正面の壁に備えられた小さな機械。
まるで目のように、電球が二つ並んで埋め込まれている。
さっきまで左側。青色のそれが点いていたが、耳障りなブザー音と共に、今度は赤い右側が代わって点灯する。
何時も信号機みたいだなと思う。
赤は、俺に超人になれという合図だ。
正直面倒だしかなり疲れるが、”職務”だからやるしかない。
目を閉じ大きく一つ息を吸い。
俺は、左の手のひらに乗せていた徽章を強く握りしめた。
もう何度通ったか分からないこの建物が、一体何なのか。そして何処にあるのか。正直、何一つ俺は知らないーーというか興味が無い。
建物には、何時も一族の部下が運転する車に揺られて来る。座るのは必ず後部座席。殆ど何かを読んでいるか目を閉じている為、外の景色もよっぽど特徴ある建物しか記憶に残らないし、真っ黒いスモークを貼った窓からでは、どんな景色も全部白黒だから見てもつまらない。
移動時間は一時間くらいだろうか。途中アウトバーンを通っているようだが、それでもさほどベルリンから離れていない場所だろうとは思っている。俺の知る、唯一具体的な手掛かりだ。
そんな感じなので、俺は大抵、着いた事すら気付かない。車のエンジンが止まりドアが開けられて、初めて気付く。
あとは出迎えの関係者に連れられ、人気の無い地下駐車場を抜け、エレベーターに乗せられてーー。
そして上半身と頭を覆う全てを脱ぎ、軍帽から外した徽章を手に、この部屋の中央にある背を傾けたベッドに横になれば準備完了。
あとは周囲の指示に従いながら、されるがまま、ただ時間が過ぎるのを待つ。
見ようによっては寝ているだけ。
これが、俺の最近一番多い”職務”だ。
この”職務”に行き着く表向きのきっかけは、ベルリンの壁が崩壊した事だった。
だがよくよく突き詰めれば、結局、未熟な自分の身から出た錆だった。
元々俺の一族は、徽章の力を使ってこの国を陰で支える事を生業としていた。
だから本来、表舞台に出るなど以ての外。だがファーターの死をきっかけに、超人レスリングの世界に飛び込んだ今の頭首ーーつまり俺ーーが、一族そっちのけで好き放題したせいで、本業が殆どお留守になってしまっただけでなく、多くの人々にその存在が知られる事態となってしまった。
そして、頭首の不在をそれでも何とか誤魔化し補ってきた一族に追い討ちをかけたのが、壁の崩壊だった。
超人界ばかりに目を向け、挙句その戦いで死に、そして運良く生き返って帰ってきたと思ったら、今度は壁の崩壊に茫然自失状態。
そんな身勝手な頭首をこれ以上自由にさせる余地は、存在意義まで疑問視され始めた一族にはもう、微塵も残っていなかった。
今の”職務”に繋がる契約書。
その根拠を説明すべく、実に様々な書類を手にして。
一致団結で屋敷に乗り込んできた重鎮の爺様達に、俺は二重三重に囲まれ延々説教を食らった。
頭首の本分は一族を守る事、だの。
単なる”当主”ではない、”頭首”たる責任を考えてくれ、だの。
先代はもっとしっかりしていただの、今迄好きにさせた事に報えだの何だの何だのーーーー。
もちろん言い返したかった。
俺が超人として戦ってきた事には、ちゃんと意味も意義もあったのだと。
だが、俺個人の意味や意義が一族の何の役に立ったのかと聞かれたら、きっと黙るしかなくなってしまう。
そして結局、俺は一つとして彼らに反論出来なかった。