【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ エピローグその1(写真は明石大橋をくぐる。娑婆へ帰った。)

2023-02-21 13:39:56 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ エピローグ
  四国曼荼羅花遍路‐通し打ち45日のマイウェイ‐ エピローグその1

 四国曼荼羅花遍路‐通し打ち45日のマイウェイ‐のエピローグをアップします。少し分
量が多いので、2回に分けてです。プロローグより分量が多くなりましたが、その分多
くのことを学び、新たな価値観を実感できたからでしょう。続編は引き続きアップし、
次回のブログアップ(カテゴリーが代わりますが)まで、エピローグをトップにアップ
します。

----- 以下 エピローグその1本文 -----

(履き潰してしまったカジュアル・サンダル。心強い相棒だった)

  エピローグ

遍路宿のこと
 四国遍路の通し打ちをしていると宿泊と食事の計画が必須となってきます。そんな
ときにメンタルの支えとなっていただける心強い味方は遍路宿さんです。
 この記録(以下『本文』と書きます)ではまとめて遍路宿と書いていますが、その
形はいろいろです。宿坊、旅館、民宿(本文ではこの違いは屋号に準じて書いていま
す)、ゲストハウス風、ホテル風、無料で泊まれる善根宿、さらにはスーパー銭湯と
か宿泊ありの温泉施設やビジネスホテルなど本業が商業施設として営業されながら
『お遍路さん歓迎』ということで宿泊や食事が可能で便利で気持ちのこもったお接待
をして頂ける施設も四国にはたくさんあることが、歩いてみると改めて良く分かりま
した。また歴史を刻み、歴史を感じさせる古い建物から、最近改築されて奇麗で快適
で便利な遍路宿さんや多種多様です。食事の方も屋号に関わらず二食付きや素泊まり
のみなど。宿のご主人や女将さんの世代も、ご高齢の方が多いのですが、現役世代の
方たぶん現役世代の方は兼業が多いのではないかと思いますが。一人で切り盛りされ
ておられる宿やご夫婦で、あるいは従業員の方を雇用、あるいは共同管理で営業され
ておられる方など、いろいろです。少し驚いたのですが、何処にでもいろんなところ
から四国に移住されたり、若者がUターンで四国へ戻ってきたりして、遍路宿やら喫
茶、レストラン、食堂などお接待に関わる施設を営業されておられる方に出会うこと
が多かったです。
 共通しているのは、一般的な商業施設にはないお接待の思いや心遣いがごく自然と
伝わってくることです。今回お世話になった遍路宿さんは予備知識もなしに遍路地図
に紹介されている施設にランダムに連絡をしてお世話になった一期一会のご縁です
が、遍路宿さんは他にも多くあり、その多くの遍路宿さんも同じようなお接待の気持
ちで開宿されておられることは、宿でのお話やいろんな情報で、十分に分かります。
 ある遍路宿で伺った話ですが、長引くコロナ禍で遍路さんが極端に少なくなり、ご
高齢のご主人や女将さんで、これを機に引退=廃業されたところも多くあるというこ
とです。確かにかつては賑わいのある寺前通りが現在は閑散として灯りも点いていな
いという街並みもありました。私も今回まで四国遍路通し打ちが遅くなった理由の一
つは、コロナ対策で評判の良くない大阪府からわざわざ四国霊場にコロナ・ウィルス
を持ち込んではいけない、不安を持ち込んではいけないという思いがあり、自分の欲
求のままに通し打ちをすることは迷惑ではないかという気持ちをずっと持ち続けてい
ました。通し打ちで結願を達成しえた今、ご迷惑をかけたのではという気持ちは今も
ありますが、それにもまして心休まるお接待を頂いた四国曼荼羅ワールドの皆様に、
心からの感謝の気持ちをお伝えしたいと思っています。

 なお、本文ではご了解を頂いた遍路宿さんのほか、宿坊と生業として宿泊客を受け
入れられているビジネスホテル、旅館、温泉施設などは、そのままの屋号で紹介させ
ていただいています。ご了解を頂いていない宿は 単に『遍路宿』と書いていますが、
他意は全くありません。

