若かりし頃。
切り抜きページの状態で残っており、たまたま裏も表も発行号の記載が無いページなのですが、1989年のCQ誌の記事だと思います。
長い2400MHzのループ八木を杖がわりに、立山の山頂を目指し、
山頂の狭いガレ場の間にアンテナを設営し、
そのブルーシートのわずかな隙間で寒さに震えながら無線機とアンテナを操作し、
いつの間にか風が止み、回りを包む満点の星空に感動し、
翌朝、まぶしい朝日を目の当たりにし、
眼下に輝く黒部湖を望んだ
思い出が今でも鮮明です。
この出来事とその思い出が無ければ、今でもこうやって熱心に無線を続けていなかったといっても過言ではありません。
***
学生時代毎年立山へ連れて行ってくださってこの記事をお書きになったこのOMが、先日お亡くなりになりました。
またいつか山の上でお会いしてマイクロ波について教えていただき、当時のお話をしようと思っていましたが叶いませんでした。
私もこのOMや、現在プロジェクトをご一緒に進め、指導してくださるOMのように、進歩的で高進に指導が出来ることを目指したいと思います。
しかし、いつになることやら。。
切り抜きページの状態で残っており、たまたま裏も表も発行号の記載が無いページなのですが、1989年のCQ誌の記事だと思います。
長い2400MHzのループ八木を杖がわりに、立山の山頂を目指し、
山頂の狭いガレ場の間にアンテナを設営し、
そのブルーシートのわずかな隙間で寒さに震えながら無線機とアンテナを操作し、
いつの間にか風が止み、回りを包む満点の星空に感動し、
翌朝、まぶしい朝日を目の当たりにし、
眼下に輝く黒部湖を望んだ
思い出が今でも鮮明です。
この出来事とその思い出が無ければ、今でもこうやって熱心に無線を続けていなかったといっても過言ではありません。
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学生時代毎年立山へ連れて行ってくださってこの記事をお書きになったこのOMが、先日お亡くなりになりました。
またいつか山の上でお会いしてマイクロ波について教えていただき、当時のお話をしようと思っていましたが叶いませんでした。
私もこのOMや、現在プロジェクトをご一緒に進め、指導してくださるOMのように、進歩的で高進に指導が出来ることを目指したいと思います。
しかし、いつになることやら。。