【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 23  写真は宿毛トンネル

2023-01-15 00:11:48 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(23日目・5月13日)  宿毛 秋沢ホテル~国道56号線~40番札所 観自在寺~御荘
         町 ホテル青い国。修行の道場 高知県を超え、降り続く雨
         の中涅槃の道場 愛媛県へ
 6:10起床、朝食→8:35発→国道56号線→9:55喫茶より道10:20→10:50県境宿毛トン
ネル→11:55昼食(一本木温泉レストラン)12:50→国道56号→15:40 40番札所 観自在
寺16:10→16:25ホテル青い国泊り。
 本降り後小雨。8:35発、10日以降1日曇りをはさみ雨が降り続いており、それも強
い雨で古道の遍路道が歩けず、少々うんざりする。本日も40番札所 観自在寺を目指し
てひたすら国道56号線を歩く。
(出発前、秋沢ホテルでの朝食)
(宿毛トンネル。トンネルを出てしばらく行くと涅槃の道場愛媛県)

 宿毛市街地を離れると間もなく宿毛トンネル。宿毛トンネルは自転車遍路の時にト
ンネル内に歩道はあるのだが、幅が80cmも無く、危なくて押して通り過ぎたこと。そ
れとこれを抜けると修行の道場もやっと終わる、そして補陀落の渡海足摺はやはり全
行程歩けばよかったと切々と思う。この連日の大雨が…などと寂しい言い訳も秘めな
がら。
 トンネルを過ぎて10時前、峠に向かう途中に喫茶店Yがありちょっと休憩。戸を開
けると年配の女性がおられ、その方がママさんのようであり、やはり年配の男性客2
人と3人で談笑中。ポンチョを脱いで置き場所を聞くと、ちょっとレトロな竹製の傘
立てを出してきてくれた。コーヒを頂いていると、にぎやかな会話で、どうやらママ
さんは18才の時に集団就職で大阪に来ており、ニチボー貝塚の活躍や1964年の東京
オリンピックや1970年の万博のころの話を懐かしかしんでおられた。年齢は後期高齢
者になったところ。男性の一人は19歳のころからマグロの遠洋漁業で、給料は当時で
年間100万円以上。私が大学1回生の頃なので、大卒サラリーマンの初任給が月給2万
円未満、大工さんなどの日給が1万円以下だったと思う。そのおじさんが南米のチリ
に停泊した時など腹巻に札束入れて遊びまわったことなど笑いながら話す。ママさん
に『そんなことばかりするから前立腺癌になるんや』と茶化されていた。もう一人の
男性は、後でおっしゃったけど、私より1年年上で、自分のことはしゃべらないけ
ど、ニコニコとされていて大変聞き上手。そのうち、私に気を使っていただいたの
か、
 「どこから来られた?」
 と聞かれ、大阪と答えると、先ほどの話に尾ひれがつき、次の万博やらママさんの
集団就職は電機メーカーだったとか和気あいあい。そのうち“NO WAR”のゼッケンの
話題になり、もっともや戦争は絶対あかん、で大団円。
 店を出て歩いてすぐにまた喫茶店があり、この店も軽トラックが2~3台止まってい
た。このあたりの山間の集落にしては喫茶店が続いて在るのかなあと思ったが、近在
の住民、特にリタイアされて、まだまだお元気な方のコミュニケーションの場所なん
だなあ、と思った。Yでの談笑を楽しく聞かせていただいて、四国には若かりし頃に
大阪や神戸や京都と縁のある方が多いわけも少し分かった。もう少し市街地、例えば
中村、宿毛、土佐清水などでは現役世代で移住してこられている方も少なくない。遍
路宿でお接待していただいておられる方も、同じような感じがする。
(県境の峠への道には、こんなお店も)
(県境のトンネル)

 10:50に県境のトンネルを超えるときには、やっとここからは修行の道場を過ぎて
涅槃の道場だ、という思い。修行の道場 高知県で鍛えられ、涅槃の道場 愛媛県で成
仏して、語呂よく付けられた区切りの呼び名かと思っていたが、今は少し実感が伴
う。愛媛には大寶寺、岩屋寺、さらには横峰寺、雲辺寺が構えている。三角寺や弥谷
寺も控えている。愛媛県で涅槃して香川県で菩提様になる、別に宗教や教義に帰依し
ているわけではないが、生きていることに感謝しつつ挑戦している実感が身に染みて
くる。
(雨が少し小止みに。あと2日がかりで宇和島へ)