  四国曼荼羅ワールドの重要な『要素』
 四国のへんろ道のあちこちに、『へんろ休憩所』『おへんろサロン』『お接待所』
などいろんな施設が点在しています。普通の東屋や、オープンなウッドハウス風、民
家の一室、臨時テント、在所のお地蔵さんなどの集り処、プレハブやちょっとしたコ
テージとかいろいろです。全部の施設に立ち寄りたいのですが、そうもいかず『今日
は歩くぞ』と決めた日などは、素敵な接待所に出会うと本当に後ろ髪を引かれる思い
ですが素通りと言うことになります。接待所や休憩所は無人で施設だけであっても中
には情報交換のノートがあったり文具などのお接待グッズを用意しているところが多
く、時間があれば立ち寄りました。地元の皆さんがお接待をして頂いている所では、
お茶やお菓子のお接待、おにぎりなどの行動食などを頂けることもあります。そして
何よりも皆さんと話をするのが得難い経験になります。
 いろんなお話をして頂いてよく喋っていただけるのですが、それが何よりも心地良
いのです。遍路に対して尊敬や敬愛がじっくりと感じられて、それが私への心地良い
自己肯定感の高まりとして伝わってきます。勿論新しい経験知を得ることも沢山あり
ます。接待所だけでなく道を歩いていても話しかけられたり、お菓子や果物や飲み
物、行動食、中には現金を頂くこともあります。
 こういったいろんなお接待やお接待所もすべてが『要素』となって、四国曼荼羅ワ
ールドが空気のように拡がっている、そんな思いがします。『四国曼荼羅ワールド』
という言葉は私が勝手に使っていまして、『公用語』ではないのですが、私に絵心が
あれば是非まったりとした世界を描いてみたいのですが。

  反省したこと
 そういった四国曼荼羅ワールドの中で、反省したこともあります。
一つは遍路宿に関わってですが、慣れてくるとかえって遍路宿への予約が前日となる
場合が少なくありません。最初のうちは今日はここまでは何としても到着するといっ
た計画がノルマになって、それが3日程度の予定として、それに合わせて遍路宿も予
約します。そして荷物なども先送りしていましたが、修行の道場と言われる高知県に
入ってくらいから、お接待を頂いた方々と談笑したり、古仏や地蔵さんやらがあった
ら碑銘を読んで昔を偲んでみたり、あるいは景色に驚嘆して写真撮影やゆっくりした
り、時には昼寝もしたりで予定通りに行きません。修行の道場と言われる高知県の西
半分に入ったあたりからは、先の詳細予定は立たず、遍路宿についてそれから天候や
体調を考えて翌日の予約をするいった『その日暮らし』状態となっていました。その
せいか、ある遍路宿さんでは午後7時ごろに翌日の予約の連絡をしたところ、女将さ
んとご主人とでしょうか相談されていたようですが結局断られてしまいました。その
時は、きっと忙しいか予定がお有りかと思ったのですが、こういったやり取りがあり
ました。

 「いつの時間でも泊めてくれるホテルがありますよ。」

 と言われ、電話番号を教えて頂きました。早速電話をしてみると、

 「チェックインは午後6時で、それより早くなる場合は1時間に付き千円頂きま
  す。」

 とのことで対応がかなり事務的なのと、料金システムからしてラブホテルではない
か、と思いとりあえずこちらから遠慮しました。幸いすぐに別の遍路宿さんの予約が
取れたのですが、ことの顛末から、電話のやり取りの雰囲気から私のマイペースさや
真剣さの不足とかが原因で断られたのかなあと、少しショックでもあり、また反省も
しました。のちほどそのホテルをインターネットで調べると、以前はラブホテルであ
ったが最近改修してシティーホテルとして営業、観光のファミリー客や遍路さんも利
用するとのことでした。
 とにかく、宿の予約の連絡は商業施設以外では予定の前々日、遅くとも前日朝まで
にはしておきたいものです。自分が遍路宿を運営する立場で考えれば、当然と思いま
す。

 反省の二つ目は、ある遍路宿さんで夕食時に皆さんと和気藹藹で話していたのです
が、十代のころから四国遍路を始められた年配の方との会話はこんなものでした。

 私「すごいですね、大ベテランの大先輩ですね。ところで何で遍路を始められたの
   ですか?」

 その方「私は、子供のころ体が弱くて、元気に育つようにと言って母親に連れられ
     て遍路をはじめました。」

 瞬間、大反省。

 私「そうですか。大変だったですね。」

 とだけ言って、話題を変えました。四国遍路をする理由は私のように『楽しく元気
に長生きしてマイペースでマイウェイ』などと『浮かれて』いるのは、ひょっとする
とごく少数かもしれません。個々の皆さんそれぞれの理由で『覚悟の遍路』をはじめ
られる。そこには決して楽しくはない悲しく辛い思いが凝縮されている場合も歴史的
には多くあります。今でもそのような思いを持って遍路をされておられる方も少なく
はないでしょう。何気ないつもりの私の問いかけも、同じように自分本位のマイペー
スが相手の人や周りの人達にどんな思いを抱かせるかという配慮がまったく欠けてい
たからだと大反省の思いです。
 『曖昧の心地良さ』はとても大事だと思います。何かのきっかけで問い詰めたり、
説明を求めたりするのではなく、その方の思いや考えは全て受け入れることによっ
て、相手の方に対する尊敬の態度を自然と伝えることができます。自分もまた相手の
方に受け入れて頂くことによって、心地良く自己肯定感を実感することができる、そ
ういった『曖昧の心地良さ』は、お接待の心遣いにも通じるのではないかと思いま
す。
  (その2に、続く)

