(宗教チャンネル「蘭室の友」から参照)
今回は創価学会のネタについて少し書いてみます。
私は創価学会の活動を離れた時から、自分が信じて来た日蓮という人物、そしてその残した教えと共に、日蓮が大事な経典だと言っていた法華経について、訓読を利用しながら幾度かその内容を読んできました。
法華経(鳩摩羅什漢訳「妙法蓮華経」)を幾度か読んでみると、なるほどそういう事なのか、という部分を見つけたり、また「広宣流布」を託されたのは地涌菩薩ではなく、宿王華菩薩である事など、創価学会では知る事も学ぶ事もなかった事実に幾つもめぐり合い、その度に驚いたり得心したりという事がありました。
しかし創価学会の場合、この「法華経」を独自に読んでみる事や、その経典の内容を考察して語り合う事すら出来ない状況なのです。それは何故かと言えば、既に創価学会の中では「聖典」とも言うべき扱いになっている、池田大作著の「人間革命」の中にある次の内容が活動家幹部の心の中に染み込んでしまっているからではないかと思うのです。
(少し長めの引用になりますが、紹介します)
「戸田城聖は、一九五〇年(昭和二十五年)の十月末、総本山大石寺を訪れた。彼は宿坊で、多くの学会員と懇談しながら、丑寅勤行を待っていた。
定刻、客殿で丑寅勤行が終了すると、彼は、一同から離れて宝蔵の前に向かった。
深夜の宝蔵は、杉木立の老樹にすっぽり包まれ、秋の冷気が漂い、静まり返っている。戸田の姿には、荘厳な峻烈さがみなぎっていた。
戸田は、つかつかと石畳を踏んで進んだ。そして、石畳の上に端座した。目を上げると、数段の石段の上に、土蔵造りの宝蔵の、厚い扉が見える。
大御本尊が安置された宝蔵の前で、戸田は、静かに唱題を始めた。唱題の声は高くも低くもなく、極めて平静でありながら、一つ一つの題目には、鋼のような気迫が込められて、静寂に沈んだ深夜の空気を刻むように響いた。
富士の山は、雪を冠り、冬の近いことを思わせる山の冷気である。憔悴した戸田の体には、石畳の冷たい硬さとともに、耐えがたいものであったにちがいない。
しかし、彼は、足のしびれも、皮膚を刺すような寒さも、何も感じなかった。今、彼は、ひたすらに「大荘厳懺悔」の唱題を続けていた。彼は、額にうっすらと汗さえかいていた。
彼の脳裏には、終戦後の一切の事件が、次々と映っては消えていった。さらに、彼の現在の姿も、鮮明に、如実に浮かび上がった。彼は、わが身の謗法を自ら断罪したのである。
″戦後五年の月日が流れてしまった。学会は、まだ盤石の基礎から、程遠いところにある。なぜであろう。
私は、昭和二十一年(一九四六年)正月、総本山の坊で四人の幹部を相手に、法華経の講義から始めた。
それというのも、戦時中の、あの弾圧で、教学の未熟さから、同志の退転という煮え湯をのまされたからだ。法華経の講義をもって、強い信心の骨格をつくろうという、私の方針が間違っていたとは、どうしても思えない。方針は正しかったが、大聖人の仏法を理解させることにおいて、私は誤りを犯したようだ。
大聖人の仏法の根本義を明かした「御義口伝」をもとにして講義したつもりであったが、受講者は、なかなか理解しなかった。そこで天台の『摩訶止観』の精密な論理を借りて話すと、よくわかる。いきおい受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて、いつの間にか天台流の臭味のある法華経になってしまったのだ。」
(小説「人間革命」3-4巻 (池田大作全集第145巻)-秋霜からの抜粋)
これは人間革命の中では、結構有名な部分で、紹介した文の前段では、戸田会長は出版事業の停止と信用組合の業務停止に見舞われた事が語られ、その事によりこの文にある「大荘厳懺悔」を行ったという事になっています。そしてそこで、戸田会長が創価学会の再建の際に行った「法華経講義」が間違いであり、その法華経講義により、受講者に「大聖人の法華経」ではなく「天台流の臭みのはる法華経」を教えてしまった結果の罰だと気づいたというのが、この部分なのです。
なるほど、これを読んでしまうと、とても「荘厳」かつ「厳粛」な気持ちにもなってしまいますよね。私も若い頃にこの部分を読んで、戸田会長の深淵な苦悩の一端を感じる事が出来たと、安直に思ってしまいました。
しかし、この「大荘厳懺悔」って、本当に間違えてないんですかね?
