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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

🍵 永谷宗園、宇治田原町 🍃

日本緑茶発祥の地、京都「宇治田原町」、、、江戸時代中頃、湯屋谷で茶業を営む「永谷宗円」が、15年の歳月をかけて新しい製法を開発しました。(^-^)

庶民も気軽に飲める、色・味・香りの優れた「緑茶」が誕生し、宗円は江戸に上り、茶商・山本嘉兵衛(のちの山本山)を通じて販売したところ、そのお茶は「天下一」という名でたちまち大流行したそうです。(^_^)

この製法は「青製煎茶製法」と呼ばれ、今日の緑茶製法の礎となっています。( ; _ ; )/~~~ 

煎茶の流行以降、宇治田原の茶産業は大きく発展、、、復元された永谷宗円生家では、実際に使用された焙炉(ほいろ)跡も見ることができます。
この生家をはじめ、茶畑や茶問屋、茶農家が混在する湯屋谷の町並みは、平成27年4月「日本遺産」第1号に認定されました。( ^_^)/~~~

真言宗「正寿院」は、717年に建立された医王教寺の塔頭寺院として建立されたと言われ、「不動明王坐像」は鎌倉時代初期、快慶の作で、国の重要文化財に指定されています。
夏には、千を超える風鈴が境内を埋めつくす「風鈴まつり」が行われます。
客殿にしつらえたハート型の窓、、、「猪の目」と呼ばれるこの形、じつは仏教とも関わり深い伝統文様です。(^。^)

立川の大道寺地区、大道神社の向かいにある「信西入道塚」は、源平の争乱(平治の乱)によって死んだ「信西入道=藤原通憲」の受難を今に伝えるものです。

「猿丸神社」は、禅定寺峠のかたわら、本町と大津市曽束町との境界に鎮座し、祭神は、三十六歌仙の一人として知られる「猿丸大夫」です。(^-^)

この神は瘤(こぶ)などのできものに霊験があり、京阪神をはじめ各地から、たくさんの参詣者があります。( ; _ ; )/~~~

「茶宗明神社」は、永谷宗円を「茶宗明神」として昭和29年、大神宮社に合祀したもので、茶祖の功績をたたえる全国の茶業者の崇敬を集めています。(^-^)

鷲峰山・「金胎寺」は、奈良時代、平城京の鬼門封じとして、聖武天皇によって堂が建立され勅願寺となりました。
その後、境内、寺領は拡大しましたが、元弘元年(1331年)9月、笠置へと落ちのびていった後醍醐天皇の後を追う鎌倉幕府軍によって、寺は焼き討ちされました。(≧∇≦)

 「茶は茶色緑茶作りの不思議かな
                   焙炉の陰に人香り立つ」

by 祖谷馬関


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