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■沖縄県祖国復帰40周年記念大会 主催者挨拶 中地昌平
沖縄祖国復帰40周年記念大会の主催者代表中地昌平実行委員長の挨拶の動画を掲載致します。
この記念大会の意義について語った非常に重要な内容ですので文章も掲載いたしました。
実は祖国復帰前から左翼に言論界を支配されていた沖縄では、祖国復帰を実現した昭和47年5月15日を日米両政府に米軍基地を押し付けられた屈辱の日とし、毎年、反米・反基地活動のデモや集会が開催され、祝賀式典などは一切行われてきませんでした。
中国共産党の沖縄侵略の野望が顕になってきた今、沖縄で日の丸を掲揚しないこと、祖国復帰を喜ばないことは、彼らの沖縄侵略の工作に加担し国を売るに等しい行為となってきたのです。
私は、今年、沖縄祖国復帰40周年の年をきっかけに、沖縄県民は日本人であることの有り難さと祖国復帰を実現した先人への感謝を噛み締め、全国の皆様は、敗戦の最大の負の遺産である異国による統治を受けた沖縄の歴史と課題を国家の基本問題として共有する事が大切だと考えます。
沖縄は、東アジアの軍事的エルサレムといっても過言ではないほど、軍事的に重要な要所です。米国の配下にあるときは、東アジアの共産勢力を封じ込める「太平洋の要石」ですが、もし、中国の手に落ちれば、米国を中国に近づけない、「海の万里の長城」となってしまいます。
今、日本は自主防衛体制を急がなければなりませんが、日本の安全保障においても沖縄は日本防衛の砦であることは間違いありません。
そのような重要な軍事戦略拠点であるからこそ、復帰前から沖縄では反米・反日工作やマスコミ工作が行われ続けてきたのです。
沖縄の反米、反基地の声が大きくなった時には、「沖縄が攻撃を受けている」と思わなければなりません。
沖縄を守るためには、人民解放軍の武力だけではなく、様々な謀略や工作と戦わなければなりません。
それは、悲しいことにスパイ防止法のない現状では自衛隊でも警察でも戦うことができないのです。
それと戦う事ができるのは普通の民間人のみです。
今、私達は、中国共産党の武力、謀略、外交から「沖縄を守る覚悟!」が問われているのです。
(仲村覚)
<動画:主催者代表挨拶 実行委員長 中地昌平>
実行委員長・日本会議沖縄県本部会長 中地昌平
5月15日で沖縄県は祖国復帰より40周年を迎えます。5月15日は県民の願いが実り、沖縄県祖国復帰が達成された素晴らしい日です。
たしかに基地問題をはじめ復帰後も多くの問題を残しているおり、5月15日を「米軍基地が押し付けられた屈辱の日」とする風潮がありますが、断じて「屈辱の日」などではありません。戦争の結果、占領された地域を、平和裏に取り戻した例がほかにあるでしょうか。祖国復帰は沖縄の誇りです。
ここで当時、復帰交渉の中核を担い奮闘した大濱信泉先生の言葉を紹介したいと思います。「祖国復帰運動は与えられた歴史に対する挑戦である。沖縄の現状は自ら選んだ道ではなく押し付けられたものであり、この意味においては宿命とでも言うほかはない。しかし、人間には自らの運命を開拓する英知と、どの道を選ぶべきか選択の自由がある。また民族には民族としての自覚と魂があり、そして政治的な独立と自由への憧れは民族の本能的な欲求である。このことを考えると異民族の支配には自ずから限界があり、いつまでも続けられるものでない。そこに祖国復帰運動の必然性とそれを肯定する論理がある」
この言葉は、復帰運動とは県民の一時の激情ではなく、歴史的な必然性があったのだと証明しています。
さて、本土の占領が終わったのは昭和27年4月28日ですが、沖縄はさらに20年、米軍統治下におかれたのであります。
昭和38年「4月28日」には沖縄の祖国復帰を願い、鹿児島県と琉球政府の国境となってしまった北緯27度線で海上集会が行われました。
また翌年、東京オリンピックの聖火リレーは沖縄から始まりました。当時の写真を見ますと、沿道には人があふれ本土との一体感に感動している様子が伺え、祖国を懐かしむ心情が痛いほど伝わってきます。
これらはほんの一例ですが、如何に沖縄県民が心の奥底で祖国復帰を願ったのか、雄弁に語っています。
祖国復帰を果たす為に屋良朝苗主席や、大濱信泉先生を始めとする官民問わず復帰に懸けたウチナンチュの先輩方、そして佐藤栄作総理、末次一郎先生を始めとする本土の皆様、そして「復帰が危ない」と聞くやいなや県民代表として上京した又吉康勇さん、金城テルさん、仲村俊子さんを始めとする方々、数えきれない有志の思いが重ならねば祖国復帰はかないませんでした。まずは、この記念すべき5月15日をお祝いし、祖国復帰に尽力された方々に感謝したいと思います。
さて日本政府は、復帰後、多くの米軍基地を抱えたままの沖縄への支援を続けて参りましたが、投下された資本はなんと13兆円と言われます。その結果として、水道、電気と言ったライフラインから、道路や港湾、教育施設などの社会資本の整備が急速に進み、景観を大きく変えるほどの経済成長があったことも忘れてはなりません。
これほどの支援を見ると、私は大田実中将が打たれた有名な電文「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を思い出します。「格別のご高配」とは経済的な面ばかりではありません。この電文に込められた切実な思いを受け止められたのが昭和天皇であらせられます。現に昭和天皇は沖縄訪問を切望されましたが、病によってかないませんでした。「思はざる病となりぬ沖縄をたづねて果たさむつとめありしを」との御歌からは痛切な御心が拝察されます。そして昭和天皇の御心を受け継がれ、沖縄を訪問されたのが今の天皇陛下です。沖縄は苦難の道程を歩むと同時に、県内外を問わず沖縄を想う方々の心によって支えられ発展してきたのです。
さて、中国では「沖縄も中国領」という考えが強く、特に日本問題専門家の唐淳風氏は国営テレビで「今沖縄で琉球独立運動が激化し、中国はそれを支援するべき」と発言をして中国国内の世論を扇動しています。現在でも中国の武装監視船が我が領海内に頻繁に出没し続けていますが、尖閣諸島のみならず沖縄まで本気で取り込もうと考えているのであります。
この問題は私達に何を問いかけているのでしょうか。私は、今こそ祖国復帰の意義を多くの県民、国民と共有し、次世代を担う青少年に祖国復帰の歴史と情熱を伝えることが大切だと思うのです。それは、沖縄は他でもない祖国日本に帰ってきたことを内外にアピールすることに直結します。
そして国家主権とは領土領海、国民の生命財産を守ることである以上、我が国政府の向かうべき道は平和と人道に基づいて、世界覇権の野望を持つ無法国家に対し毅然たる国家戦略を打ち立てることであります。一刻の猶予も許さない切迫した状況であると言っても過言ではありません。本年、糸満市で「第32回豊かな海づくり大会」が行われ、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎますが、大会の前提となる「平和で豊かな海」を我々の手で守らなければなりません。
祖国復帰は現状を正しく認識し、勇気を持って行動する人々によって達成されました。図らずも40年目の今年、沖縄県民は二度目の試練を与えられています。私たちは祖国復帰をなした先輩方に恥じないような沖縄県民、国民でありたいと思います。
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