◆横笛吹屋日記◆

信州のボサノバフルート奏者赤羽泉美のblog
音楽の他、好きなもの(野球、鉄道、カレー)についても綴ります

ヒストリー。

2015-03-14 23:49:53 | ◆横笛吹屋日記◆

3月14日 天気はれ


長いツアーから帰ってきて
毎日バタバタ~!
で、あっという間に週末です!!

今週は帰ってきてすぐ翌日に
自宅ピアノの調律をしました♪


わたしのピアノ




そして母のピアノ




2台を一日でお願いしていて
時間もそれだけかかるのですが、
調律師さんには本当に感謝です


SNSのFacebookに
調律のことをアップしたところ
「音大ピアノ科だったなんて
知らなかった!」
と、たくさんの方に言われ…笑

あれ?言ってなかったっけ(^^;;

と思ったので、
あらためて書こうかな~と思います



そもそも家にピアノがあり
母がピアノを教えていたので
小さい頃からピアノで遊んでいて…

習い始めたのは5歳。


フルートはと言うと
中学校にあがるときに始めました。

おてんば盛り、12歳。


ピアノもフルートも、どちらも好きで
両方楽しく続けていましたが、
なぜ音大でピアノ専攻したかと言うと…

その頃(高校時代)のわたしは
ピアノ調律師になりたかったんです。

調律師になるって
もっとピアノ弾けたほうがいいよね?

と思って

昭和音大短期大学部ピアノ専攻に
給費生(特待生)で入学しました。


2年生、短大が終わる前に
決断しなきゃいけなかった。

ー 本当に調律の学校に行くのか
ー それとも4年制に編入するのか。


その頃のわたしはひどい腰痛で
(これって長年ピアノ弾いてたせい?)
さらに腰椎椎間板ヘルニアにもなり
「調律師になりたい」
という目標を諦めなければいけない
悔しい決断を迫られていました。


短大卒業の翌年、
私は昭和音大の3年生になっていました。


さて、


一方のフルートはというと
高校時代に素晴らしい音楽仲間に恵まれ
一緒に演奏活動をするようになり…

音大時代はその仲間と
いろんなところで演奏をしていました。



ちょうど大学3年生くらいって
ピアノもいろんな弾き方ができたり
フルートもたくさん演奏してて
充実していた頃だなぁ~

と、いま振り返って、思います。



大学時代、演奏に行っていた
長野県内の大きなホテルに
「大学卒業したらうちで働きなよ」
と声をかけていただき、
音楽以外になんの取り柄もない私ですが
無事就職できたのが22歳。

そのホテルでは
演奏しながらホテルのイベントを企画し
コンサートもたくさん企画しました。

そのコンサートに演奏にみえたのが
いま私のプロデューサーである
ブラジル音楽専門ピアニスト
今井亮太郎さんです。


そこで出会ってなければ
わたしの人生ってどうなってたんだろ?



まぁ、そういうことは
考えないことにしています。笑



このあとは、
きっと皆さんもよく知っているところ。

いまに至ります。






あらためて振り返る
ということは滅多にないので、
自分でもいま
「あぁ、そうだったなぁ」
なんて懐かしく思っています。

たくさんの方が
私の人生に関わってくれて
また、
私もきっと誰かの人生に関わってる。

周りのみなさん、ありがとう。





赤羽泉美 公式ホームページはコチラ☆