台湾治郎

自分の生涯・現在の生活

ブログ111  「G」は、偉い。

2012-12-26 01:36:06 | 台湾
 私の同級生に「G」という女性が居ます。彼女は、二人の女の子の母親。
彼女の中国語私より、断然上。彼女聡明。はっきりしている。ちゃきちゃき。
彼女は、主婦であり、母親かつ大学生。とても美人。(若い頃は、もっと綺麗だっただろう。年齢は、30後半~40代前半。)
今日は、クリスマス。昨日、私は、彼女から、「ビスケット」をクリスマスプレゼントとして、貰ったばかりなのに・・・。今日は、彼女の同級生に全員に作って持ってきてくれた。
 「謝・謝」独り身の私としては、とてもとても「心温まる」プレゼント。
これだけで、彼女が立派な母親であることがわかる。
自分の子供たちと、「ケーキ」をつくり、たくさんの料理を自分の子供と(?)やったのではないか?!
 人には、それぞれ役割がある。
俺は、・・・・・・。あまり、父親としての役割をしてこなかった。なぜ?だって、俺の父親は、確かに働き者。尊敬するくらい、仕事をしていた。だから、私は、父親というのは、働いて金を稼ぐ。あまり、細かいことは・・・教えなくて良い。確かに我が家は、兄貴たちが細かいことを注意してくれた。だから、私は、父親というのは、「仕事」して、子供を養えば後は、育つと思っていた。
 現在、私には、一人娘がいます。彼女から、徹底的に私は中学生の頃、嫌われていました。なぜ?それは、私が父親としての「役割」を全くしていなかった。だって、治郎ちゃん「せんせいでしょ?」「そう、俺は、学校では、先生していたが・・・・。家では同居人程度・・・・。」彼女の教育は、98%母親が育てた。だから、彼女には、俺は、自分の好きなことばかりしている人。お母さんを泣かして・・・・。我が家では、喧嘩すると母親と娘が一味で俺がひとり。
 だから、俺は、喧嘩になるときは「黙る」ことで嵐が過ぎ去るのを待つ。
後15分我慢しょう。そうすれば、この喧嘩は、終わる。それぐらい、父親としての役割を果たしてこなかった。そして、都合悪くなると「演技」していた。怒ったふりする(?)
俺が怒ったふりすると二人は、黙る。もちろん、家族を叩くことは・・・・・。していないと思うが・・・。あまり、記憶はないが・・・。娘に聞けば・・・。
大体、加害者は、すぐ忘れる。被害者は、記憶の奥底にのこっているもんだ。
 その当時、俺が一番遊んでいた時期。パチンコ・麻雀、オートレース。
俺にとって、時として家族より「自分の遊び」を優先していた。
典型的なのは、暮れの大掃除。暮れの私の仕事は、ガラス磨き・庭の花・植木・とにかく外回りが俺の仕事。大体、1時間ぐらいしていると、もう、「オートレース」やパチンコに行きたくなる。だから、掃除始まるのが、8時だとすると、9時半には、俺は家にいない。奥さんも・娘もいつものことだから、何も言わないが・・・・。
俺は、Gのお母さんぶりを見て、改めて私の奥さんに感謝。なぜなら、彼女は、母親と父親の二人分の役割を果たしていた。申し訳ない。
 こんな父親にしては、すばらしい「娘 」が育ったものだ。
今は、一緒にお酒を飲めるような「仲」になったが・・・・。
ごめんなさい。こんな父親で・・・・。
今度生まれ変わったら、父親の役割を精一杯果たすようにします。
Gさん、ありがとう。親父としての自分の足りなさを改めて感じさせてくれました。

                                  再見。