熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 (幻冬舎文庫) | |
井川 意高 | |
幻冬舎 |
一番信用できないのは自分ー106億8000万円の代償として私が得たものは、かくも悲しい事実のみだった。
今回読んでみたのは大王製紙前会長で、ギャンブルが原因で特別背任の罪で刑務所にまではいってしまった井川意高氏の『熔ける』です。
本書はギャンブルにはまってしまい100億あまりもの借金をカジノで作ってしまうまでの過程から、著者の幼少期から大学までの生い立ち、大王製紙での活躍から社長就任、起訴、判決、出所のことが書かれています。
私自身、事件のことは知っていますが、著者のことは特に知りませんので、幼少期や東大入学時の豪遊?みたいな生活については正直興味がありませんでした。
私が興味を見出したのは、私自身も今後の人生で共存していかなければならないギャンブル依存症と戦う者として、同じ患者である著者がどういう気持ちでハマったのか、ギャンブル依存とどう向き合っていくのかというところです。
ですので、著者が懺悔として書いていることについてはギャンブル依存についてのこと以外は否定も肯定もするつもりはありません。その前提で本感想をお読みいただければと思います。
1.借金や賭け金、犯罪を犯した有無ではない。強迫的ギャンブラーは皆同じ
強迫的ギャンブラーである井川氏は賭金や借金の金額が違うだけで、他の強迫的ギャンブラーと変わらないと述べています。
一般の感覚だとおそらく、パチンコで借金を作っても100億まではいくことはないと思われる方も多いでしょうし、ギャンブルをやっている方でもここまでひどくはならないと思われる方も多いのではないかと思います。
しかし、私もギャンブルで家族に迷惑をかけて、現在も強迫的ギャンブラーとして日々ギャンブルをしない日をなんとか過ごしたいと願いながら生活をしている身としては、強迫的ギャンブラーだったときの借金は井川氏に到底及ばないですし、懲役刑も食らっていないですが、井川氏は私と変わらぬ強迫的ギャンブラーだなと思いました。
私の場合はたまたま自分で気づくことができて、回復に向けて過ごせているだけで、私もそれこそお金に困って会社のお金に手を出していたかもしれませんし、下手すれば強盗でもやっている人生があったかもしれません。
おそらく井川氏もギャンブルに狂っていた時は、「自分はいつでも引き返せる。破滅することはない」と信じて、ひたすら「勝負に勝つことだけ」を考えていたのではないかと思います。
カジノでバカラをやっている時の感情なども、私が馬券を買っているときの感情と同じで、大勝ちしていてももっと勝ちたいと思うわけです。
借金があったりするともっと勝たないといけないと思いますし、借金を返済できるだけのお金を手に入れたとしても、今度は今までの負けを取り戻すために勝たないといけない。私も同じようなことをかんがえながらギャンブルをやってました。
借金も初めはやりたいとは思わないのですが、少しぐらいなら良いのではないかと思うようになりましたし、借金はいつのまにか貯金だと思うようにもなりました。お金を返さなければというのは言い訳で、やりたいのはギャンブルで勝つことだけ。それをするためだけに理由をつけてギャンブルをやりに行く。
井川氏のギャンブルに狂っている時のくだりはそんな自分自身をみているようでした。
2.ギャンブル依存から回復できると思っていると痛い目をみそうな内容
井川氏の本書の語り口からは、会社や社員、家族へ迷惑をかけたことに関する申し訳なさというのは個人的には読み取れたことでもありますし、何より井川氏自身、自分のギャンブル依存症という病気についていくらか勉強されたように読んでいて感じるところはあります。
ただ、気になった表現や箇所があるので、そこは私の経験に照らし合わせながら意見を述べてみたいと思います。
①同じ轍は2度と踏まない
ギャンブルで1度失敗して、同じ失敗は2度と踏まないということを井川氏は述べられています。
しかし、強迫的ギャンブラーだった私の経験からすると、同じ轍を踏みまくった結果、家族に迷惑をかけたり、借金で首が回らない状態になったわけです。借金でクビが回らなくなったのは1回の失敗ではなく、ギャンブルで何回も同じ失敗をした結果、結果的に1回の失敗のように見えているだけだということです。
現に、井川氏は自分の貯金が底をついた時に借金を返せなくなり、関連会社や子会社の余裕資金を1回だけでなく何回も億単位で引っ張り出してきています。
それが最終的に106億になった時点でたまたま問題が顕在化しただけで、これを1回の失敗とみるには大分無理があります。
もしかすると、井川氏にとっては懲役刑になるまでギャンブルで失敗しないという意味なのか、自己資金の範囲でギャンブルを楽しむという意味なのかもしれません。