 遍路道は『これが本当の道』というわけでもなく、遍路地図でもいくつかのコース
があったりする。私は何らかの道を経て88ヵ所霊場を巡りきる、それが私にとっての
遍路道『マイウェイ』と思っている。観自在寺へ峠は県境になっていて、遍路地図
では遍路道は国道56号を離れ県道332号を北行するようになっているが、そちらの方
へ行くと番外の寺へと続く山道と、観自在寺へと続く県道に分岐する。山間部のよう
で、連日のこの雨なので、このまま国道56号を辿り観自在寺へと向かった。
 昼前に近在の皆さんの賑わい施設の一本松温泉のレストラン(食堂)でチャンポン
麺の昼食。国道を挟んでスーパー銭湯のような温泉施設と道の駅とか公共施設の集ま
ったところで、休憩プラス食事には最適。考えたら四国に入ってはじめて食べた中華
系麺だった。
(近在の皆さんの賑わい施設、一本松温泉・道の駅)
(昼食で頂いた、チャンポン麵) 
約1時間食事休憩の後、出発。15:40に40番札所 観自在寺着。山門前の階段がコン
クリートになっているが、20年前と全く同じ景色のようだ。門前の旅館もそのまま。
自転車遍路の時は宿毛から観自在寺を詣りそのまま宇和島まで行き、若き頃病院勤め
時代のかつての仲間に昼食を豪華接待してもらい、さらに龍光寺、仏光寺、明石寺と
詣り卯之町まで行った。元気だったなあとしみじみ忍びながら、そうそう門前でおば
さんに文旦を2個お接待していただき、お接待にも慣れてきたことも思い出した。
(40番札所 観自在寺の門)
 今日の道中、歩き遍路さんに出会ったのは4人。車や自転車の遍路さんもほとんど
出会わず。連休が終わったからか、コロナのせいか、天候のせいか。少し寂しい。本
日は、56号線沿いの青い国ホテルに宿泊。同宿の人はほとんどがビジネスの出張族、
それと部活の若者(高校生?)か。四国に入ってどこでもそうだけれど、ホテルでも
従業員の皆さんの遍路への心遣いは十分に感じる。夕食はホテルの隣のレストランで
天ぷらそばとイカの一夜干しの一品。今日も良く歩いたからか、ふとビールが頭に浮
かんだが禁酒・禁酒。
                   (歩行、38,988歩。  距離、27.2Km)



四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 24  写真は宇和海沿いの道を行く

2023-01-14 17:46:19 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(24日目・5月14日)  青い国ホテル~国道56号~宇和海~岩松 三好旅館泊り。
         宇和海沿いをひたすら歩き続ける
 6:00起床、7:05朝食→8:45発→国道56号→10:00八百坂峠→11:30昼食(愛南町 柏の
                    ローソン)12:30→宇和海を堪能→16:20岩松の三好旅館泊り
(ホテル青い国の窓から、朝の観自在寺方面
(ホテル青い国 の豪華な朝食)

 久しぶりの雨のない天気。とはいえ、曇り時々晴れ。青い国ホテルでは遍路道の情
報を教えていただいたり、同宿の若者に『お気をつけて』と激励を頂いたり、朝食付
きの宿泊だったけれど気のせいか、朝食は豪華だった。8:45出発で、昨日に引き続き
国道56号を歩く。道は海沿いを0mから最高80m位をアップダウン。八百坂峠からは
左手の宇和海を堪能しながら風景を沢山撮りながら歩く。
(内海ふれあいトンネルは、歩行者・自転車専用)

(トンネルを抜けると国道56号線は宇和海沿いの道)

