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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

大阪万博と船場センタービル

大阪の都心、「本町エリア」に、高速道路と一体型の商業ビル、「船場センタービル」があります。(^。^)

船場センタービルは、東西南北の交通網の中心に位置し、地下2階、地上4階建ての商業ビルで、ビルの上には阪神高速道路が走っています。(^-^)

建物は東側から1号館、2号館と10号館まで続きます。なんと東西で1000メートルにも及び、なんと800ものお店が入っています。(^_^)

以下、ネットより引用。

船場センタービル、通称「船ビル」がオープンしたのは1970(昭和45)年。
現在、船ビルの真上を通る中央大通を建設するため、道路用地となった船場の唐物町南部・北久太郎町北部、上町の農人橋詰町北部・両替町南部・農人橋北部の移転先を探していたそうです。
しかし、大阪市の中心部、地価が高く、なかなか移転先が決まりません。
ほとほと困っていたところに、ある実業家が「ほんなら道路の下にビル作って、そこに入ってもらったらええやん」と発案。
名案だと皆が賛成し、船場センタービルが誕生しました。
もともと船場のあたりは、西日本を代表する商業地域で、特に船ビルのあったあたりには丼池繊維問屋街があり、そうした名残で今も船ビルには数多くの繊維の卸売業者さんが入居しています。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

今日、日中にこの船場センタービルを通りましたら、写真のように、「船場センタービルも大阪万博も同じ55周年」とありました。(^。^)

パネルチックな太陽の塔も手作り感満載で微笑ましかったです。(^-^)

コストアップやレガシー継承など、何かと賛否の議論が絶えない大阪万博2025ですが、大阪を舞台にした55年ぶりの一大国際イベントに素直に期待したいものですね。(^_^)

「万博の賛否飛び交う師走かな」 祖谷馬関

(注)師走は歳の暮れの季語。陰暦十二月の異称だが陽暦でも使われる。語源については諸説あるが、この月には師(僧)が仏事などで忙しく走り回ることから、というのが一般的であろう。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「京都検定対策シリーズ」

<8月>
(1)淀城跡の石垣 刻印見えた! 82歳の二人 ツタと格闘5か月
★與杼神社を創建、愛宕念仏寺を復興した僧侶は 「千観内供」★★★

(2)六斎念仏継承へ意気込み ユネスコ無形文化遺産登録後初の奉納
★六地蔵巡りの際、小山郷六斎念仏が奉納される寺院は 「上善寺」★

(3)雲林院跡に平安期の溝 京都市「発見例少なく貴重」
★雲林院が登場する「源氏物語」の巻名は 「賢木」★★
*淳和天皇(紫野院)→仁明皇子の常康親王(雲林院)→僧正遍昭
*雲林院の菩提講、大鏡、古今和歌集、桜や紅葉の歌枕、在原業平が伊勢物語を夢で語る

(4)「代継の松」を仁和寺が奉納 北野天満宮「影向松」傷んだ際の備え
★仁和寺にある2つの茶室、ゆかりの人物は
「遼廓亭」 尾形光琳、如庵の写し
「飛濤亭」 光格天皇

(5)岩倉使節団150年 意義問う「日本の今後、議論を」
★岩倉具視が一時隠棲した西芳寺の本堂・西来堂の襖絵を描いた人物は 「堂本印象」★★★

(6)「悲願」の聖天社設置 東山・粟田神社
★粟田祭の神幸祭の露払いとなる行事は 「剣鉾差し」★★
*出御祭→夜渡り神事、れいけん→(体育の日)神幸祭(神輿渡御の露払い/剣鉾差し)、還幸祭→(10/15)例大祭

(7)芦雪の「大黒天図」お披露目 52年ぶり発見 福田美術館
★「走り大黒天」を所蔵する後光厳天皇創建の泉涌寺の塔頭は 「雲龍院」★
*御黒戸御殿(後土御門天皇)を後柏原天皇より下賜、龍華殿(本堂)、後円融院宸影(土佐光信)
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