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ エピローグその2

2023-02-21 13:39:26 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ エピローグ
エピローグ その2です。次回のブログアップ(カテゴリーが代わりますが)まで、エ
ピローグその1、その2、をトップにアップします。近日中にカテゴリーを変えて記事
をアップします。

----- 以下エピローグ その2 本文-----

      お役立ち情報(…かな?)
 お役立ち情報、(…かな?)と思うことをいくつか報告します。いずれもあくまで
私の場合であって、決して『普遍的正解』ではありませんので、あくまでご参考まで
に御笑見頂ければと思います。
 まず、何よりも第一に足元、履物です。歩き遍路の無念のリタイアで一番多いのは
おそらく履物が合わず、結果足の激痛でリタイアということかと思います。20年前の
自転車遍路の時は、徳島県の平等寺から薬王寺へ向かう国道で、金剛杖を頼りに足を
引きずり、泣きながら少しずつ歩を進める若者に出会いました。その時は何も声掛け
もできなかったのですが、いまだに忘れられません。私自身白峯寺から最後の結願だ
けはと思いパートナーと歩いて遍路をしましたが、登山靴を履いて行ったため、足指
が白化するほどにダメージを受け、87番長尾寺で無念のリタイアを決断しました。た
だ、その時はリタイアのバスの便を調べに営業所へ寄ったところ、結願の寺大窪寺ま
での路線バス(現在はコミュニティバスになっている)を教えてもらい、何とか結願
に至りましたが。今回も、徳島県で焼山寺から降りてきた宿で、通し打ちで来た遍路
さんが靴が合わずひどいマメに耐え切れず、ここでリタイアと言っておられたり、観
音寺市の本山寺でお会いした方はかなりの健脚のようでしたが、結構なウォーキング
シューズを履いておられたのですが、やはりそれが合わず足痛で、徳島の遍路ころが
し手前で断念し、思案しながらJRを利用して逆打ちで交通機関利用遍路をしてここ
(本山寺)まで来たけれど、この先は無理かと思っている、とのこと。その方は、そ
の時の私の足元がカジュアル・サンダルだったのを見て、『結構ラフで不謹慎』とも
思いつつ、興味を持ち声を掛けてきたとのことでした。
 私の足元はと言うと、前回の教訓もあり絶対足にフィットして足にストレスを掛け
ないもの。私はかなり酷い外反母趾であり、かつ偏平足の甲高で、市販の靴では全く
足にフィットしません。今回も履き慣れたウォーキングシューズを履いてきたのです
が、早くも2日目には足が悲鳴を上げました。
 3日目には持参のカジュアル・サンダルに履き替えて吉野川の開拓農地や潜水橋な
どを歩いて遍路をしましたが、これが大正解でした。4日目は遍路ころがしでサンダル
では無理なのでやむなくウォーキングシューズ、しかしそれも焼山寺の境内ではサン
ダルに履き替えました。この先考えれば多少地道でも可能な限りサンダルで、それが
超変形足の私にはフィットしています。但しサンダルと言ってもスポーツ系で、滑り
にくく踵はベルトなどがきっちりついたものが必要かと思います。ウォーキングシュ
ーズは宿毛まできて家に送り返し、布製の柔らかい安価なスクールシューズのような
スニーカーを仕入れ、イチかバチかで以後の遍路の山道ではシューズに履き替えまし
たが、これも正解で、すぐに足に馴染んで足痛に悩まされることはありませんでし
た。大阪から履いてきたサンダルはやはり道中でへたってしまいました。ところが道
中スポーツ系のカジュアル・サンダルの置いてあるスポーツ品店がなく、宇和島まで
行ってやっと代わりのサンダルを仕入れました。まったく『正統派』ではなく、いい
年してラフな感じですが、私はそんな足元で今回は大成功。

  2番目のお役立ち(…かな?)情報は地図です。
 地図は必須で、今回は「四国遍路ひとり歩き同行二人 地図編」(へんろ道保存協
力会監修・発行、本文中『遍路地図』と表記)を使用しました。遍路地図は詳細で最
新の情報が載せられ、巻末には遍路宿の紹介と連絡先も掲載され、大変重宝しまし
た。ただ、これは個人の認知機能の問題でしょうが、私の場合は『北が上』の地図で
ないと位置、方向のイメージが全くといっていいほど分からなくなります。遍路地図
は地図のページのスペースに合わせ、次の札所までの道を方角と地図上の上下左右と
関係なくランダムに書かれています。私の場合、日本中もっと言えば北半球では日中
でしたら晴れていればどこに行っても方角が分かります。日差しと時間と景色でほぼ
間違いなく東西南北はわかります。山に行くときはあらかじめ地図を見て、どの方角
に山、平地の展望、尾根、谷とかイメージができて行動します。所属していた山岳会
でも私の役割は、歩荷(荷物担ぎ)とルートファウンディング(道探し)でした。そ
のため今回の遍路地図では大いにパニクリました。59番札所 国分寺から 60番札所 横
峰寺へ向かう道では、間違いなく東に向いて歩いているはずなのに、瀬戸内海が右手
に続いています。川や入り江ではありません、間違いなく瀬戸内海であることが分か
ってパニクリました。1時間以上前に今治の市街を離れたのですが、再び市街地が近
づいてきました。やむなく分けが分からない状態で大きくUターンして、再び1時間以
上かけて、やっと左側に瀬戸内海を見ながら自分の気持ちもフィットしながら東へと
向かう遍路を実感することができました。遍路地図では北が下、つまり真逆の方角で
書かれています。
 これらは、遍路地図が不備と言うことでは全くありません。多分ナビゲーターなど
に慣れておられる方には分かり易い地図なんだろうなあ、と思います。これほどでは
ないけれど、道迷いの小パニックは何度もあり、都度地元の方にお世話になりまし
た。個々人の地図情報に対する認知機能と言うか慣れの問題と思いますが、私のよう
にかたくなに『上が北』の人間には少ししんどい地図ですので、老婆心ながら。

