会話は、一問一答ですから、相手の言っていることさえわかれば、答えるだけ。前は、先生の質問さえ、わからないときがありましたが
現在は。だいたいわかる様になってきました。
ところが。聴く力のテストは。単問式もありますが、多くは、物語になっています。
一つ一つの文は、大体わかるかけてれているのですが、文が続くと・・・。
一回つまずくと、後は、わからなくなってしまう、
けど、最近は、わからなくても、聞き取れるところだけでもメモすると・・・・。
時々、ラッキーに答えることが出来ます。
そのラッキーは、たまたま。
基本的に、聴く力が弱い。一回言われてわかるくらいなら、・・・。私の場合。10回ぐらいで少し答えられるくらい。
この差は、どこから・・・。だいたい たくさん文しょうがあると、もう、『中国語』に頭の中で変換している暇がないのです。
次から次へ、文が増やされますから。
とりあえず、一文ずつ、理解してつかむ意外にない。テストの時は、二回の朗読。
大体最初が、「勝負」。これで半分でもわかれば、後は、なんとか「勘」で・・・。
最初が、ついて行けないと、モウ全滅。
師範大学の時は、最初で・・・・。もう後半を聴かずに、アテずっぽで答えを書いて居ました。
だから、正解するわけ無いのです。
ところが、「英語」を話せる連中は、結構耳がいい。文法は、苦手でも、聴く力は、私より数段上です。
若い人には、こういう聴く力が強い人が多い。
わたしは、・・・・。それでも、練習問題を何回も、何回も聴いている間に、ポイントとなる「ことば」さえ
わかれば、なんとか成ることが最近わかってきました。だから。ポイントを来逃さない、「注意力」『聴力』が重要。
練習を繰り返す以外に方法は・・・。後は、多くの中国語に触れる、見る、聴く。
ただ。私は、自を見れば、意味がわかります。ドラマは、字幕があるので・・・。それでも。何かの足しになると・・・。
楽しみながら、根気強く訓練するしか。
では、おやすみ。
再見。
現在は。だいたいわかる様になってきました。
ところが。聴く力のテストは。単問式もありますが、多くは、物語になっています。
一つ一つの文は、大体わかるかけてれているのですが、文が続くと・・・。
一回つまずくと、後は、わからなくなってしまう、
けど、最近は、わからなくても、聞き取れるところだけでもメモすると・・・・。
時々、ラッキーに答えることが出来ます。
そのラッキーは、たまたま。
基本的に、聴く力が弱い。一回言われてわかるくらいなら、・・・。私の場合。10回ぐらいで少し答えられるくらい。
この差は、どこから・・・。だいたい たくさん文しょうがあると、もう、『中国語』に頭の中で変換している暇がないのです。
次から次へ、文が増やされますから。
とりあえず、一文ずつ、理解してつかむ意外にない。テストの時は、二回の朗読。
大体最初が、「勝負」。これで半分でもわかれば、後は、なんとか「勘」で・・・。
最初が、ついて行けないと、モウ全滅。
師範大学の時は、最初で・・・・。もう後半を聴かずに、アテずっぽで答えを書いて居ました。
だから、正解するわけ無いのです。
ところが、「英語」を話せる連中は、結構耳がいい。文法は、苦手でも、聴く力は、私より数段上です。
若い人には、こういう聴く力が強い人が多い。
わたしは、・・・・。それでも、練習問題を何回も、何回も聴いている間に、ポイントとなる「ことば」さえ
わかれば、なんとか成ることが最近わかってきました。だから。ポイントを来逃さない、「注意力」『聴力』が重要。
練習を繰り返す以外に方法は・・・。後は、多くの中国語に触れる、見る、聴く。
ただ。私は、自を見れば、意味がわかります。ドラマは、字幕があるので・・・。それでも。何かの足しになると・・・。
楽しみながら、根気強く訓練するしか。
では、おやすみ。
再見。