ただ、自己資金であるいは資金の上限を決めてギャンブルをやるということは、強迫的ギャンブラーには無理だと思います。
私も、度々、ギャンブルで失敗するたびに上限を決めてやるとか、プラスになった段階でやめるとかいろいろなことを試しましたが、よりひどい結果になって返ってきましたので。
ギャンブルで失敗しない人生を送ろうと思うのであれば、強迫的ギャンブラーは次のギャンブルに手を出さないという道以外に今のところないのではないかと思います。
②ギャンブルは遊び
ギャンブルで失敗した井川氏はギャンブルは遊びだということも述べられています。だから、今後は遊びの範疇でやる?のだと(もしかするとそうではないのかもしれませんが)。
しかし、一般的な世間の人々からするとたかが遊びなわけですが、強迫的ギャンブラーにとっては遊びでは済まないのです。というより、遊びで済んでいたら、借金したり、1日中飲み食いもせずにギャンブルに没頭するなんていうことはありません。
遊びどころか、仕事や家族よりも『ギャンブルで勝つこと』が大事になったからこそたかが遊びに借金までするようになったはずです。
私もギャンブルに狂っていた頃は、仕事はギャンブル資金を稼ぐ手段でした。ギャンブルするために仕事を辞めずにブラック企業の中で働いていたと言ってもいいでしょう。
家族のことは、借金がバレると心配かけるなとかいろいろなことを考えたりもしましたが、ギャンブルをしている時に家族の顔がちらつくことはありませんでした。また、ギャンブルに1日没頭できるならば、仕事で1日出かけると家族に平気で嘘をつくこともありました。
私は 約1年ギャンブルを止めている今でも、次のギャンブルに手を出した時は、また同じことをすると思います。
なぜなら、私はギャンブルを遊びとは見れないからです。賭けた瞬間に自分の財産、家族、時間の全てを失う道へ歩き出すのだと思います。
強迫的ギャンブラーである私はそういう認識ですので、井川氏の言うようにギャンブルを遊びだとは思えないです。しかし、井川氏は出所後、勝てば賞金500万円、負ければ坊主頭になるという麻雀大会に参加したようです。井川氏にとっては遊びだそうですが、今後その認識で大丈夫かは疑問なところです。
③なぜギャンブルにハマったのかを原因究明
井川氏は本書で、なぜカジノにここまでハマってしまったのか、その原因を見出したいというようなことを述べられていたと思います。
しかし、その原因を究明することはおそらく無理でしょうし、究明することに意味はないのではないかと私は思います。
私も、ギャンブル依存症だなと自分で思った時に真っ先に診療してくれる心療科へ行きました。
その時、私は自分自身を見つめなおすために、なぜギャンブルで借金をするまでやってしまうのかを考えたことがあります。
仕事のストレスであったり、ギャンブルで勝ったときの高揚感を味わいたいとか、ギャンブルで勝ったお金で友人たちにご馳走することで名誉欲を満たしていたなどなどいろいろな原因を考えたりもしました。
しかし、今となっては、当時考えた様々な原因のどれもが強迫的ギャンブラーになった原因とはおもえなくなりました。というのもの、今では不安やストレスがあっても馬券を買いたいあるいは買わないといけないと思わないですし、名誉欲や優越感も日常生活で特に欲しているわけではないと気がついてしまいました。
では?なんで借金を作り、返済に困り金策に走り回ったり、家族に嘘までついてギャンブルをやっていたのかというと、よくわからないというのが今の私の答えです。
むしろ、そんな答えなんかよりも、あのしんどい苦しい時には戻りたくないなと思うことが多く、それが今の私のギャンブルに対する抑止力になっています。
井川氏に必要なのはギャンブルにハマった原因究明よりも、ギャンブルに対する抑止力なのではないかと思います。
と、長々とGAミーティングしているみたいに自分自身のことや考えを井川氏の本を媒介にのべてみました。
井川氏自身が強迫的ギャンブラーとして、現在どういう風に回復への道を歩まれているのかはわかりません。
もしかすると回復への道は歩まれていないのかもしれません。
ただ、回復への道を歩まれていないのであれば、遅かれ早かれ再びカジノに手を出してしまう可能性が非常に高いのではないかと思います。
本書での話題になっている事件については、借金は自己の株式売却でどうにか返済できたようですが、次回、万が一ギャンブルで同じような失敗をした時にはそのようなことはおそらくできないと思います。
私としては、そういう失敗した結末よりは、同じ強迫的ギャンブラーとして、また一線で活躍してほしいなと思います。
と、本書を強迫的ギャンブラーのセルフミーティングとして利用しながら読んだ感想や私見は以上です。
感想というよりは、本当にGAのミーティングみたいなものになりました。まぁ、目的がそこにあるのでこんな感想もたまにはよしとして許してください。