平和ボケ者の独り言

勝手な妄想と独り言

貧乏人の僻み

2007年03月30日 | 独り言
先日、従姉と話していたら


「お金はあって困るものではない」


と言ってきたので、私は


「お金は程ほどでも、まずは心が豊かなほうがいい」


と言ったら


「それは、貧乏人の僻みよ!」


と、言われた・・


心の中で


「はぁ・・」


とため息をつきながら


「まぁそれはそうだよね」



と納得しないまま相槌を打った。






話のなりゆきはこうだ、


子供の高校受験の話から


大学進学の話へ


「医者の子供は、お金があるから」と従姉が切り出し医者の話へと移った。


それから「医者の子は、お金があるから医学部のある有名私立大学に入学させることができるから程ほど頭が良くても将来が約束される」と言う話に話に発展。

そこで「お金はあって困るものではない」と言う話になっていったのだ。




地元でも由緒ある公立進学校に娘を通わせている、庶民家庭の従姉。


まあ、レベルの高い高校で現実を目の辺りにさせられた母親の口から出てくる言葉としては、そんな思考にもなるだろうとは思う。



けれど、そんな風にお金で子供を大学にいてれ順風満帆に医者になったとしても、

子孫代々と医者の家系が続いていくと保障されているわけではない。

心は先細りになるのではないかと思う。



だから大切なものもっと子孫に伝え贈れるもの、それは人の心の様な気がする。

先祖から受け継いだ魂と自分の心が響き合い、子孫代々と続く力強い音を奏でて行くと言う事だと思う。


自分達が先祖代々と受け継いできた音、魂があって今の自分の心がある。

その心が息子、娘。またその子達への魂と変わり、美しい心も卑しい心も受け継がれていくと思うし、またその両方の魂も程よい割合で必要なこと。


美しくも醜くも、自分の真を見つけ伝えて行こうと思う気持ちは、お金持とか貧乏人など関係なく心の礎として大切すべきことであると思う。



いずれ枝分かれして行く家系図。


その未来の一人一人、自分の血を引き継ぐ末端までに伝えられるもの。


それは、お金で買える心の虚しさは、お金で買えない心の豊かさなのだと僕は思う。



だから僕はそれを『貧乏人の僻み』だなんて思ってもいない。

あるわけないけど、もしも僕がお金持ちになったとしてもお金で買えない心の豊かさを、絶え間なく忘れない努力をしたいし、お金に心を売り渡されるつもりなんて僕は鼻の毛ほども思っていない。


これが「貧乏人の僻みだよ」って言う人がいれば、それはそれで構わない。