 昼前に国道はいったん海辺におりて愛南町の柏にあるローソンで昼食。イートイン
コーナーでカップヌードルとチョコクロワッサン。トイレ休憩かねて1時間の長滞
在ごめんなさい。
 柏からは山道の遍路道もあるけれど、昨日までの長多雨を考慮して再び56号線。旧
内海村から内海トンネルがあるが国道に並走して人、自転車専用のトンネルがある。
当然そちらを通ったが快適。トンネルを抜けて旧内海村から須ノ川に入ると、オート
キャンプ場やマリンスポーツセンターやスーパー銭湯などの複合施設があり、本日土
曜日のこともあり賑やか。こちらは近在の皆さんの近在施設といった感じではなく、
愛媛県西部にある県民の皆さんのアウトドアリゾート地か、ちょっと休憩施設などで
リラックス。
(宇和海は半島を境に、真珠から鯛の養殖場へと。どちらも生産量日本1)

 再び56号線を歩き海岸べりを登っていくと左手に宇和海が広がる。愛南町と津島町
の町境に由良半島があり、手前の宇和海では鯛の養殖が盛ん。鳥越トンネルを超え津
島町の浦地に出ると今度は真珠の養殖が大規模に行われている。どちらも
生産量日本トップではなかっただろうか。真珠は全国1、伊勢志摩の三重県は3位か。
たくさん風景写真を撮ったり、リラックスするうちに時間が迫り、リラックスして緩
んだ体にムチ打って歩き、本日の宿泊地岩松に16:20到着。情緒一杯の町で、中でも
情緒一杯漂う遍路宿の旅館に到着。
 旅館は歴史を感じる町に溶け込んだ宿で、接客は女将さんが一人で対応されてい
る。多分食事の用意や部屋の宿泊準備などはお手伝いされる方がおられると思うが、
接客はお一人。四国の遍路宿にお世話になっていると『商売』という以前にそのお接
待の心遣いに本当に感謝する思いです。本日の宿の女将さんも遍路にお気遣いいただ
き、岩松の旧街道の要所としての歴史や見どころ、お遍路さんとのかかわりなど話し
ていただいた。お一人で接客されている遍路宿は結構多く、しかも比較的ご高齢の方
が多い。コロナ禍で大阪のような都会から遍路にやってくること自体、迷惑ではない
か気が引けているのだが、そんなことは微塵とも感じさせないし、逆に励ましのよう
な心遣いを一杯感じる。口では言えないけれど、どうかご無理なくマイペースでお願
いします、と本日も思った。
 本日道中では、歩き遍路さんとは出会わなかった。自転車遍路さんは10名(と思う
が、何人かは単なるツーリングかもしれない)宇和海沿いの国道を追い抜いて行っ
た。中には声をかけてくれた方もいた。本日の宿の同宿は女性の歩き遍路さん1名と
私の合計2名。
      (本日移動距離、29,4km   すべて歩き40,502歩。  距離、29,4Km)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 25  写真は岩松の遍路休憩所にある、道案内看板

2023-01-13 17:36:41 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(25日目・5月15日)  岩松 三好旅館→松尾トンネル→バス停 石丸→宇和島タ
           ーミナルホテル→旧同僚の豪華お接待料理をたっぷりと
           頂き、大演説会の様相
   6:00起床、7:00朝食→7:40発(岩松の街並みを散策)→9:40松尾峠入り口、遍路小
屋・善根宿→国道56号線を歩く→10:07バス停保田(バス使用)→10:35宇和島駅前→
宇和島ターミナルホテルで荷物整理→市内所要・図書館→18:50Mさん宅でお接待を
頂く→21:45ホテルに戻る
 久しぶりの晴れ。朝出発前に三好旅館の女将さんと写真を撮りあう。長く遍路さん
のお世話をして頂いておられる話を昨夜からたくさん聞かせていただいた。西予から
宇和海さらに土佐宿毛から足摺への道の要衝であったこと、その道を多くの遍路が歩
いていた名残を残す宿でした。造り酒屋や商家などにもその由来が書かれたプレート
が置かれていた。
(遍路宿さんの栄養たっぷりの豪華朝食)
(案内看板)
(造り酒屋と、岩松の古刹 臨江寺)
(町を貫く、岩松川)

