創価学会にとっては「広宣流布記念の日」と呼んでいて、広布後継者には意義深い記念日と呼んでいました。私も男子部当時には、この日は様々な行事や活動の重要な節目の日として意識をしていましたが、最近ではどうなんでしょうか。嫁に聞いても座談会のテーマにもなってないようなので、そんなものだったのかと思えてます。
確かこの日の淵源は、1958年(昭和33年)に大石寺大講堂(今は跡形も無くなってますが)の落慶法要の日で、まだ存命中だった第2代戸田会長が、弟子達に広宣流布のあるべき姿を見せたいと、当時、総理大臣であった岸信介総理(安倍前総理の祖父)を大石寺の落慶法要に招待しようとしたんですよね。でも結果としては「一国の総理大臣が、一宗教団体の記念の行事に参加するのは如何なものか?」という周囲の反対もあり、総理大臣の参加は突然立ち消えし、その息子家族が代理で参加して行われました。こんな事から「広宣流布の模擬試験」と創価学会の中では呼ばれてもいました。
「青年を裏切ったことが許せない!」
この総理大臣不参加に戸田会長は憤っていたと言いますが、それは兎も角、私が活動家時代に、高齢者となったこの法要の参加者に聞いた所、なんでも当日は「お椀とハシ」を各自持参する様に連絡があったそうで、早朝に大石寺につくと、そこで豚汁が振る舞われたそうです。
そして当時、既に衰弱激しかった戸田会長の為に池田氏はポケットマネーで車駕を作りましたが、その大きさを見て「大きすぎる!これでは戦の役には立たぬ!」と池田氏を叱りつけたそうですが、弟子が真心で作ったものである事から、それに乗り移動、落慶法要は行われたと言います。そしてその法要の中で「創価学会は宗教界の王者である!」と宣言し、後継の一切を弟子達に託したと言うのです。
簡単に言うと、3・16とはそんな出来事でした。そしてこの法要の時に、大講堂のエレベーターの中で戸田会長から「次はお前だ」と池田氏は言われたと語り、その後、1960年(昭和35年)に、第3代会長に就任しました。
これは創価学会の中では麗しの師弟の美談として語り継がれ、私も活動家時代にはその様に思ってましたが、いま創価学会の組織から離れて、この出来事について考えてみると、色んな事が頭の中をよぎります。
一つは豚汁の事。日本の仏教では当然、殺生は固く戒められています。にも関わらす、寺院の境内において、信徒達が自分達が食する為に、生きている豚を潰し解体するという事について、当時の大石寺ではどの様に考えていたのでしょうか。この事は既にTwitterの上でも語られている事ですが、大石寺は容認したのか、それとも創価学会が勝手にやった事なのか、はたまた宗門側には事前に連絡していたのか、等など。気になる事が多々ありますよね。創価学会や大石寺では「化儀の広宣流布」と呼び、いわば形式を広める事を言ってますが、こういう事については何も記録された資料が無いのです。
二つ目は、戸田会長と岸総理の人間関係ですが、どこにその始まりはあったのでしょうか。岸総理と言えば、GHQからはA級戦犯と言われながら、戦後に生き残り、日本を極東アジアの防共の要石とした宰相です。その意味もあって創価学会以外にも統一教会とも繋がりがあった様な話もありました。創価学会側の公式記録には、この岸信介氏と戸田会長の人間関係について、詳らかに書かれたものはなく、小説・人間革命にも、この辺の立ち入った話は一切書かれていません。これは過去に牧口氏も関係していた日本皇道立教会まで遡った歴史が関係しているのかもしれませんね。そこには戦後右翼のフィクサーである児玉誉士夫氏も関係してたりしますが、そこには創価学会の本当の根っこの一部に触れる過去の歴史があるのかもしれません。
三つ目は、「次はお前だ」と、大講堂のエレベーターの中で、戸田会長から池田会長に後継の指名があったという話です。私はこの話に、大石寺の日達師から日顕師へと相承疑惑に似たものを感じています。要は本当にそんな事があったのか、という事です。
ただ私は、例えば日蓮より日興師への次期指名が有ったかと言えば無いと考えています。それは宗教の後継者とは、先達からの指名ではなく、受け継ぐ側個人の思いの中にあると考えていますので、そこにはあまり拘りを持っていません。問われるべきは、その後継を自認した人の行動であり遺した結果だと思うのですが、果たして池田氏は戸田会長の後継者としてはどうだったのか。
確かに組織は戸田会長亡き後も膨張を続け、八百万世帯まで大きくなり、創価学会の名前は、いい悪いは別として、世界の多くの人達に知られる様になりました。しかしその一方で、日本国内の組織は政治絡みの姿勢が強くなり、最近では自民党内からも「集票マシーン」と揶揄され、仏教団体と言いながら、仏教には疎い会員ばかりが増加してます。またその池田氏の間近で育てられた「人材」の人間性はとみに問題視されています。現に組織に不満を持つ会員や元会員には「法律で潰す!」と言い、影で多くの人にスラップ訴訟まで起こしています。またSGIという、その昔はNGO(非政府機関の国際組織)と胸貼っていたのに、今では日本のドメスティックな創価学会の一部局へと格下げし、現執行部はこれを当初とは違う形にしてしまいました。まあ、上げたら切り無いくらいな変節ぶりてす。しかしそれに異を唱える会員も少なく、もし異を唱えるなら、その会員や幹部は査問に付したりしてますよね。
要はこれが第三代会長の「置き土産」と言っても良いでしょう。中には「これは池田先生の問題ではなく、弟子たちである現執行部の問題だ!」と言う人もいますが、その弟子達を間近に薫陶したのは誰でしょう。あとまかりなりにも池田氏は創価学会の最高実力者であり、最高責任者であったのであれば、この責は逃れる事は出来ません。
つらつらと考えて見るに、過去には大々的に記念日としていた3・16の事を改めて考えてみると、こんな事だと私は思うのですが、皆さんは如何思いますか?
これでは確かに近年になり、創価学会としても大々的に扱わなくもなるのかなあと、穿った考え方をしてしまうものですね。
以上、少し考えてみた事でした。