(徳島県)と甲の浦(高知県)間が埋められた。明日は眼前の広大な太平洋
(海)と空を睥睨して、空海が自らの名を定めた修行の場所といわれる、御蔵
洞(みくらど)から24番札所 最御崎寺に上り、長大な修行の道場に挑む。
     (本日距離約、56.9km うち歩行、22,581歩  距離、15.8Km)
(民宿山茶花さんの朝食。お接待のお餅とお菓子も頂いた)

(22番 薬王寺を目指して歩いたが・・・)

(2駅歩いて、結局JRのお世話に)

(22番薬王寺境内からの日和佐の街並み)

(海南からは、鉄・道路両用のDMV)

(鉄道モードからバスモードへと切り替え)

(甲ノ浦ビーチの津波避難塔)

(本日宿泊の 白浜東洋リゾートホテル)





四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 11  室戸岬へと向かう海辺(遍)の路

2023-01-25 18:18:44 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 修業の道場(高知県)編
(11日目・ 5月1日)  甲の浦~25番札所 津照寺  修業の道場高知県に入り、室戸半島東側は路
     線バスで。本日半日行動日

 曇り後快晴、但し肌寒い。5:30起床、準備→7:30道の駅東洋町発(路線バス)
→8:10室戸ジオパーク乗換→8:13発(路線バス)→8:40岬ホテル下車→御蔵洞→遍路
道→9:15 24番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)→室戸岬灯台→寺で朝食(昨日の東洋
白浜リゾートホテルでのテイクアウト朝食)10:40→12:40太田旅館→歩き遍路サロ
ン 夫婦善哉で昼食→13:15 25番札所 津照寺→夫婦善哉でCoffeeとおやつ買出→14:40
太田旅館泊り

 室戸半島は、日程と体力とそして津波のリスクから少しでも逃れるために、路線バ
スを利用し『迅速に』移動した。東洋町(甲の浦)から約40Kmの間何人の歩き遍路
さんを追い抜くか数えてみたら8人だった。そのうち一人の方は、途中のバス停から
乗られまた途中のバス停で下車、おそらく、別格霊場へ行かれるのだろう。40Kmで8
人ということは10Kmに2人。歩き遍路は少ない。偶然かどうか分からないが、この
区間を歩かれる方は健脚、アスリートタイプではなく少し高齢でマイペース、中には
キャリアバックを引っ張って歩いておられるカップルの方もおられた。この区間は国
道55号が遍路道そのもので、歩道がない区間も多く自動車も多い。津波が来れば逃げ
る場もない。そういう意味では本当に修行の道場なのだろう。ちなみに自転車遍路さ
んも8名だった。これはGWにしては、歩きよりもっと少ないか。
 室戸岬先端近くにある、青年空海が修行をして自らの名を定めたといわれている御
蔵洞(みくらど)に再会した。空海はこの洞で修行し、広大な空と海(太平洋)を見
て自らを空海と名乗ったと言われている。なるほど、青年空海だなあと実感した。余
談ながらこれには諸説あって、万物は仮の姿で海も仮の姿、本質は空(くう)で、そ
れを指して空海(くうのうみ)とか言った説もあるけれど、いずれにしても後世の人
たちによるオーソライズなんだろうなあ。20年前の御蔵洞は洞窟が一つしかなかった
が、いまはツインである。中に入ると以前は沢蟹のような蟹と、イソメゴカイがうじ
ゃうじゃいて、磯独特の腐臭で臭くてとても修業どころではないと思った。それどこ
ろか一晩もいればこちらが食い尽くされて骨になってしまいそうなどと思ったのが感
想だったが、今は祭殿が飾られ、厳かな雰囲気となっている。洞窟の入り口には落石
除けの金網も設置されている。
 御蔵洞の先の遍路道から岬の山の上にある最御崎寺(H165m)まで登る。約20分で遍
路道に建立されている山門着。観光客の若者たちと写真を撮りあい、交流した後お参
り。そのあと境内を歩き、20年前に来た時に多分ユースホステルだったと思うが、
『遍路センター』があって、今度来るときには此処で泊まろうと思っていたのだが、
今回は予約時から連絡が取れなかった。来てみると、建物は立派になっているのだけ
れど、休業中か何かで営業していなかった。コロナの影響なのかなあ、歩き遍路のオ
アシスなのにちょっと寂しいなあ、との思い。
 最御崎寺を出て、室戸市の街並みを見ながらスカイラインを降り25番札所津照寺を
目指す。相変わらず自動車での遍路さんは結構多いがバスツアーはほとんど見かけな
い。自転車やバイクの遍路さんは若い人が多い。GWが過ぎれば、また静かな遍路道
に戻るのだなあと思いつつ。
 自転車遍路の時も気付いたのだが、室津港に来ると大きな紀貫之の記念石碑が建立
されている。『おとこがすなる日記というものを、をんなもせむとてすなり』の一説
が思い浮かぶ。昼過ぎに本日の宿泊先の太田旅館着。本日は朝にバス異動で、バス停
ホテル前から半日行動に決めている。明日の宿泊予約は、自転車遍路の時にいい感じ
だった、ビジネスホテルなはり、でその翌日には印象に残った神峰寺(こうのみね
じ)を経て、高知市内へと入っていく。
 ところで、”#NO WAR” ”RESPECT HUMANRIGHTS”のゼッケンに、ほとんど声がか
からない。多くの人はチラッとは視線を向けるのだが。最御崎寺で若者グループに写
真を撮ってもらったが、やはり同様だった。(本日Wi-fi使えず)
        (本日移動距離、約40km、うち歩行、18,725歩  距離13,1km)
(空海が籠って修行したといわれる御蔵洞)

(御蔵洞の先、最御崎寺への歩き遍路道登り口)

(歩き遍路道)

(歩き遍路のウェルカムゲート、最御崎寺山門)

(24番札所 最御崎寺境内)

(室戸岬灯台)

(灯台からの太平洋)

(室戸市内にも何か所かある)

(室津漁港にて)

(25番札所 津照寺山門)

(津照寺本堂)

(昔ながらのレトロな室津漁港の裏通り)