  その他気付いたお役立ち情報ですが、『荷物の先送り』も有効でした。
 歩き遍路ですと遍路宿泊まりでも荷物の重量は10kg程度にはなってしまいます。私
の場合、モバイルパソコンにケーブル類も持参ですので10kg超になります。そんな
時、3~5日先の宿泊所でビジネスホテルなどの商業施設の場合不要不急の荷物は、そ
の宿泊先に先送りしました。荷物は当面の着替え、タオル類、スニーカーかサンダル
の履き替え用、あと行動食とポカリスェットくらいで、軽くしていきました。但し、
これも送り先が商業施設の場合のみで、天候の加減で遅れても連絡だけで対応してい
ただける場合に限ります。旅館、民宿、ハウスさんなどは個人あるいはご家族で管理
されているところが多く、荷物を『送りつける』とかえってご迷惑をかけるかもしれ
ませんので、重々ご配慮を。
 
  もうひとつ。これも私の場合は、と言うことですが、マイペースで行くのが通し
  打ちの秘訣の一つかなあと言うことです。
 最初の計画した時には、全長1,300~1,400km、45日間連続歩き通すのは脊柱管狭
窄症、網膜剥離術後、黄斑上膜等のリスクが気になり、おおむね3勤1休の予定を立て
ました。実際は室戸半島を回るまではそのペースでしたが、慣れてくると遍路が楽し
くなってきて、松山を過ぎてからは高松まで1休は無し。それでも快調に遍路を続け
ることができました。マイペースは道中でも。私は宗教の教義とかは不案内で、実は
般若心経も唱えられません。それでも山岳修験の寺へ行ってじっくりと山の雰囲気に
浸ったり、山岳修験の由来なんかを何とか碑銘を読んでみたり、寺の僧侶さんがおら
れたら話をお聞きしたり、古代宗教や行者の世界に思いを馳せたりもしました。勿論
遍路中によく四国、近在の方にお声掛けを頂くのですが、そんなときもゆっくりお話
をさせていただくのも好きです。私にはこれらのことが自分の遍路のマイウェイの中
に捻じり込まれて、それらが新しい財産になってきたように思います。今回も遍路中
に親しくなっていろいろと話した方もいましたが、通し打ちとなると、いつのタイミ
ングでも「ここからは、それではマイペースで。」「See you again.」
を躊躇しません。マイペースが結願への秘訣だろう、と本当に思います。もしパート
ナーと一緒に結願まで、というときは、フィジカル、メンタル、社会的諸条件すべて
ハンデのある方に合わせる、遍路中の興味関心は無条件で相手に合わす、等のまた違
った『覚悟』が必要です。これも今回通し打ちをしたうえで、新たに実感したことで
す。

 他にもお役立ち情報(…かな?)と思うかともありますが、本文をお読みいただい
た方でご質問等がありましたら、分かる範囲でお答えさせていただきますので、どう
ぞご連絡いただけましたら、お答えいたします

 長々とエピローグを書きました。本文もろとも拙い文書でしたが、プロローグでも
書いたように本文は私の通し打ちの記録として留めておきたいことを、プライベート
ブック(私本)にして纏めました。最終原稿の版下の状態にまで自分でワードとテキ
ストの貼り付けで作成し、印刷・製本を業者さんにお願いしました。ということで長
い時間がかかり、拙い文書も奇麗にならずとても社会に公開できるものには全く至っ
ていないのは、重々承知しております。にもかかわらずお読みいただいた方、本の製
作にご協力いただいた皆様には感謝をいくらしても及ばないでしょうが、改めてお礼
と感謝の意をお伝えしたいと思います。
 そして何よりも、四国遍路通し打ちで私のマイペースにもかかわらず、本当に心の
こもったおもてなしを頂いた四国の皆様に深く感謝をいたし、そのいくらかでも受容
して頂けましたら望外の喜びです。
                                   (完)


