自燈明・法燈明の考察

池田大作という人物像についての考察

 さて、今回の記事は池田大作という人物像についての考察を少し書いてみたいと思います。私が創価学会の活動から離れた当時、とある先輩が私の事を心配して尋ねて来てくれました。そして近所のファミレスで夜遅くまで語り合いました。
 その先輩も今の組織の有様を見て、呆れかえる事も多々ある中で、とある地元の壮年部の幹部(職員幹部)に文句を行ったところ、役職解任となっていました。男子部時代には私も大変にお世話になった人で、特に創価学会の義理・人情を体現していた様な先輩でした。

 「なぜ創価学会は、こうも変質してしまったのか」

 その事について先輩は「池田先生の御心を皆が忘れてしまった結果、組織が官僚化してしまったから」と語ってましたが、当時から私が思っていたのは、そもそも創価学会の思想的な問題があっての事であり、相当根が深いという事でした。

 その後、私は「池田大作」という人物がどの様な人間像であったのか、まずそこを知りたいと、インターネットを通じて様々な人から話を聞いてきました。

 創価学会では「池田先生にお会いする」と呼んでますが、それは会館や各種会合等で、一瞬の出会いの事を言います。けして直に会った上に、親しく会話をするとか、直接言葉を交わして親交を持つと言う事を指していないのです。私自身、創価班の関係や、男子部組織の上で区男子部長や県幹部をしていましたので、本部幹部会の本会場や、その他の場所で数回ほど「お会い」した経験もありますし、お小遣いとして数千円頂いた事もあったりします。しかし直接会話をした事もなく、その人物像については、幾人かの大幹部を経て伝えられた事しか知らなかったのです。

 「池田先生とは、実際にはどの様な人間なのか」

 私が活動をやめた時、まずこの事を知りたいと思い、人脈を作る中で様々な人とやり取りをしました。これはメールのやり取りや、時間があれば直にお会いしたり、オフ会があれば参加したりと様々な形で行いました。既に鬼籍に入られた友岡雅弥氏も、この当時、その流れの中で会うことが出来ました。

 そして解った事は、本部職員の中では池田氏に「恐怖感」を持っている人も居たと言う事です。これは某全国幹部の家族の方からお聞きしたのですが、「池田先生とはどんな人ですか?」との私の質問に対しては「恐ろしい人」と語り、より具体的な事を聞こうとしたら「危険だし恐ろしいので勘弁して欲しい」と言われたのです。
 池田氏は自分の身内には気が細やかで優しく見えるが、少しでも意に反する行動を取る人には容赦ない人物であると言ってました。だから下手に批判する意見を述べ、それが漏れ出し出所で突き止められると恐ろしいので、それ以上、この話ならしないと突っぱねられました。

 また友岡雅弥氏に聞いた話としては、池田先生は強いカリスマ性を持ち、良くも悪くも「人たらし」の能力はずば抜けており、ゴルバチョフ氏やローザ・パークス女史も、池田先生に魅入られた人だと語ってました。また暗記能力も相当あり、要人との会談前に第一庶務のまとめたメモを一読しただけで、会談の席ではその内容を「自身の言葉」で語ってしまうと言うのです。その能力は素晴らしいものだったと聞きました。

 あと他には「中身が空っぽな人」という人物評も聞きました。それは自身の意見というのが無く、常に側近に付いた人物により、その意見はコロコロと変わるとも言っていました。

 他にも元職員であった人などからも話を聞いたりしましたが、そこで語られたのは末端組織で語られる様な人物ではなく、極めて俗人的な人物評だったのです。この事から私は、かの石原慎太郎氏が語った池田大作評の「偉大なる俗物」というのが一番適切な表現であると思いましたし、小説・人間革命にある山本伸一というのは、やはり架空の人物像であったと理解したのです。

 因みに小説・人間革命が篠原善太郎氏の代筆である事は、こういった事を知った後に聞きました。これは人間革命の中で紹介された人物のご家族の人から聞いた話ですが、その人も学会本部から呼び出しを受けて、そこに行くと篠原氏がいて、様々な当時の状況についてヒヤリングされ、その後、人間革命にその身内のエピソードが掲載されたと言っていました。

 「ああ、やっぱりそうだったんだ」

 その代筆の話を聞いた時に、私はあまり驚かなかったのも、先の話を事前に聞いていたからでした。

宗門問題
 こんな池田氏の実像について、信濃町の執行部の中ではどの様に思われていたのでしょうか。これについては、第一次宗門問題当時の様子から推察出来ます。

 第一次宗門問題当時、池田氏は「五十二年路線」や「御本尊謹刻(摸刻)問題」で追い詰められていました。一方宗門でも正信会運動が吹き荒れる中で、この池田氏の言動により日達師も立場も危うくなっていました。この宗門問題を解決する方法として、当時、池田氏は宗門に対して一連の事を謝罪するという事で収める事となり、会長職を勇退するまで追い詰められました。
 この会長職を勇退するに至った経緯は、過去の大白蓮華別冊「日顕退座要求書」の中で語られている様に、当時の信濃町幹部から謝罪する事を申し渡されたのです。「私はこの事は絶対に忘れない」。これが当時の池田氏の言葉でした。

