先日、「ジュエリーを教える様になったのは?」
と生徒さんに訊かれ、久しぶりに昔を振り返りました。
ざっと流れを書いてみますね。
最初は企業のデザイン室でペ-パーデザインとロストワックスの制作をしていました。
(ワックス制作は始めは不本意でした)
次の会社ではデザインのみでした(高額品のジュエリーデザイン)
その後フリーデザイナーに転向。
時々ワックスで作って欲しいと企業から頼まれた時だけ制作。
主にデザインを書いていました。
その頃、職人さんたちが所属しているグループに誘われ参加してみる。
(そのグループは原型作りの職人、石留め職人、石研磨職人等‥)
そこでワックスジュエリーを教えて欲しいと依頼されて、初めて講師をする。
(当時作ったプラチナのピアス。ねじった線を耳に通します。パールの付いたチェーンは長さが調整できます)
その後、彫金教室の先生から「私にワックスを教えて」と依頼され、
始めるときにそこの生徒さん達からも要望があるということで、
麻布の彫金教室で6名位のおばさま達に指導することになりました
この時は本格的に教えることになるとは思っていませんでした。
週1回を1年くらいコースで基礎を教えたら終了だと考えていたのです。
皆さんご自分で彫金なさる方々なので、基礎が分かれば大丈夫だと踏んでいたのです。
実際は5~6年続いたかな
終了間近の頃に他の彫金教室の先生も習いにいらしていて、
「麻布教室が終わったら私の教室に教えに来てください
」との依頼
今度は「たまプラーザ」の彫金教室に行きました。
それまでのおば様たちとの交流は私にとても(色々な意味で)大きな経験となったのでした。
母親に近い年齢のセレブな方々。
20代の私は緊張もしましたが、洗練された女性の魅力はとても勉強になりましたし、
こういう女性になりたいと強く憧れました。
ところが、自分がそのおばさま達の年齢に近くなって・・・・・
・・・うぅ
程遠い、遠すぎる!ファラウェイ~!
私はほとんど当時と変わってない感じだし。とほほ
・・・まっ、元が違うし仕方ないか!(開き直ってみました
)
え~っと、
素敵なおば様たちから、生徒さんの年齢は徐々に下がり、
私が30代半ばになると私より若い世代の方の参加も増えてきました。
(学生の時に自分で作ったパールリング。痴漢撃退用の凶器になります
こわ~)
↑(この方向ではめます・・・ってはめて外出した事ないし!)
そして結婚、妊娠、子育て・・・
妊娠後期から講師の方のお仕事はお休みしました。(お腹が机につかえて苦しくなったので)
子どもが小学校に入った頃、
ママ友のえなちゃんが
「お絵描き教室の為の部屋を借りるけど、シェアしない?」
と声を掛けてくれました。
彼女は幼稚園の時からお絵描きを子どもたちに教えていました。
(私の子どももお世話になりました)
彼女は愛情に篤い人で色んなタイプの子どもを良くみていて
その関わり方には本当に頭が下がります。
アートセラピストでもあるえなちゃんは、自由課題の絵を見て子どもの気持ちを代弁してくれることもあります
↑うちの子が書いた当時(4歳頃)の絵。
(三原色+白で色を作っていくのが特徴です)
えなちゃんは、それまで子どもの家に行ったり、区民センターで教えていましたが、
固定した場所が必要になったのです。
子どもが幼稚園や学校から帰って来てから通うので、
お昼過ぎまでは教室が空いています。
それで10時から13時まで(平日)と日曜にお部屋をお借りすることになりました。
そろそろお教室を再開したいと考えていた私にはとても有り難いお話でした。
(しかもえなちゃんのご好意で格安にしてもらっています
)
それが今の教室です。
今に至るまでの長いお話を最後まで読んでくださってありがとうございます。
要望があるうちは教室を続けたいとおもいます。
どうぞこれからもよろしくお願いします