※参考資料・文献
 「四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編」(へんろみち保存協力会・第12版)
 「四国遍路の世界」(愛媛大学四国遍路・世界の巡礼研究センター  ちくま新書)
 「歩く旅シリーズ 四国八十八ヵ所を歩く」(山と渓谷社  2000年4月初版 第1刷)
 「四国遍路 作法とお経の意味」(百万人に、お遍路を伝える会  1番札所霊山寺内)
   他各札所、遍路サロンで頂いた配布資料等

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ プロローグ(写真は結願の寺 大窪寺にて)

2023-02-07 16:48:09 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ プロローグ
プロローグ

 2022年4月21日雨の中、四国八十八札所遍路通し打ちに出発し、6月1日に結願、6
月2日・3日とお礼参りで1番札所 霊山寺に打戻りで、四国遍路の路を繋ぎ通しまし
た。路線バス、JR、3セク鉄道など一部公共交通機関も使用し、スケジュールのリミ
ットとの関係で松山から高松までは、現地で購入したママチャリを移動手段として使
用いたしましたが、山岳修験の寺も含め約800km以上は歩き、200km以上は電動アシ
ストでない足踏みママチャリで通し、予定通り45日で通し打ちをやり遂げました。究
極の『マイウェイ』でありましたが、ひとえにマイファミリーや多くの皆様の温かい
ご理解とエールを抜きにはありえなかったことで、心より感謝しています。
 『四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ』は、記録に残しておきたいと思
い4月21日のスタートから毎日モバイルパソコンでその日の記録を書いたものをブロ
グにアップしていったのですが、さすがに連日の30km前後の歩きや山登りで、涅槃の
道場(愛媛県)に入ったあたりからは遍路宿へ着くとまずバタンキュー、入浴、食
事、早寝でそれもかなわず、4~5日ごとのリラックス日にまとめて書くようになりま
した。四国での多くの皆さんとの一期一会にこの年にして新しい経験知を重ねること
ができているんだなあといった実感に、もっとこの時間を大切にと思い、毎日随時手
帳に記録を残し、結願して帰阪後時間を作って記録に残すことにしました。
 幸い、手帳に記録を残す習慣はずっとあり、デジカメの1,000枚以上の写真と合わ
せ、私のマイウェイをの行動を再現するのには困らなかったのです。ただ、帰阪後涅
槃の道場も過ぎて菩提の道場(香川県)に入ってのブログアップの原稿を書いてい
て、毎日の遍路が楽しくて仕方なくなってきたのを思い出したのですが、今後電子書
籍化するにあたって、この『思いや気付き』は日々の記録には留めていないのでブロ
グのアップ終了の前にプロローグに残しておこうと思ったのが今の率直な気持ちで
す。時系列でいうと、マイウェイを終えてエピローグで記すものかと思いますが、涅
槃の道場に入って結願からお礼参りの打戻へのワクワク感は、何とか忘れないよう
に、との思いです。
(寺前街の参道からの 1番札所 霊山寺の山門。好きな景色です。)

1.自分の思いの移り変わり
 (出発前の思い)四国歩き遍路通し打ちは自分が彼岸に旅立つまでの目標の一つで
した。コロナで動けない状態が続いているときに、プーチン(あるいは彼を支配する
好戦者達)らがウクライナ侵略戦争という絶対悪の蛮行を行い、これに対する意思表
示として#NO WAR #Respect HUMANRIGHTS のキャンペーンを四国遍路とジョイ
ントしようと思いました。プレスリリースや高知県で断酒会への参加、ウクライナ支
援のクラウドファンディングなどのアイデアも合わせ、最初はかなり入れ込んで、
『受け狙い』を考えました。ただ、パートナーからの指摘もあり、『受け狙い』はト
ーンダウンしましたが。
 (徳島県を過ぎた頃からの思い)発心の道場と言われる徳島県は、JRを述べ7駅間
と阿波海南から甲の浦間の鉄路とバスの両用のDMVを利用しただけで全部歩き通し。
室戸半島東側は最初から路線バスと決めていました。路線バスに乗りながら雨に祟ら
れ厳しかった徳島で出会った人たちに思いを馳せ、室戸岬を過ぎて室戸半島の西側を
歩いているうちに、『受け狙い』は止め、真摯に遍路をしよう、と決めました。『究
極のマイウェイ』どころか『究極の自己満足だった』と恥ずかしながら気付きまし
た。めげそうになるメンタルを自分で叱咤したのは、修行の道場といわれる高知県に
入ってからだったと思います。
(歩き遍路へのウェルカムゲート 横峰寺山門にて)