 松尾峠を歩く遍路道があるが古くからの道かもしれないが、近年に整備されている
ようだ。遍路道入り口にブロック造りの善根宿の遍路小屋があり、中には布団が置か
れ、『乾かしている』とメモ書きがあり布団は敷かれた状態のままだったが、長雨の
せいかずっしりと湿っており、匂いも。もう少し若ければ潜り込むのだが、さすがにち
ょっと引けた。遍路道を少し登りだしたけれど一昨日までの長雨で足元が悪く、山道
は避けて戻って国道56号線を行くこととした。国道の松尾トンネルを抜けてしばらく
歩き続けると宇和島の街並みに入ってきたので、保田バス停から10時過ぎのバスに乗
り、宇和島市街をくねくねと曲がりながら、10:35にJR宇和島駅に着いた。距離にし
て10km程度の歩きカットか。
(昨日までの長雨も考慮し、結局 松尾トンネルへと)
(松尾トンネル入り口近くの、遍路休憩所の善根宿内部)

 本日は私が大学卒業後、初めて就職した医療機関での同期の看護師さんで宇和島市
出身だったMさんが晩御飯を家でお接待してくれるというので、夕方まで宇和島市内
散策、買い物や資料整理で図書館へ行って時間を使った。自転車遍路をした20年前も
旦那さんとともに経営していたラーメン店で、和歌山ラーメンで美味しいネギチャー
シューとビールを頂いた。今回もまだ商売をされているのかを調べるために、インタ
ーネットをみると評判の店で紹介されていた。午後まで営業で、そのあと準備すると
のことで、夕方までの時間待ちの間にブラっと店を見に行ったら、20年前と同じとこ
ろにあり、商売繁盛の様子。商売中なので顔は出さず図書館へ戻った。夕方に、Mさ
んがホテルに迎えに来てくれて、車で10分ほどの郊外の家に行く。
(人気のラーメン店 ラグマン)
 晩御飯のお接待ということで、ごちそう山盛り。鯛、よこわ、鰹の造りに、天ぷら
に食べきれないほど。旦那さん、娘さん、お孫さん一人と一緒に5人で久しぶりの家
庭団らんで楽しかった。
 Mさんの旦那さんは宇和島で商工会に参加し頑張っておられ、時々は地元のマスコ
ミなどにも登場され、コロナ禍のなか大奮闘しておられる。宴たけなわになってくる
と大演説。その熱いハートは京都時代よりも更に熱いのでは、と思った。たっぷりと
お接待を頂いた後、午後10時に迎えのタクシーに乗り、ホテルへと戻った。お互い
に、楽しく元気でポジティブに長生きしようとエールを交換しながら。
(ホテルから見る、龍光院‐これは41番札所の龍光寺とは異なった寺)

 ※ちなみに、翌日お礼の電話をするとMさんの話では大演説のステレオで、にぎや
かなことにぎやかなこと。”NO WAR”と”Respect HUMANRIGHTS”での話も盛り上
り、楽しかった、とのこと。改めて“楽しく元気でポジティブに長生きしよう”と。
            (本日移動距離 約25.8km   内歩き 約 13.5km   18,461歩)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 26  写真は歯長峠山道の遍路道と県道が合流するところ

2023-01-12 00:23:01 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(26日目・5月16日) 41番札所 龍光寺~42番 仏木寺~43番 明石寺~卯之町。
          20年前に歩き遍路を決意した思い出の場所
 6:30起床7:05発→7:24JR宇和島駅→7:38JR務田(むでん)(コンビニで調達の朝
食)→7:50発→8:10 41番札所 龍光寺8:35→9:25 42番札所 仏木寺9:55→歯長峠への遍
路道→13:10遍路休憩所で昼食(昨日Mさんに作って頂いたおにぎり)13:25→14:40 
41番札所 明石寺15:10→卯之町散策→16:10遍路宿 旅館泊り
 快晴。昨日の宇和島でのMさんご夫妻による大御接待の余韻も冷めぬまま、7時24
分JR宇和島発の汽車に乗り2駅先の務田で7時38分に降りる。無人でベンチだけの務
田駅で昨夜コンビニで仕入れたパンとコーヒの朝食後次の札所を目指す。地元の住民
の方3人とすれ違ったが皆さんに声をかけて頂いて挨拶を交わした。それにしても相
変わらず歩き遍路さんに限らずあまり遍路さんには合わない。
(龍光寺境内・左、と参道の石段・右)

