IWCK.猪苗代ウィンドサーフィンクラブ風の又三郎

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服部安休とキリスタン塚

2020-03-09 14:07:04 | 歴史の欠片
服部安休は織田信長の小姓で森蘭丸の孫!1672年会津領の神社管領に就任し1675年猪苗代の土津神社(はにつ神社)の初代神官となる。
直ぐ側のお墓には十字が刻まれたものがあった。

当時の猪苗代の殆どがキリシタンに改宗していたのだ。
キリシタン塚
ここより200メートル下に処刑場(猪苗代の町からスキー場の登り口。葉山温泉の入口付近)があって隠れ切支丹が処刑され、後にここに葬られた。





直ぐ上には土津神社がある。



亀ヶ城跡(猪苗代町)
天司のけやき(日本一の巨木)
天司の名はキリスト教弾圧の時代、隠れキリシタンが密かにこの木を信仰の対象として天守(ゼウス)を天司と偽って呼んだことに由来するものと言われている。



幹回りが15メートルもあるというけやき!
実際、どれなんだか分からずじまいだった。
幹の付け根の場所に小さい祠あると言われているが、探しても見つからなかった。☠️☠️














1 コメント

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Unknown (鎌田尚)
2024-09-20 23:45:25
服部安休の右隣りの墓石、
木村定三、きよ、の墓は私の祖父母です。
祖父は明治7年4月に斗南藩の田名部村に
生まれ、日本聖公会の司祭の傍ら、神道を研究
服部安休伝の著者であります。森蘭丸が先祖で
ある事から、安休の隣に墓を作りました。歌人で
もあり、四高時代に佐々木信綱の門で国文学を
修め、東京芝教会を皮切りに全国の教会で任務、
最後は台中聖公会の司祭でした。墓跡に十字架
がありますが、隠れキリシタンとは全く関係あり
ません。牧会の傍ら神道を研究、歌会初にも参列
した歌人でもある、尊敬する祖父であります。
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