 (通し打ちを結願しての思い)88のすべての霊場を打ち終えて、そしていろんな思
いがありすぎて、率直なところ『心が軽く歓喜の思いのカオス状態』です。遍路の通
し打ちは、体力(健康)、メンタル(健康)、社会的諸条件(資金、仕事、社会活
動)等の限界に身を投じるわけです。それは究極の『マイウェイ』だと思います。そ
れをさせてくれた皆さん特にファミリー、励ましてくれた友人や仲間の皆さんたちに
心底からの感謝です。
 結願の宿、民宿八十窪で同宿だった女性一人男性は私を含めて三人でしたが、全員
通し打ちでの遍路結願で、皆さんそれぞれ自分の遍路道を打ち終え、気持ちがとても
軽くなったのと90才の大女将さんや女将さんの心のこもったおもてなしに、皆さんほ
っとしたのでしょう、話が弾みました。私はその時改めて『とにかく楽しかった』思
いを実感しました。そして出発の時の思いである『楽しく元気で、ポジティブに長生
きしなければ損だ!!』を改めて自分のこれからの人生のアンカーに、と思ったこと
です。感謝、感謝。

2.『曖昧』の心地良さ
 なぜ、これほど心地良いのか、何故『是非また来たい、来るぞ』とワクワクするの
か考えてみました。いま、私なりに分かってきたことは2つあります。あくまで私な
りに、です。
 一つは四国の皆さんがたの『お接待』の心遣いが、まったりとまろやかに伝わって
くる心地良さとでもいったことです。つまり、お接待をして頂く皆さんの心遣いや優
しさは遍路に対して、何の見返りも求めず唯々遍路に対する尊敬、敬愛を頂かれて、
私の場合、それがじんわりと目一杯に伝わってきて、何とも言えない心地良い自己肯
定感の高まりへと拡がっていくといった実感でしょうか。
 もう一つは、四国の遍路宿や地元の皆様やほかの遍路さんともちろん毎日よく出会
うのですが、
 「なんで、遍路をされてるのですか?」
 という遍路をしている理由は聞かないのが当たり前の暗黙のマナーのようなものを
感じています。簡単な自己紹介くらいはしたり、特に歩き遍路は山屋が多いのか、た
またま山の話題になると結構話が弾むことがありますが、肝心の遍路の理由は話すこ
とがないようです。
 実はそれがいいのです。例えばですが、信仰の宗派の教義のためと言っても、空海
さん縁で真言宗のお寺が多いかというと、分かりません。ほとんどの寺には『〇〇宗 
□□寺』とは書かれていません。単に寺名のみです。外国人のお遍路さんは、おそらく
空海さんと真言宗と四国遍路の繋がりなんて研究者でない限り『お話』の世界でしょ
う。私自身そうですが。中には通し打ちの理由について、早回り記録を残す、何回回
ったか記録を残すとか。早回りもトレラン系もあれば鉄子さん、鉄ちゃんの世界もあ
ります。100名山番外編とかもあります。しかし歴史的には負の巡礼もあったわけで
す。21世紀に入っても隠然としたいわれのない疫病、疾病や差別に抗ったり、祈りに
縋ったりの悲劇の代償もあったでしょう。それぞが皆異なった価値観や思い、考えで
遍路をしています。だから是か非か、勝か負けか、優劣かなどは無いのです。それぞ
れの究極のマイウェイを実現しているのだと思います。
 結願の遍路宿では皆さん通し打ちで、寡黙な遍路さん、スーパー鉄子さんら合計4
名の遍路さんと、宿の大女将さん、女将さんと夕食を頂きながら和やかに話しまし
た。その時気づきましたがこの通し打ち中一番心が軽やかになったのではないだろう
か、きっと皆さんらもそんな思いなのかなあ、と思いました。
 このマイウェイ中の私自身のいくつかの教訓も含めてです。世の中の『正解』『問
題解決力』『数値化された序列付け』『効率性』等々あふれかえる価値観による人に
対する『値踏み』や『評価』の呪縛から離れ、『曖昧』の心地良さに実感できた四国
曼荼羅て素敵だなあ、その中で花遍路をさせていただくのは幸せだなあ、の実感を体
験させていただきました。それを知っていただければ何より嬉しい思いを、先にプロ
ローグに書かせていただきました。
(結願の寺 大窪寺にて)

