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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

変身願望?、人は何処まで変われるか?

人間、長らく生きて来ると、よく言えば、信念や哲学のようなもの、俗に言えば、こだわりや思い込みが、出て来るものですね。(^。^)

僕はかくあるべきとか、これは私らしくないとか、自らを型に嵌めることが多いのも、そのせいでしょう。(^-^)

なかなか変えることが難しいからこそ、五十路も終盤、還暦を前に、大変身するのもおもしろいのではないか、と、ふと思う瞬間があります。(^_^)

例えば、突然、絵描きになるとか、茶道や華道を始める、楽器ではピアノかバイオリン、自然食の料理研究家、酒を断ち畑に精を出す、、、などなど。( ; _ ; )/~~~

しかし、こうラインナップしてみても、やはり、所詮、現在の自分が考えること、、、底には「当たり前の自分」が流れているような、、、すなわち、劇的な変身ではない、己の枠の中である気がします。!(◎_◎;)

人間は、かように業の深い存在なのですね。ここは、色深める紅葉でも愛でながら、ゆっくり休みつつ歩を進めるとしましょう。m(__)m

「窓の外紅葉狩りにてひと休み」 祖谷馬関

(注)京都は洛中の名刹に紅葉のみどころが多いのですが、丹波・福知山にも、別名「紅葉寺」と呼ばれる「長安寺」という寺院があります。
紅葉狩は晩秋の季語。紅葉を観賞するため、山野などを訪ねること。紅葉をめでながら酒を酌み交わすこともある。よく晴れた日、家族そろって眺める紅葉はまた格別である。

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