身の内の芽生えの正体を、遂に確信した。
私はこの子供の手を取り、そして共に歩んでいきたいと思っていた。
秘めた本心の告白は、更に二人の距離を縮めていった。
Jr.は最早何の遠慮も無いといった様子で、会話を続けていった。
「あんたと戦ってる間・・・正直、自分でも困ったよ。だって殺したいってだけで大会に出て、もし組み合わせであんたと対戦出来ないまま終わったらどうしようかって、それだけが心配で・・・」
「私がお前と戦う前に負けると?」
「いや。でも真剣勝負の世界だから、何が起きるか分かんねぇし、他の奴らがどれくらい強いかだって・・・。でも、そんなこんなでやっと掴めた完璧な復讐の舞台だったのに、いざ始まったら・・・迷っちまった」
「技の甘さは、単なる経験不足ーーだけでは無かったという訳か」
「さあ、どうなんだろう。でも、ずっと練りに練って作ったあんたを殺すシナリオが、迷ったせいで完全に狂っちまって・・・」
「ほう・・・どう殺される予定だったのだ?私は」
こんな冗談めいた言葉が自然に、しかも悪気無く自分の口から出る。
遠慮が無くなったのはJr.だけではなかった。
物騒な私の問い掛けに、奴は更に物騒な返事を、さも大した事でもない様子で返した。
「ええと・・・何分かは普通に試合して、一応体裁だけ整ったら、あとは毒食らわせて、あんたが怯んだところに”こいつ”をお見舞いして・・・。で、最後にあんたをあれで上下真っ二つにして、体に乗ったまま笑ってやろう・・・って、思ってたんだけどーー」
あっけらかんと、自分の描いた死の台本を復讐相手に披露するJr.。
その最中、奴が”こいつ”と称して空(くう)を切った右手が、仄(ほの)かに熱を帯びたように見えたのが気になった。
「ところでその手刀は・・・なかなか見事な手捌(さば)きだが」
「ああ・・・これ?俺が訓練で・・・超人レスリングを始める前から覚えてた、唯一の技らしい技・・・かな」
「手が一瞬、異質に変化したようにも見えたが?」
するとJr.は、さっきまでとは違う何処か陰りを含んだ笑みを湛えながら、自分の右手に視線を移し、握ったり開いたりさせつつ言葉を続けた。
「殺して、相手の血を浴びる技だ。出来るだけ効率良くやる為の・・・」
「成る程・・・確かにやれそうだ」
「うん・・・。訓練でも、特にみっちりやらされたしな。それに、試合で殺すのにもすげぇ便利だったし・・・」
「・・・」
「殺しつつ勝って、血も一緒に頂戴出来る訳だからさ。おまけに瞬殺だから時間も掛からねぇし・・・。だっていくら、何でもありの超人レスリングでも、負かした相手を改めて殺すなんて流石に出来ないじゃん。だから・・・でもーー」
「虚しい・・・か?」
「うん。力を得るには仕方ない、とは・・・思ったけど。でも、何か・・・虚しかった」
語尾は殆ど聴き取れない程に小さくなった。
無理もない。余程の悪党でない限り、超人でもーー人間なら尚更ーー殺める事は己の中に一生消えない痛みと傷を残す。
それを承知の上で、しかし”復讐に必要な力を得る”という自己都合のみで実行するには、それは余りにも重い行為だった。
ーーしかもお前は、本当はとても優しい。
ーー親に愛され、そして親を愛して・・・。
ーーそうして培われた優しさ。そんなお前に殺しは向いていない。
もう、止(や)めさせなければならない。
そう思った。
「それで、お前はこの先、どうするつもりなのだ?」
「え?先、なんて・・・それこそ考えた事もなかったけど・・・。でもファ・・・親父の弔(とむら)いも一段落しちまった以上、レスリングやる理由もねぇしなぁ・・・」
「国に戻り、そして一族に尽くすか?」
「そうだなぁ・・・まあ、それくらいしかねぇのかな・・・。俺に向いてるとは思えねぇけど」
私の確固たる決意。
しかし、この子供が自らの意志で本来の場所に戻るーー人間と共に一族と生きるーーと言うなら、流石にそれを止める事は出来ない。
だが今、子供は迷っていた。
漸(ようや)く成人を過ぎた程度の、まだまだこの先長い人生をどう進むべきなのかを。
ならば、違う道を示してやりたかった。
此奴が本当に望む世界を、共に求め、守ってやりたいと私は思っていた。
「私と・・・これからも共に戦う気はないか?」
「え、それって・・・?」
「この先も超人として。何もこの大会だけが超人格闘技の世界ではない。お前は知らないかもしれんが、それこそ何百年、何千年と超人は戦い、そして戦いでのみその存在を示してきた」
「・・・」
「お前は強くなる為に殺してきた。だが私なら、もうこれ以上殺さずとも強くなれる方法を教えてやれる。もちろん時間は必要だが・・・お前はまだ十二分に若いし、筋もいい。技を磨き、体と心を鍛える事でも、お前が今持つ超人の力は何倍にも高められるだろう」
「・・・」
「だからもう無理には殺すな。私と共に・・・共に高め合い、そして、そうして得た力で戦う。そうすればーー」
「そうすれば、皆・・・お前の父を思い出す。私が殺した敵として。そして何より、お前の父としてーー」
私の突然の誘いに暫し呆然と、だがやがて心を決めたJr.は、この日一番の笑顔を返した。
これまで己の精進のみに生きてきた私に、初めて守り育てる存在が出来た。
そんな、自分含め誰も予測していなかったであろう瞬間だった。
明らかにこれまでと違う眼差しを向ける蒼い目。
尊敬と親愛と。ようやく見えた色鮮やかな未来に、それは眩しい程輝いていた。
しかしまだほんの微かに躊躇いーー私への遠慮ーーが残っているように見えなくもない。
そこでそれを払拭してしまうべく、私は師として、最初の申し付けをする事にした。
ーーこれを言うと・・・拗(す)ねるだろうか。
もちろん私は、先ず明日の試合に臨まねばならない身ではある。
だがそれに差し支える事なく、簡単に今から始められる提案事が一つ、自分の中に閃(ひらめ)いていたのだった。
「ところでブロ・・・いや、Jr.」
「何?」
「私はさほどお前の国の言葉には通じていないのだが・・・」
「は?何だよ今更。んなの、今のままでいいし、あんたが楽なら中国語だって聞く程度ならーー」
「父親というのは、ドイツ語でファーターか?」
「なっ・・・!!?」
「何処まで自覚があるのかは知らんが、無理してまで言い直す必要は無い。少なくとも、私の前ではな」
不意を突かれた驚きに恥ずかしさが入り混じり、まるで池の鯉のように口を開いて目を白黒させるJr.の姿は、正に傑作だった。
私の提案は予想以上の効果を与えたらしく、返す言葉を失ったJr.は、直後「部屋に戻る!」と、逃げるようにその場を去っていった。
笑いながら見送る私の頭に、その光景は深く深く刻まれた。
あの男の死。
それに導かれ繋がった不思議な縁(えにし)。
子供に愛を、そして自分に恐怖を残して死んだあの男が、果たしてこの結末を何処まで見込んでいたのか、それともいなかったのか。
叶うべくもないが、いつの日か聞いてみたいと思った。