 もう一つ、私は2020年夏から延べ2年間かけて区切り打ちで自転車遍路をしまし
た。当時は大阪南港、深日、神戸中央突堤、摂津本山のジャンボフェリーターミナル
など四国と阪神を結ぶフェリーボートが多くの航路で運航されていて、自宅発着、フ
ェリーターミナル、船経由で四国霊場の遍路が可能でした。その時は歩きではなく自
転車で、宿泊はビジネスホテルと野宿(仮眠)で、また50才代前半で体力自慢でもあ
りどんどん走れということで四国の皆さんや遍路さんとの触れ合いは多くは無かった
のですが、同行二人の意味もお接待もその時に知りました。2年かけて、最後の区切
りはパートナーと歩きで、丸亀から大窪寺に3泊4日で結願したときに、また来たい、
もっと四国曼荼羅の世界に浸りたい、という思いが心に刻み込まれました。
 私は、旅立つまでに4つの目標を持っていました。『四国曼荼羅花遍路』はその一
つですが、プライオリティ(優先順位)は下位で、順番でいうと『西穂高岳から槍ヶ
岳全山縦走』『マッターホルン・ピーク登頂』『知床半島縦走』の4つです。しか
し、フィジカルの限界が近づいてきていることと合わせ、網膜剥離の後遺症か黄斑上
膜か分からないけれど、視力というより左右の見え方のバランスが悪くなり遠近感が
つかめない。そのため登山も登りはそれなりに登るけれど、下りが岩場や悪路など特
に不規則な段差があれば怖くて歩けなくなりました。実際に転倒も多くなり、穂高・
槍もマッターホルンも知床も諦めました。
 そのうちに世の中はますます住みづらく、年金は着実に減額される、医療費負担は
確実に増えていくやらで、社会的諸条件の限界が近づく実感と、前記の(出発前の思
い)とあわせ、今回の遍路通し打ちを決心しました。ということで『お役立ち情報』
『反省』などは、エピローグで話させていただきます。
 
 今回の遍路で、73才にして新たに得た経験知や何よりも自分自身のFreude(フロイ
デ・歓喜)を記録にとどめておきたい、という思いでブログにアップし私本(プライ
ベート・ブック)にして残す予定です。そして私のファミリー、仲間たち、関わりの
あった人やお世話になった人達に、荷物にならない程度の記憶として、片隅にでも残
っていただければ嬉しいです。そして何よりも、四国曼荼羅ワールドの皆様やそれに
繋がる皆様への感謝の気持ちとして受け止めていただければ、望外の幸せです。
                       (以上、プロローグ、ブログ版)


                       



四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 1   写真はハービス発の高速バス

2023-02-05 18:05:40 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
(1日目・2022年4月21日)大阪発高速バスで、発心の道場 徳島県へ。コロナ自粛で神戸、大阪、京都、滋賀から外の出るのは2年半ぶり。

 (1番札所 霊山寺-早速のご接待)
 昼頃に大鳴門大橋を渡り12時10分に徳島大学前で降車、明石大橋から降り
だした雨はかなり激しくなってきた。四国に入り、高速バスは小松島行なの
で、徳島大学前で下車し路線バスに乗り換えJR徳島駅、そこで昼食を食べ夕
食をテイクアウト。14:28のJR高徳線に乗り45分ごろに坂東駅着。駅前門前
通りを約10分歩くと本日の宿(ハウス)があった。あらかじめ到着と夕食の
連絡で電話を掛けた時に女性が対応され、一番札所霊山寺へ車で送ってくれる
とのこと。『歩きやから大丈夫です』と言おうとしたが、これは断ってはいけ
ないと思い直し
 「有難うございます。お願いします。」
と言っており、ハウスに到着したら待ってくれていた。車の中や霊山寺の売店
で遍路の作法やらいろいろと蘊蓄をいただき、ありがたかった。自らは140回
のお遍路でうち歩きとおしたのは2回で、四国霊場会公認先達とのこと。ベテ
ランの信心深い方なんだと思った。
 ハウスはきれいな民家。夕食を食べながらいろんな話をしていただいた。ロ
シアによるウクライナへの侵略戦争という絶対悪の話になった。ご本人は
1942年(昭和17年)生まれで『でしたらご両親はアジア太平洋戦争の中を生
きてこられたのですね』と尋ねると、ご家族は外地からの引き揚げで、終戦後
もご家族の絆を守り大変なご苦労を経験された、とのこと。山崎豊子の「大地
の子」のような話をリアルに伺った。お母さんは家族には全く戦争のことは話
さなかったけど、晩年は『話しておけばよかった、話すべきだった。』とおっ
しゃっておられたそうです。
 現在、ほぼボランティアでお遍路さんのご接待を仕事としてハウスの管理を
していること等話していただいた。
 また、私には以前にパートナーと尋ねて思い出の多い、霊山寺のすぐ近くの
ドイツ村で第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜が人道的に扱われ、村の祭りや文
化行事や手作り楽器での第九の演奏合唱を地域ぐるみで開催したのは、当時の
村や役所の人たちの『お接待の心、お接待文化』なのだといったことも話して
いただいた。話が弾んで、あとシャワーをいただいて、ちょっと荷物整理やら
で午後9時就寝。

 初日から素晴らしい出会いと勉強をさせていただきました。22日からは遍
路日記は簡単なものにします。まとめたものは1~2週間ごとにブログでアッ
プします。
(本文では、個人情報やプライバシーの関係で、ご了解を頂いている部分以外
は固有名詞は使用しません。宿泊所については『ハウス』…洋風民宿、bed & 
breakfatな感じ・『旅館』…日本風旅館、民宿・『ホテル』…ホテル、ビジネ
スホテル で表記します。(続く)
(街並みからの霊山寺門前…好きな風景)          (雨のそぼ降る霊山寺境内)


