台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ102 初めてドリカムを聞いたのは、

2012-12-17 16:34:27 | 台湾
俺が初めてドリカムを聞いたのは、10年位前上里北中で現在看護婦をしている生徒が「LOVELOVELOVE」をいとも簡単に歌っていた。なんで、こんな字余り歌を歌えるんだ?
「先生は、演歌しか聴いていないから、このテンポ無理ー。」「確かに本当無理。」休み時間のわずかな時間じゃ・・・。
 けど悔しかったので、家で練習してみた。そしたら、この歌は、俺の気持ちと同じことを歌にしているだけ・・・。「ドリームカムツルー」DREAMS COME THUR
 それから、ドリカムの歌を聴いてみた。そしたら、なんと、俺の気持ちと全く同じ。ドリしています?
それまでは、「寒い朝」「若者たち」河島英五の「時代おくれ」中島みゆき「時代」
つまり、俺の音楽は、1970年代。せいぜい80年代で止まっていた。だって、新しい歌、字余りでついていけない。たまに、元奥さんが新しい音楽CD買ってくるけど・・・・。
 全然興味ない。
昔は、通勤時間長かったから、「ラジオ」から新しい音楽聞いたが・・・。
だって、俺「紅白歌合戦」もう、二十年位見ていない。見ていないが、元奥さんが一生懸命俺に説明・・・・?聞いていない。
 大体、俺の生活に音楽非常に少なかった。何でだろう?
中学校3年生時代、俺の友達で朝鮮人の{K}は、ドラムがとてもとてもうまかった。
おれは、俺からドラムを打つ喜びをすこし教わった。けど、当時、足と手を同時にしかも、違うリズムで打つことは、できなかった。俺の手先の器用さでは、ドラムは、無理。
 それからは、音楽とあまり、「縁」が無かった 。
当時から飛びつくのも早いが、諦めるのも早い。それは、・・・。
人に対しては、いつまでもいつまでも、想っている・・・。これは、一生。
俺の愛した、さっちゃん・まさよ・・・・・・。たくさんいるが、俺の心の中でしっかり記憶している。
 61歳。人を好きになる喜び・・・・・・。
12歳、13歳。
いつまでもいつまでも「愛」は、永遠。
私は、自分が好きになった人は、いつまでも、何年経っても、
かわらず、好きです。
 ドリカムの歌の歌詞に「五回ならして、する合図」
「○●○●○」のサイン。ダイスー気。サイン変わっても、言うこと、想うことは、いつでも「あ・あ・し・て・る」
 何度でも何度でも・・・・。
一万一回目は、叶うかもしれない。
吉田美和ちゃんも私生活では、大変苦労しました。今若い旦那さんと一緒で
いつもいつも「幸せ」
 これが一番大切。俺が台湾に来た目的も、「人にとって、幸せとは何か?」を見つけるために来ました。その途中に中国語・日本語教師・うどん店開業準備・開業など台湾でしたいこと沢山あるが・・・・。最終目標は、「しあわせとは何?」を掴む。
 日本では、治郎ちゃん幸せじゃないの?
だって、日本じゃ、私が女より好きな「ギャンブル」がある。ギャンブルしている人に幸せあるが「填っている人」に幸せはない。だから、俺は、日本では、幸せになれなかったかも・・・・・?よくわかりません。今、現在に台湾に生活しています。
                                                      再見。