最近、マツコ・デラックスのテレビ番組をよく観ます。(^。^)
「月曜から夜ふかし」、「マツコ会議」など、リアルタイムの放送に加え、土日には、一年前くらいの再放送もあるので、録画して観るほど、ハマってます。(°▽°)
観ていて、今更に感じるのは、マツコさんの異彩ぶりですね。タイムリーなボケや鋭い指摘にも、笑いを誘いながらの蘊蓄や豊かな知識が感じられます。(^_^)
サラリと自然に放つコメントの随所に才気が溢れており、培われた知のバックボーンを感じますが、実は、マツコは、芸能界デビュー以前から雑誌の編集者をしていたらしく、タレントである前に文筆家なんですね。ニャルへそ!🐈⬛
ちなみに、Wikipediaでは、次のように紹介されています。(^。^)
マツコ・デラックス(1972年10月26日生)は、日本のコラムニスト、タレント、司会者。千葉県千葉市稲毛区出身。
高校卒業後は美容専門学校に入学し、卒業後は美容業の仕事をしていたが、「何か違う」と感じていた時にアクティビストな同性愛者の姿を見て奮起し、『薔薇族』『SAMSON』『G-men』に並ぶゲイ雑誌『Badi』の編集部に転職し、同誌の記者・編集者などを務めた。編集長代行であり、ドラァグクイーンの大家でもあったマーガレットや、社長の平井孝からは、熱心な仕事ぶりが高く評価されていた。
28歳で退職、千葉の実家で引き篭もり生活を送っていたが、編集者時代の記事を読んでいた小説家の中村うさぎがホストを務める対談集『人生張ってます』のゲストに抜擢され、『マツコ・デラックス』の芸名と個性的なビジュアルやトークスキルが注目された事が世に出るきっかけとなった。更に中村から「あんたは書くべき人間」とその文才が高く評価されるなどを経て、2000年頃から、 身長175cm、体重140kg、スリーサイズ全てが140という超巨体と、女装といういでたちでタレント活動とコラムなどの執筆活動を開始した。(^-^)
2002年、ソニー・マガジンズ社から『アタシがマツコ・デラックス』を発表、以降も定期的に著作を発表している。また、毒舌と体型で比較されることの多いナンシー関とは、「デブ」についてのテーマで対談している。
2009年、フジテレビで初の冠番組『マツコの部屋』が開始される。それまでは、マネジメントとタレント活動を一人で兼任していたが、ミッツマングローブの伯父である徳光和夫から「事務所には入った方がいい」との助言を受け、ナチュラルエイトに所属した。
以降、『マツコ&有吉の怒り新党』、『月曜から夜ふかし』、『アウト×デラックス』など、自由かつ毒舌混じりな発言を大いに活かしているレギュラー番組が次々と放送開始されている。(^_^)
2009年、フジテレビで初の冠番組『マツコの部屋』が開始される。それまでは、マネジメントとタレント活動を一人で兼任していたが、ミッツマングローブの伯父である徳光和夫から「事務所には入った方がいい」との助言を受け、ナチュラルエイトに所属した。
以降、『マツコ&有吉の怒り新党』、『月曜から夜ふかし』、『アウト×デラックス』など、自由かつ毒舌混じりな発言を大いに活かしているレギュラー番組が次々と放送開始されている。(^_^)
★「ミッツマングローブ」の伯父が「徳光和夫」である事実にも驚きました!(◎_◎;)
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
国民的作家の司馬遼太郎さんが愛した菜の花、、、街中では畑や畦道も減り、見かけることはめっきり少なくなりました。(T . T)
2月12日は司馬遼太郎氏の命日「菜の花忌」です。作品には、『菜の花の沖』という長編小説があるくらいです。(^-^)
東大阪市にある「司馬遼太郎記念館」の書斎前には、直径1メートルほどのヒューム管があり、ここに菜の花を植え、春の開花を楽しみにされていたそうです。(^_^)
今でも、記念館のそのあたりは、小さいながら雑木林風の庭になっていて、ボランティアの皆さんが菜の花を植え、来館者を迎えているとのことです。( ^_^)/~~~
「菜の花の咲く狭間から嗤い声」 祖谷馬関
(注)菜の花は晩春の季語。菜種の黄色い花。一面に広がる黄色の菜の花畑は晩春の代表的な景色。近世、菜種油が灯明として用いられるようになってから、関西を中心に栽培されるようになった。花の莟は食用にもなる。