私宅から100メータ位の所に琴電線路下をくぐる小さなトンネルがあります。普段何気なく生活道路として通って居ます。年配の方にお聞きすると、今から61年前、1945年7月4日未明のB29,116機による焼夷弾の絨毯爆撃のときこのトンネルに逃げ込んで被害を免れた方々がおられるそうです。当時、女房は栗林町に住んでいましたのでオバアチャンと一緒に命からがら南の方へ逃げ、どこかの田んぼの水路の石の下で難を逃れたようです。私は当時2才で綾川町の陶に住んでいましたが、木に登り赤く焼けた東の空をみてオジイチャンに何か尋ねました。「高松が今空襲で焼けている」と聞いてジーと見つめていました。2才でしたが印象が強かったのか、今でも覚えています。私が登った木は、4,5メータ高さの槇の木で実が沢山つき穫って食べていたのですが、今はもうありません。