「梅恋ひて卯花拝む涙哉」 芭蕉
出ました「卯花」、、、「卯ノ花」とも書きますが、初夏の季語で、芭蕉翁も随所で用いておられます。(^。^)
卯ノ花とは、空木の花のこと。開花は五月中旬~六月頃。白く清々しい花を咲かせる。
古歌には月光のようとも雪のようとも詠われる。旧暦四月(卯月)ころ咲くことからこの名がある。茎が空洞なので空木(うつぎ)ともいう。
「夏は来ぬ」の唱歌にも歌われているように、夏の訪れを感じさせる花である。
この一句、、、梅を恋しく思いつつ、卯ノ花を拝む、、、しかも、涙ながらに、、、句意を調べてみましょう。(^_^)
(句意)
大顛和尚の訃報に触れての鎮魂歌。和尚は梅をこよなく愛しておられた。遷化されたのはその梅の季節という。今は卯の花の真っ盛りなので、芭蕉は梅に代わって卯の花を拝みながら涙している。
大顛和尚(だいてん)は、鎌倉円覚寺の第163世住職で、貞亨2年1月3日遷化。
蕉門の俳人で、幻吁<げんく>が俳号。 其角の参禅の師でもあった。
にゃるへそ!🐈⬛、こりゃまた、ワンだふる!🐕🦺
蕉門にあった俳人「大顛和尚」が逝去し、涙に暮れて詠んだ句だったのですね!(^。^)
大顛和尚が亡くなった梅の時節に間に合わず、初夏の卯ノ花が咲いている、、、その卯ノ花を拝みつつ、供養したいという心を詠んだ、、、素晴らしい句です。( ^_^)/~~~
では、馬関より返句をば。m(__)m
「卯ノ花や何事無きを幸と呼ぶ」 祖谷馬関