四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 2 写真は、大日寺への古道の遍路道 

2023-02-04 18:49:00 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 発心の道場(徳島県)編
(2日目・4月22日) 2番札所極楽寺~7番札所十楽寺。古道の遍路道の見どころ一杯。しかし早くも足が悲鳴。

 本日は、6:30朝食(お接待)→7:00ハウス出発→7:15  2番札所 極楽寺→8:15  3番札
所 金泉寺→10:50  4番札所 大日寺(道中 This is HENNROMITI の名残が一杯。とりあ
えず順調。)→11:40  五百羅漢→12:05  5番札所地蔵寺(五百羅漢さんは素晴らし
い。お参りした人の名残の方と同じ顔の羅漢さんが必ずいると言われているが、入っ
てすぐに昨年2月に旅立った、兄を思い出させる羅漢さんが居た。地蔵寺境内の大銀
杏は“健在”でよかった。靴に足がいまいちフィットせず痛くなってきた。想定内とは
いえ…早くもやばい兆候)→昼食(やっと見つけたセルフうどん屋さんでざるそば+
チラシ寿司)→14:50  6番札所 安楽寺(宿坊には天然温泉。温泉寺とも言うらし
い。)→15:50  7番札所 十楽寺。本日ゴールにやっと到着。靴中の足が悲鳴。部屋で
作戦を考えよう。それと、明日からは昼飯は事前にコンビニやらで行動食を準備して
おくようにする。
 本日歩行は、31,848歩、22.2Km(歩数計で)



(2番札所 極楽寺境内)                  (3番札所 金泉寺の長寿杉)


(4番札所 大日寺歩き遍路道からの好きな景色)

(5番札所 地蔵寺の五百羅漢さん)

(地蔵寺の大銀杏は今も健在)


(6番札所 金泉寺山門 天然温泉が湧出しており温泉寺の別名)


(7番札所 十楽寺。右の建物は本日宿泊の宿坊)

(昨日の書き漏らし。20年前、お接待を断ってしまった板野町の駄菓子屋さん)
 昨日の書き忘れだが、2000年の自転車遍路の時にお接待を断ってしまった板野町の
駄菓子屋さんのおばあちゃんだが、店はなく道を挟んだ斜め向かいの酒屋さんに尋ね
たら、娘さんらしい。18年前に亡くなられて孫さんが継いだけど2~3年で店をやめ
たとのこと。確実なエビデンスがあるわけではないが状況から見てほぼそうだろうと
思う。『ご健在でしたら結願の記念のものでもと思っていましたが』と言って、納札
を渡しておいた。この顛末は以下の通り

※「四国曼荼羅花遍路 自転車遍路の旅」-拙筆よりコピーー ※
-板野町の駄菓子屋さんにて-2000年8月8日
 暑い。ガンガンと日が照り付け手持ちの九百mlの冷茶のペットボトルもすぐに無く
なってしまった。
 これはやばい、熱中症に注意と思いながらコンビニか食料品店を探しながら走って
いると、高徳線の踏みきりの手前で駄菓子屋さんがあり、そこの店頭に飲料水の自販
機があるのを発見。ホッとして停車して自販機に向かった。自販機を見ると冷茶もコ
ーヒ、紅茶もあるのだけれどなぜか冷茶はペットボトル入りが無く全種類缶入り。保
冷用のテルモスも持ってきておらず、仕方ないなーと思いながらとりあえず缶入りの
冷茶を数本購入しペットボトルに移し替えていた。すると、奥からおばあさんが出て
きた。

 老婦人
 「なにをしてはりますのや?」
 私
 「冷たいお茶が欲しいので買ったのですけど、ペットボトル入りがなかったんで缶
  入りを買って移し替えていますねん。」
 老婦人
 「どこかいきはりますのか?」
 私
 「はあ、八八か所を自転車で回ってますんや。」
 老婦人
 「ちょっと待っとくれやす。」

 そう言って奥の方へ行かれて急いで戻られた。二リットル入りのお茶のよく冷えた
ペットボトルを持ってこられて、

 老婦人
 「これ、もっていとくれやす。」
 私
 「ああ、ちょっと大きいなあ。せやけど助かるわ。ありがとう。いくら?」
 老婦人
 「いやいや、持って行ってくれればよろしいんですがな。」
 私
 「おばちゃん、そんなんあかんわ。お金払うさかい、いくらなん。」
 老婦人
 「いやいや、持って行っておくれやす。」

 汗をかきかき、そんなやり取りが埒もあかずあって、結局、


 私
 「そんなん、ただで貰われへんし、それやったらいらんわ。」

 と言って、残りの缶入り茶を前かごに積んで自転車を走らせた。なんやろあのおば
あさん。人が良すぎるのか、ひょっとしてボケが入ってきてるんかなあなどと思いな
がら、第四番札所を目指した。このやり取りの訳は、本日の宿舎でわかったが、それ
は御述。(以上、コピー添付)(続く)