自燈明・法燈明の考察

衆議院選挙が始まりました

 今週に入り、急激に寒くなりました。
 お陰で急ぎ仕事机を「こたつ化」しましたが、やはり急激な気温の変化は体に大変きつく感じます。これは毎度の事ですが、肉体的な年齢の影響しているのでしょうか。
 私の場合、昨年の2月からテレワークで、仕事を自宅で行っていますので、風邪こそ引いていませんが、体調管理には気を付けていきたいと思っています。

 さて、岸田内閣は発足直後に衆議院を解散、総選挙を行う事にしました。賛否両論はあると思いますが、衆議院の任期満了も近く、野党が選挙の準備が整わないうちに、また自身の内閣への信を問う意味も考えて、衆議院を解散したのかもしれません。ただこれは集票マシーンたる創価学会の組織には負担を掛けていて、私の周囲では「早過ぎる!」なんて言葉を耳にしました。

 今回の衆議院選挙には、どんな意義があるのか、私なりに少し考えてみました。世間一般では政権交代というのが言われていますが、果たして今回の衆議院選挙で政権交代が起きるのか、実は私はかなり懐疑的な処があります。



 私は過去に2回の政権交代を見ています。
 初めは「55年体制の崩壊」と言われた自民党から連立政権(後の新進党政権)への交代劇、二回目は自民党の福田総理が「私はあなた達とは違うんです」という発言もありました民主党政権への交代劇でした。
 当時、どちらともマスコミ報道を始め、社会の中にも政権交代すべきという、かなり高い温度感を感じたのですが、どうも今回はそんな温度感を私は感じ取れていないんですよね。これは私だけなのかもしれませんが。

 確かに野党の動きや発言、またそのシンパという様な人達の発言を見ると、政権交代という言葉が踊っていますが、肝心の「サイレント・マジョリティ≒浮動票層」と呼ばれている人達の中には、それほどこの「政権交代」という言葉が響いていない様に思うのです。

 冷静に振り返ってみると、当初は安価に開催できると言われていたのに、気が付けば4兆円とも言われる債務を抱えるようになってしまった東京オリンピック。新型コロナのパンデミックでは、アベノマスクと揶揄された大失政もありますが、その後の困窮者等への支援策の迷走、これは「お魚券」とか「お肉券」なんてのもありましたが、結果としては、国民一人に一律十万円の支援、また「GOTOトラベル」なんてのも残っていますが、本当に支援が必要な人に支援は届いておらず、どうもピントがズレている感じがしていました。

 他国では即効性で大規模な経済的支援を行っていましたが、日本は既存の仕組みの上で、既存の手続きを以って進めてしまった事も、この混乱の要因の一つではなかったのではありませんか?
 要は「国家規模の危機管理」に、政府が対応出来ていなかったという事が、これを通して明確に表れてしまったと思うのです。

 恐らく菅前総理大臣なんかも、平時であればそつなくこなせた宰相として記憶されたはずですが、この緊急事態宣言の状況の中、平時の枠組みの中でしか、足掻くことが出来なかったことから、あれだけ醜態を晒してしまったのではないかと思うのです。

 また通常であれば、例えば現職閣僚と大企業の接待で明らかにもなった政府のこの不甲斐ない様々な動き、NTTと平井元大臣の接待ですね。あと与党議員が緊急事態宣言中にも関わらずキャバクラへ行ったり、官僚が宴会を開く等の不適切な行動がこれだけ表出してしまい、政権与党に対して大きな不信感が持たれるはずですが、此等の事もなにやら国民感情の中では、何となくスルーされている様に感じます。

 これは何かと考えた時、やはり過去2回の政権交代の結果、国民の政治への不審を通り越した根強い白けが根底にある様に思えてしまいます。

 この白けは、本来は政権交代の期待に答えるべき新進党が内輪もめで瓦解したり、民主党政権の時には、例えば一部議員の二重国籍問題、また尖閣諸島周辺での中国漁船体当たり事件の隠蔽、消費税増税への舵切りなど、今の野党がやってきた一連の行動もあって、国民の政治への白けが深刻化してしまったのではありませんか?

 当時の民主党も、こういった事に反省や総括する以前に、内輪もめで分裂して、いまの立憲民主と国民民主とかに別れています。ここのどこに「国民目線」があったと言うのでしょうか。

 これでは国民も白けきってしまうのも、私はわかる気がしますけどね。ラッピングの名前(政党名)が変わっても、中身が同じで、そんな野党の政治家達が「今こそ政権交代を!」なんて声を上げても、国民は直ぐに「そうだ!!」なんてならないと思うのです。最近では「れいわ新選組」の山本代表の立候補地の問題で、やはりバタバタがありましたからね。

 さて、ただし今回の総選挙ですが、実は試されているのは国民の民主主義への理解度だと私は思っています。ある意味で政治家の個々の資質は置いといて、私達国民は今の政治に対して判断を求められているわけです。

 民主主義では自身の政治の代弁者たる議員を選択するという意味もありますが、それと共に今の政権、これは自公連立政権ですが、それへの信任投票という位置づけもあるのです。

 今回の新型コロナ禍で今の自公政権の取った行動は、国民には適切であったのか、なかったのか。そこに対する審判を行うのは国民としての役割です。これらの事に皆さんがどの様に考えているのか、それを明確に示せるのか、示せないのか。今回の総選挙には、それを日本国民には求められていると思いますよ。

 政治に対する白けは確かに根深いものとなっています。しかしここで国民の政治への審判の権利すら放棄をして、投票という大事な機会を逸してしまっては、日本は民主主義の国家としても完全に終わってしまうのではありませんか?

 そのパロメーターとして、今回の総選挙で注目すべきは「投票率」だと思いますが、果たしてどれだけの投票率になるのか、私はそこが大事なポイントだと見ています。

 よく野党シンパは、政権交代こそが日本がこれから明るい国になれる途みたいな発言もありますが、私はそんな政権交代ユートピア論の様な幻想は持っていません。恐らく野党が政権交代して政権を握っても、早晩また混乱して分裂し、その政権は終わってしまうでしょう。二度あることは三度ある。ですからね。

 私個人としては、それでも今回は政権交代はすべきだと考えていて、これには野党が政権を握った際に発生する国の混乱をも覚悟の上で、という事があります。それでも今までの与党政治には「ノー」を突きつけるのが、民主主義の意義だと考えているからです。

 皆さんはどんな考えで、今回の総選挙を捉えていますか?


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