平和ボケ者の独り言

勝手な妄想と独り言

神道

2007年01月06日 | 独り言
明けまして、おめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
報道をみてますと、今年初詣に出かけた人が過去最多だったとか?
日本人の心は今だ健在だといわんばかり。
皆さんは、有名神社、氏神様のどちらに行かれましたか?
丁度『神道』と言うお話が書いてある本を読んでましたので途中掲載させて頂く事にしました。



『神道(かんながらのみち)』の解説は大変難しいことで、しかも短時間ではほんの一部しか話せません。簡単に申しますと「神道」とは天地の道であります。自然崇拝、先祖崇拝が特徴であります。
そして共生・共存・共栄がその精神であります。
 ある意味に於ては原始的信仰と成熟した信仰が混在してゐいます。所謂教義にしばられる事なく、人類の文明・文化・科学技術等の進歩と共に生成化育する信仰でもあります。
 ところがこの生成化行といふ事が他の一神教の独善、排他的な面に比すると懐の深い寛容な信仰とも言へます。
 国際社会に於て国家間・民族間に於ける最重要な異文化・異文明への理解・許容を深める事だと思います。さうした意味では融通無碍な特質は貴重なものであります。ある意味で東洋的寛大さの象徴だと思へます。神道が世界に求められ、やがて出番もやってくると思ひます。
 清明直正、清く、明るく、直く、正しく、これこそ神道の精髄です。清らかな心、明朗な心、素直な心、そして正しい心、やさしさうで難しい事です。ですが万人ほとしく求めてゐる心でもあります。
 明治天皇の大御歌に

  榊葉にかくる鏡をかゞみにて人もこゝろをみがけとぞ思ふ
  目に見えぬ神にむかひてはぢざるは人の心のまことなりけり

とあります。
 目に見えぬ神とは唯一神でなく、我々の先人・先祖・天地の八百万の神全てですから、かうした事を常に心にとめて、天地の正道を踏むならば我々の人生、我々の社会は素晴らしいものになる筈です。
 神道とは天地の大道、人倫の正道を歩む為の基であると思ってゐます。
 これだけでは如何でせうか、物足りない気がしますので、もうしばらく時間をいただきたいと思います。

(中略)

神道はキリスト教その他の宗教と異なり経典教義を説かず祭式祭儀だけの遥拝・礼拝・拍手・坐拝等の形式だけを行ひ・・・

(中略)

日本の神社とキリスト教教会との違ひを申し述べましたが、それにも拘らず尚日本人は戦後年々歳々神社参詣参拝者が増加してゐるのを見ると、現状をもつて満足してゐる者が多いことが明らかであります。
 神道は「言挙げせず」を重んじ救世済民の活動がなかつたため、教義の研究を疎じてきた故に卑俗と大衆性とを混同し、権威主義者の餌食にされ、軽視されてきた惧れがあります。形式論理万能の今日而も国際化自由化の時代に祭儀と祭式及び商売繁栄、家内安全、交通安全、結婚式等の現世利益を売り物にし、又参拝、拍手、玉串等の形式だけでは神社は存在しても神道と神霊は死滅してゐると言はねばなりません。


(『台湾人元志願兵と大東亜戦争いとしき日本へ』 鄭 春河 著 ~第三章 台湾の戦前戦後より~)



感想:日本全国民の皆さん、今、日本の心は意識不明の重体です。早く目覚めないと心を取り戻さないと本当に取り返しの使ない事態になってしまいますよ。

意識が戻ったときには生身の心ではなく、機械の心、サイボーグににされているかもしれません。