昭和20年の高松空襲の遺品展が市役所ロビーで開催されています。当時、私は綾南町陶に住んでいて、河江のお爺ちゃんと家に向かって帰っていたとき東の空が真っ赤に染まっていて「あれ なんな~」と尋ねると「高松が燃えとんや~」と言われたのを記憶しています。高いところから見ると、もっとよく見えると思い槙の木に登ってしばらく見ていたのを記憶しています。当時、私は2歳でしたが、今でも記憶にあるのはそれだけ印象深い出来事だったからでしょうか。女房は、高松の栗林町で住んでいて爆撃の中心点よりは少しずれていましたが近くの水路に逃げ込み石の橋の下でオバアチャンと隠れていたようです。
昭和20年の高松空襲の遺品展が市役所ロビーで開催されています。当時、私は綾南町陶に住んでいて、河江のお爺ちゃんと家に向かって帰っていたとき東の空が真っ赤に染まっていて「あれ なんな~」と尋ねると「高松が燃えとんや~」と言われたのを記憶しています。高いところから見ると、もっとよく見えると思い槙の木に登ってしばらく見ていたのを記憶しています。当時、私は2歳でしたが、今でも記憶にあるのはそれだけ印象深い出来事だったからでしょうか。女房は、高松の栗林町で住んでいて爆撃の中心点よりは少しずれていましたが近くの水路に逃げ込み石の橋の下でオバアチャンと隠れていたようです。