 8時10分に第41番札所 龍光寺に到着。宇和島市街地からは少し離れていて標
高も
190m。お参りをすますと、やがて自動車遍路さんやバスツアーの遍路さんもやって
きて、なぜか少しホッとした。
(仏木寺への遍路道で。天保年間の道しるべ)
(仏木寺の仁王門)

 次の札所を目指して、歩き遍路道を辿った。新しく遍路道を作ってくださっている
のと思うが、やはり古道とは違って多少歩きづらくはあった。9時25分に第42番札所 
仏木寺(ぶつもくじ)着。山門前の広場は無くなって立派な家が建立されているどこ
ろか少し先には松山自動車道の高架がデーンと構えている。山門前の遍路休憩所の東
屋はそのまま。当時は門前にアイスクリーム屋さんや駄菓子屋さんも出ていて静かな
環境だが賑わいがあった。本日、私は一人で座り当時を偲んだ。
(左・仏木寺境内、中・戦争反対のお祈り、右・門前の東屋)

 20年前、おじさんの遍路さんと若い女性の遍路さんが楽しそうに話していた。二
人はけらけら笑いながら、若い女性はどうやら大阪の芸人修行中のようだった。
 「昨日は公園でテントで寝たんですよ。」
 「へえ、今日はどうすんの?」
 「今日も適当なところでテント泊まり。」
 「ええなあ。泊めてえな。」
 「ええよ。高いで。」
 そんな話を大声で笑いながらしていて、当時私はアイスクリームを食べながら、遍
路をするということは、気取ることなく人の心を軽くするのだなあと、じわーっと思
った。その時の思いは、自分が旅立つまでには歩き遍路を通し打ちでしをしようと決
めた結構大きな動機を持ったことだ。
 しばらく思いにふけっていたが、次の札所を目指す。部分的に県道31号と交錯する
が、ほとんどは歩き遍路道を辿る。この辺りは歩き遍路道も古道が残っているようで
歩きやすい。標高400mの歯長峠を越えるが、数年前の台風で発生した崖崩れの最上
部に臨時につけた細くて不安定な道を通過するのに緊張。山道に慣れていない人は通
れないかもしれない。13時10分ごろに東屋の休憩所があり、2回目のコンビニのロー
ルケーキで昼食。道はよくはないが、途中で展望できる場所があり、振り返れば宇和
海が一望で、天気が良ければ足摺岬まで見える、と看板が出ていたが、本日遠望はで
きず。東屋から上は道が整備されていないということなのでパスして逆方向の県道歩
き。
(明石寺へ向かう遍路道) (ちょっと危ないところも)(県道と合流。右に上がれば休憩所)(歯長峠。宇和海の奥は足摺岬だが)

 道迷いもしながら14時40分に43番札所 明石寺(めいせきじ)着。古い卯之町の
里寺のようだが、明石寺は標高280mで結構ハード。落ち着いた風格を感じる寺。お
参りの後本日の宿泊予定の遍路宿・旅館を目指す。
(明石寺への遍路道にある休憩所)(明石寺の山門)(本堂へ向かう参道の階段)(明石寺の静かな境内)

 宇和高校や歴史博物館の横を通り、卯之町の市街地に出てきた。卯之町は20年前
は古い街道の町でしっくりと落ち着いた町だった。JR卯之町駅も周りに何もなく駅
前の賑わいもなく、当時はセピア色がしっくりと落ち着く雰囲気の、素敵な古い街
道街だった。
 今では、高校や総合庁舎や郵便局やら新しい建物多くが作られ、駅前も整備されて
奇麗になっている。20年前に宿泊した少しレトロだったビジネスホテルはもう無い。
国道56号線沿いの町は、20年前とは全く景色が変わり、この町は景色だけでなく、人
の営みも若者が増えたこともあるのだろうけれど、活気が感じられて全く変わったよ
うだ。
(卯之町の案内看板)
(古い町並み①)(街並み②)(街並み③)(遍路宿の立派な夕食)