いや、、創価学会の「臭み」を離れて、日蓮の御書を読んだり法華経を読んで、率直にそういった事を私は感じた訳です。
まず戸田会長が自身の行う事業展開が失敗した事を罰として捉えて、懺悔を行うというのもオカシナ事なのです。このブログで幾度か紹介しましたが、日蓮は「体験」によって、法の正邪を捉える事は厳に戒めていました。
「通力をもって智者・愚者をばしるべからざるか。ただ仏の遺言のごとく、一向に権経を弘めて実経をついに弘めざる人師は、権経に宿習ありて実経に入らざらん者は、あるいは魔にたぼらかされて通を現ずるか。ただ法門をもって邪正をただすべし。利根と通力とにはよるべからず。」
(唱法華題目抄)
ここでは「通力」と言っていますが、要は「摩訶不思議な体験」とかで「法の正邪」を論ずる事を、厳に日蓮は誡めているのです。「法の正邪」とここでは謂いますが、自分が行っている事が正しいのか、間違っているのか。その判断は常に「仏の遺言(経典)」を以て推し量るべきだと日蓮は語っているのです。「唱法華題目抄」とは、日蓮が立教開宗した当初に著した御書です。初めに著したという事は、一番肝心な原理原則を述べていると言ってもいいでしょう。
しかし戸田会長は自身の行動の「正邪」を「自分の生活体験」から判断しているのです。何故、自身が行った法華経講義が合っていたのか、もしくは間違いだったのか。それを論証する為の「具体的な経文による論及」も無ければ、日蓮の御書の引用すらありません。日蓮の五大部や十大部では、自分の考えが正しいのか、間違えているのか、様々な経典を引用していましたが、戸田会長は「大聖人の法華経」という言葉を言いながらも、そういう日蓮の姿勢に学ぶ事すらしていません。
これは日蓮の求めた姿勢ではありませんよね。
あともう一つ。
ここで「大聖人の法華経」と戸田会長は言っていますが、戸田会長が生涯に渡り信じて来た教えとは、これが実は「賢樹院日寛師の解釈した日蓮の教え」であって、それが即ち「日蓮本意の教え」では無かったのは紛れもない事実です。そもそも「久遠元初自受用報身如来」とか「末法の御本仏」という発想自体、これは天台宗恵心流の「中古天台」の流れを汲んでいたという事が、今の時代になって判明しています。それもあって創価学会では2014年11月の会則改正に伴う教義改正で「日蓮本仏論」を取り下げていますし、日寛師の教学を見直しする事も宣言していました。(まあ未だその事は何も為されていませんが)
日蓮の五大部や十大部を中心に、改めて創価学会の講義を無視して、日蓮の御書を、古文の知識と鎌倉時代の日本仏教の事情などを勘案して読み進めてみると、実は日蓮の説いた教えというのが、天台大師の仏教をベースとしている事が理解できるのです。十界論もそうですし、五重の相対なんて言うのも、天台大師の教学からの引用に他なりません。「観心」という事も、これは天台大師が修行として行わせていたもので、当時の中国では天台宗を「禅宗」と呼んでいたほど、天台僧は座禅による内観に励んでいたと言います。(ちなみに日本の禅宗は、当時の中国では達磨宗と呼んでいたそうです)
また日蓮自身、この「内観」という修行を否定はしていない事は、次の御書を見れば明らかです。
「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」
(唱法華題目抄)
要はここで「愚者」と呼んでいますが、仏教に暗い人は「一念三千の内観」を先にしてはいけない。もし内観をやりたいと思う人がいるのであれば、しっかりと学んでから取り組みなさいと言っているのです。
他にも様々とありますが、要はこういった事から考えると、やれ「大聖人の法華経」だとか「天台流の法華経」なんてものは無く、それは単に日蓮滅後に日興門流の中で醸成された「大聖人仏法」というものであって、そもそも、それが日蓮が本意の教えかどうかさえ、実に怪しいものなのです。
◆まとめ
以上、ツラツラ書いてみましたが、要は戸田会長は自身の「生活の上の信仰体験」から、自分が信じていた中古天台の流れをくむ「日蓮大聖人仏法の教え」とずれた事により、それら生活上の不利益が「仏罰」であると認識し、勢いこの中古天台の臭みのある「日蓮大聖人仏法の教え」に、戸田会長は傾倒していったという事なのかと、私は理解しました。いや、正確に言えばそういう教えを持った「大石寺の信仰」に傾倒していったと言っても良いでしょう。
また戸田会長がここで「法華経講義は間違いだった」という見解を表明した事から、創価学会の活動家の中で、直接、法華経に触れて行こうという意識をも挫く言葉として、これを残してしまいました。これが結果として、法華経にある「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ。」という、広宣流布の言葉を打ち砕いてしまっていますが、肝心の創価学会の活動家は気づきもしないです。
その為に、現に創価学会の中で「妙法蓮華経」って何が説かれているか、語れる人はいませんよね。だから法華経について活動家幹部が質問されると、何だか要を得ない解答ばかりが戻ってきます。要は皆が法華経とは自分達とは「無縁の仏」である「釈迦」が説いた経典だとか言って、呪文の様に勤行では朝晩経典の一部を読誦していますが、そこにある意義なんて誰も理解していません。
そういった創価学会の文化を作ってしまった事。これを私は「戸田会長の誤謬」として、ここでを定義したいと思います。
まあ戸田会長の「誤謬」なんてのは、他にもありますけどね。「獄中の悟達」とかもね。
それについては別にまた書いてみたいと思います。