平成25年10月22日の河北新報「“森里海”に学ぶ」より、一部を抜粋して紹介します。
「欠乏症」深刻
自然と触れ合う機会が少ない子どもには、成長過程で思わぬ障害が現れることがある。
じっとしていられない、集中力がない、友達とうまく遊べない、我慢できずかんしゃくを起こす。
こうした症状を総称して「自然欠乏症(症候群)」と呼ぶ。
身体的には平衡感覚に乏しく、よく転ぶ。成長過程で周辺視野が開発されないため、すぐ横で起きていることや横から迫ってくるものに気づかない。問題を放置すると、判断力に欠け、人と心を通わせることができない大人になる。
五感発達促す
原因は何か?文字通り、自然の欠乏だ。子どもは自分を取り巻く環境を手探りしながら世界を広げていく。
自然との触れ合いが五感の発達を促すのだ。
生活や教育の質を高めるハイテク機器を否定しないが、コンピューターやスマートフォンだけを相手にしていると、いつしか精神的にいびつになってしまう。
カナダやエチオピアなど世界各地で環境保護活動を行ない、80年から長野に住んでいる
C・W・ニコルさんのコラムより抜粋しました。
これらのことを逆に考えます。
つまり、子ども時代に自然とふれあう機会、経験をたくさん積み重ねるとどうなるのか。
我慢強く、集中力やコミュニケーション能力を身に付けることができる。
周囲で起きていることへの気遣いができ、咄嗟の判断力や思いやりの心を養える。
バランス感覚もよくなる。
全てがあてはまるわけでも、単純に上手くいくことばかりでもないと思います。
しかし、自分自身が長い間、ポニー(馬)とひとの間にいて、同じような感覚は、実体験としてあります。
極端な話、自然をポニーに置き換えても、この理論は成り立つと思います。
相手は生き物。動きます。足を踏まれたら痛いです。
何気なく手入れをしていても、子ども達はポニーの動向を気にしています…(痛い思いをして学ぶ場合も多いけど)。
走っているポニーの背では、手を放すのだって大変!
停止馬だってムズカシイ!
指先までピン!となってます。
写真では、その一瞬の様子だけしか見られませんが、この子ども達がここに至るまでの気持ちを想像してみて下さい。
実際に体験したことのある人はわかると思いますが、見ているのとやってみるのとでは、全然違います。
恐怖や上手くいかない悔しい思いを何度もし、それでも失敗をそのままにせず、諦めない心を持ち、克服してきた結果としての、ひとコマです。
ある子どもにとっては簡単なことでも、その子にとっては達成感に満ち溢れ、それが次への自信につながります。
お世話をする作業は無言ではできません。
もちろん、自分勝手も許されません。
相手を思いやり、我慢もし、いっぱい言葉を交わします。
年長者が年少者に。慣れている子が不慣れな子に。精一杯の自分の言葉で、教えたり教えられたり。
責任感や思いやり…が育まれます。
時にはぶつかり合うことも。それが自然でもあります。そういう経験も必要です。
ポニーを真ん中に置くことで、いろんなことができます。見えてきます。
ポニーとの関わりを通して…命について。思いやりや優しさ。食への関心も。
協同作業を通して…他者との関わりを。
そして、他者との関係を通じて、自分との関わり、自分自身と向き合うきっかけも作り出します。
少し前にTVで「子どもを犯罪から守るためにはどうすればよいか」的な質問に対し、東大生のグループが「学校に行かないで、パソコンでの通信教育にすれば良い。そうすれば犯罪に巻き込まれることは少なくなる。学校に行かななくても、パソコンがあれば家でも十分学べる」というような答えを出していました。
個人的にはとても違和感を感じました。
学校は、テストのための勉強をするだけではないと思っています。
集団行動や生活から学ぶことが多くあり、学校はその場でもあるはずです。
家庭での教育、学校での教育。
それらではできないこと、補うのが社会教育と考えていいのではないでしょうか。
「どんな子ども時代を過ごしたか」が、その人の生き方や人格形成に、少なからず影響を与えるものと考えます。
ポニーを含む自然。そこでの体験活動は、大切な、大きなことを教えてくれます。
JASAファームでは、子ども達の健全育成を考え、ポニースクール等のプログラムで、子どもの自立、成長のきっかけづくりをしたいと思います。
C・W・ニコルさんは、コラムの最後をこう閉めています。
人類の、日本の未来のために、自然にあらがうのではなく、理解し、共生する知恵を学ぶ~それは子どものうちに始めるに限る。
ありがとうございました。
あたろう