 ただ、国道の一筋東の旧街道は、今でも昔日の雰囲気を十分に残している。駅から
少し東、国道を超えて旧街道に入ったすぐのところに、本日の遍路宿さんがあった。
こちらでは女将さんがご挨拶に見えられたが、担当ということで若い女性の方に接客
をしていただいた。少し珍しい思いもしたが、この旅館さんは卯之町の歴史が漂う街
並みにすっかり溶け込んでいるし、多くの遍路もお世話になっているようだが、家族
連れの常連さんのようなお客さんも、来ておられた。玄関は、まったく派手ではない
けれど、旅館の中庭はとても手俺が行き届き、立派なのに感心した。

              (本日移動 約37.5km   内歩行 37,806歩 約27.4km)



四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 27  写真は内子町の内子座

2023-01-11 11:36:25 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
  (27日目・5月17日)  卯之町~JR大洲~内子から松山へ、路線バスで久万高原
          に登り、44番札所大宝寺。内子から高原まで歩こうかJR
          とバスにしようか随分迷って、結局JRとバスで。久万高
                                 原では歩き三昧。
   6時起床→7:30発→7:59 JR卯之町→8:28 JR大洲→番外霊場 十夜が橋→10:40 JR大
洲→10:52 JR内子→内子座ほか内子町散策→10:40 JR内子→12:12 JR松山→昼食後
12:50JR四国バス→14:58 久万中学校前→44番札所 大宝寺→16:35 遍路宿 着(泊り)     
 快晴。6時起床→7:30発→7:59 JR卯之町→8:28 JR大洲→番外霊場 十夜が橋→10:40
JR大洲→10:52 JR内子→内子座ほか内子町散策→11:40 JR内子→12:12 JR松山→昼食
後12:50 JR四国バス→14:58 久万中学校前→44番札所 大宝寺→16:35 遍路宿着(泊
り)
 43番 明石寺から44番 大宝寺までの距離は65km以上ある。標高差も500m以上。今
回の遍路を計画した時から、ここを歩き通せるかどうかは『腰次第・メンタル次第・
資金とスケジュール次第』と思っていた。宇和島あたりから考えていたが、腰・メン
タルはOKだが特にスケジュールがかなりタイトになってきた。6月5日には必ず帰阪し
なければならないし、この先も楽しみにしている横峰寺、三角寺、雲辺寺、弥谷寺、
菩提の道場の五台山から結願までの行程があり、結局卯之町からJRとバスで久万高原
町へ行くこととした。但し、途中の大洲、内子は散策して、88か所の丁度半分になる
43番大宝寺と44番岩屋寺は歩き三昧、そして交通機関の普及していなかった昔の遍路
さんにとっては、たぶん最もきつい箇所の一つであろう、山岳修験の場に、目一杯浸
ろうと決めた。
(卯之町の遍路宿さんの豪華朝食)
(遍路宿から朝の 卯之町。旧市街)
(食事場所からの中庭)

 遍路宿での朝食は豪華で大変ありがたかった。朝見ると食事の部屋の前は広い中庭
で、よく手入れされていて、この旅館の雰囲気というか風格のようなものを感じさせ
てくれる。お客さんは遍路も多いようだが、常連のような家族連れの方もおられるよ
うだ。食事部屋が合同の食堂ではなく個室になっていて、同宿の方と話すことはなか
ったが、上品な素敵な宿でした。しかも料金は普通の遍路宿さんと変わりなく、感
激。
 出発の時に女将さんから”NO WAR”のゼッケンについてのご意見を頂いた。
 「本当に戦争はだめです。どうぞ、私の分もお参りをしていただきますように。」
 と、心のこもった激励を頂き、大感激。勿論、納札を受け取っていただきました。
(すっかりきれいになったJR卯之町駅前広場)
 JR卯之町7:59発の列車に乗り、八幡浜経由で8:28大洲駅着。20年前と景色が変わっ
ているのは、通勤通学などで卯之町には結構活気があった、ということ。
 大洲駅で降りて。大急ぎで番外霊場 十夜が橋(とやがばし)に向かう。道はなるべ
く古道の遍路道を探すのだが、岩松や卯之町のような情緒もなく、ほとんどが交通量
の非常に多い国道56号線の歩道を歩く。おそらく高速道の松山自動車道工事区間のバ
イパスになっていて余計に交通量が多いのか。20年前に自転車で工事中高速道の一部
開通区間に迷い込み、慌てて次の出口を目指したことも思い出した。駅から約40分ほ
どの歩行で、十夜が橋着。56号線の橋の下で弘法大師が野宿したとの言い伝えがあ
り、横になった大師の像が置かれ、夜具や花などが供えられていた。今でも遍路さん
がここで野宿されることもあるそうだが、橋のたもとの霊場が永徳寺で、宿泊も可能
のようだ。
(左・JR大洲駅、右・十夜が橋の下の空海野宿のモニュメント)

