「金閣寺」は、正式には「鹿苑寺」と言い、足利義満が創建、元々は西園寺公経の所有地でした。
義満は、金閣と呼ばれる舎利殿に住んでいましたが、舎利殿とは、釈迦の遺骨である仏舎利を安置する建物のことです。(^。^)
一層は寝殿造の「法水院」。法水とは、煩悩を洗い流す水を指します。平安時代の貴族の邸宅様式である寝殿造は、当時栄えていた北山文化の特徴の1つ。華やかな北山文化を垣間見ることができます。
二層は武家造の「潮音洞」。海の音のように遠くから真実がやってくるという意味を持ちます。武家造は鎌倉時代の武家の住宅様式。鎌倉時代に栄えた西園寺家が所有していた名残が感じられます。
三層は中国風の禅宗仏殿造である「究竟頂」。「究極」という意味が込められています。床は漆塗りですが、それ以外の柱や天井には金箔が貼られ、仏舎利が安置されています。(^-^)
三層は中国風の禅宗仏殿造である「究竟頂」。「究極」という意味が込められています。床は漆塗りですが、それ以外の柱や天井には金箔が貼られ、仏舎利が安置されています。(^-^)
「夕佳亭」、金閣寺にある茶室です。江戸時代に修学院を造営した後水尾上皇のために、鳳林承章が金森宗和に命じて造らせました。
「鏡湖池」、葦原島など大小の島々や畠山石といった奇岩名石が置かれています。
そのほか、パワースポットの「安民沢」は、日照りが続いても枯渇しないことから雨乞いの場所にも使われ、義満がお茶を飲む際に湧き出た清水を使用したとされる「銀河泉」、出世祈願のご利益がある「龍門の滝」など、様々な名所があります。( ; _ ; )/~~~
一方で、義満の孫にあたる足利義政が築き、東山文化が生まれた地、「銀閣寺」は、正式名称は「慈照寺」。(^_^)
銀閣と呼ばれる「観音殿」は、上層の「潮音閣」に観世音菩薩、下層の「心空殿」に千体地蔵菩薩が祀られ、内部は常時非公開。鹿苑寺の舎利殿や西芳寺(苔寺)の瑠璃殿を踏襲したと言われています。(^-^)
銀閣(観音殿)と共に、東山殿が造営された当時の姿をとどめている「東求堂」(国宝)。義政の守り本尊を祀るために1486年に建てられたもので、堂内に阿弥陀如来と義政の像が祀られています。
東求堂の一室である「同仁斎」は、床の間や棚、造り付けの机を備えた書院造や、四畳半茶室の原型といわれています。飾らないひっそりとした美を表す「わび」と、古びて趣がある様子を表す「さび」を尊ぶ東山文化は、義政の東山殿から生まれました。(^-^)
東求堂はこの東山文化の趣を色濃く残しています。釈迦如来を祀る本堂(方丈)は、江戸中期に建てられたもので、共に18世紀半ばに活躍した画家の与謝蕪村や池大雅の襖絵が内部を飾っています。
東求堂はこの東山文化の趣を色濃く残しています。釈迦如来を祀る本堂(方丈)は、江戸中期に建てられたもので、共に18世紀半ばに活躍した画家の与謝蕪村や池大雅の襖絵が内部を飾っています。
東求堂、本堂、1996年に改築された茶室の「弄清亭」(ろうせいてい)は、通常は非公開ですが、春と秋の特別公開で内部の拝観ができます。(^_^)
銀閣寺の境内は、「錦鏡池」と名付けられた池を中心に、西芳寺(苔寺)の庭を模して造られたという庭園が整備されています。中でも目を引くのが「銀沙灘」と「向月台」。(^。^)
義政は、東山から上り池の水面に映る月の動きを愛でながら、風流、侘び寂びを愛したと言われています。( ^_^)/~~~
「金銀の舎利や北山東山
水面に揺らぐ観音の月」
by 祖谷馬関