 つまるところ第一次宗門問題の本質とは、「創価学会内のクーデター」ではなかったのか、私はその様に理解しています。

 その後、会長職を勇退した池田氏は信濃町本部にも居場所がなくなり、行きついたのは神奈川文化会館でした。そこで池田氏は会員を背景につけ「正義」という揮毫をしたため、復権のために反転攻勢に出たのでしょう。結果、池田氏は見事に信濃町本部に復権し、クーデターを企図した幹部は池田氏の軍門に下らざるを得なかった。そういう事ではないしょうか。

 その後池田氏は、自身の復権の源となった会員との結びつきを、より強固にすべく、文化祭運動と本部幹部会同時中継を開始しました。しかし信濃町幹部も強かであり、この池田氏に面従腹背の姿勢を見せながら、時を伺っていたのかもしれません。

 復権した池田氏のピーク。それは戸田会長の三十三回忌の大法要であったと私は思っています。

 「大法要、仇を討てとの響きあり、君らの使命と瞬時もわするな」

 これは当時、池田氏が詠んだ和歌ですが、ここで「仇を討て」というのも、表面上は宗門に対しての様に見えますが、実際には信濃町にくすぶるクーデター実行犯に対しての言葉の様にも思えます。

 この戸田会長の法要の後に、第二次宗門問題へと突入しますが、この当時に私は創価班の広宣部へと入る事になりました。当時の先輩から第二次宗門問題の目的について「宗門に体現される権威主義は、実は創価学会の中に巣くう姿でもある。対宗門という姿勢を取りながら、実のところは創価学会の中に巣くう悪との闘いなんだ」と教えらましたが、当時の私には今一つ理解できない話でした。

 そして宗門問題では、対宗門に対しては一定の勝利の姿を示す事が出来ましたが、結果として「仇を討つ」という目的は達する事が出来ずに終わった事が、近年の創価学会の状況を見ると理解できます。

 ここまでが、私の考察した宗門問題と学会の内部抗争の構図です。あくまでも私個人としての考察であり、これが事実とは言いません。しかし長年に渡り見てきた結果として、私はこの様に感じた次第です。

◆指導者としての資質
 さて、では池田氏の「指導者としての資質」はどうだったのでしょうか。私が思うに池田氏は後継者の育成には失敗していると思うのです。

 第二代の戸田会長は、その門下には様々な人物がいて、結果として急速膨張する巨大な宗教組織をまとめ上げてきたと思います。秋谷元会長、森田元理事長、そのほか多くの戸田門下がいました。しかし池田門下はどうでしょうか。

 山崎正友氏も「極悪人」と言われていますが、池田門下の一人です。また原田会長にしても谷川主任副会長にしてもそうです。正木元理事長に至っては、創価大学閥の筆頭幹部でしたが、今ではどこに消えたのかさえ分かりません。

 よく今のアンチ創価学会の人の中で、信濃町執行部を「悪の権化」の様に指弾し責め抜く人達がいますが、少なくとも現執行部の筆頭である原田会長や谷川主任副会長、八尋主任副会長を身近に置いて「薫陶」したのは、池田氏という事実をどの様に捉えているのでしょうか。

 池田氏をまるで本仏が如く仰ぎ、恋慕する人達の多くは「お会いした」といっても瞬間の出会いだけであり、その池田氏の実像は、小説・人間革命の中にある「山本伸一」の姿と信じ切った人達です。実際に池田氏の実像を身近に見て、直接薫陶を受けていたのは信濃町の幹部連中であり、それが今の創価学会を支えているのです。この事実をどの様にかんがえるのでしょうか。

 私は「希代の人たらし」であり「カリスマ性」を備えた「空っぽな俗人」である池田氏は、後継者の育成を出来る器が無かったと考えているのです。そもそも同じ戸田門下生の仲間内からクーデターを起こされ、失権してしまうような人物であり、指導者としての資質には欠けていたのではないでしょうか。

 ここまで書き連ねてきましたが、思うに池田大作という人物は、中国共産党の毛沢東に似ているのかもしれません。

 毛沢東は、自身が失権したのち、紅衛兵という若い世代の前衛的な共産党員を利用して、当時の共産党幹部を大粛清しました。これは「文化大革命」という事で知られていますが、結果として中国という国家を疲弊させ破壊してしまったのです。

 創価学会の中の池田氏もこれに近い事をしていたのではないでしょうか。そして結果として「日蓮正宗創価学会」という組織を破壊してしまい、結果、残ったのが新興宗教の様な「池田創価学会」であり、それが今の自公政権を支えています。

 ここまでは私の考察した内容です。これがけして真実だとは言いませんが、少なくとも「日蓮正宗創価学会」よりも、悲惨な組織になってしまった事は否めないと思います。

 中国共産党は、いまだに毛沢東のカリスマ性を利用して国内を統治しています。同様に創価学会も池田大作のカリスマ性を利用して、今後も組織統制をしていくと思うのですが、どうも人材不足の感は否めません。

 恐らくこのまま行けば、団塊の世代が居なくなるころには、名前のみあって、実質上の組織は空虚な団体になっている事だろうと、私は思っているのです。




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