 時間が迫ってきて、バスで駅まで戻ることにした。10:30頃に大洲駅着、40分の列
車に乗り52分にJR内子駅着。内子町は古道の遍路道の風情が残っており、大急ぎで散
策。特に有名なのは今も歌舞伎が公演される 内子座。四国では金毘羅歌舞伎の金丸座
と並んで有名。今回は内子座の中を見学して、案内のガイドの方に記念写真なども撮
っていただいた。内子ではかなり昔からの遍路さんが多くお世話になっている老舗旅
館などもあり、町の規模はこじんまりしているけれど、観光客も多く活気を感じる。
(上左・JR内子駅、上右・内子の街並み、中左・有名な内子座、中右・内子座の舞台で、下・舞台下の奈落)

 遍路道はこの先56号線とは分かれて、国道379号線、380号線へと続き、古道の遍
路道の名残や遺構も多くなってくるのだが、内子町から久万高原まで何分距離が長
く、歩きで述べ1日半はかかりそう。そこで、一旦JR内子駅に戻り、11:40発の列車に
乗りJR松山へと向かい、松山からJR四国バスで久万高原へと向かうこととした。
 11:40内子発の列車に乗り、12:12JR松山着。食事後12:50発のJR四国バスに乗車、
14:58に久万中学前停留所。バスでも長旅だった。
(久万高原町の案内看板)

それも結構な高度を登って行った。
 本日中に44番札所大宝寺にお詣りを、と思い寺への遍路道を行くと県道の歩道を
掃除している男性に声をかけられた。
 「歩き遍路?」
 「そうです。でも日程と資金の都合で所々でバスやJRに乗ってますけど、室戸の東
側と足摺岬以外はほとんど歩いてます。卯之町からここまでも私の足とお詣りや遍路
道の良さを見ていると3日がかりになるので、一旦松山へ出て大洲と内子を見学し
て、あと松山に行ってそこからバスで登ってきました。」
 「へえ、えらいもんや。よう頑張ってはるね。」
 とか話出し、ご自身はバスの運転手をしており、40年間無事故。四国も歩き遍路を
何回かしており公認先達で、その経験を生かして会社から頼まれて去年まで四国だけ
でなく秩父34観音霊場や西国33箇所のバスツアーでガイド兼任の運転で回っていたこ
と、昨年退職してこちらに移り住んでいること、44番・45番札所、三坂街道のこと等
沢山話していただいた。てっきり私より先輩かと思ったけれど、聞けば同年齢だっ
た。”NO WAR””Respect HUMANRIGHTS”のゼッケンも話題になり、
 「えらいねえ。頑張ってください。」
 と激励された。
 1時間近く話し込み大宝寺の寄り道で目算していた久万町立美術館も閉まってしま
ったどころか、大急ぎで大宝寺に向かう。16:30に大宝寺。ここは更に奥の岩屋寺の
前衛の寺のような立地なのだが、周辺の札所からかなり離れた山岳修験の雰囲気を持
った厳粛な山寺。参道から振り返れば久万高原町の街並みが見渡せる。
(大宝寺の参道と山門)
 お参りを済ませて、久万中学校の方に戻り、本日の遍路宿に帰り着いた。外見は料
理屋さんのような雰囲気だが、2階が宿泊施設になっていて、お接待の心遣いにあふ
れる素敵な宿だ。歩き遍路さんが数人と旅行客が数人、そして夕食は料理屋さんもし
ておられるのか、食事のお客さんやらで和やかな雰囲気で賑わっていた。そして夕食
のおかずは、ここでも鯛のあら。しかし唐揚げなので、食べ易かった。

 
(本日の遍路宿さんの夕食。ここでも鯛荒)                                                                      
        (本日移動距離、70.4km  うち歩行、23,604歩  17,2km)