自燈明・法燈明の考察

オカルトと科学の境界線

 こんな題名で文書を書くことが妥当かどうか、自分でも解りませんが、でもまあ、いま考えている事について少し文書化してみます。今回の記事は、読む人が読むとかなり胡散臭い内容にも感じるかもしれませんが、ご容赦下さい。

 私が小学生の頃、はやっていた漫画で、つのだじろう氏の「恐怖新聞」とか「うしろの百太郎」という、まあオカルト的な漫画がありました。そこではコックリさんとか守護霊さんとかいう、まあ簡単に言えば「降霊術」のような遊びが紹介されていたのですが、こんな遊びがはやっていました。私もご多分にもれず、この遊びをやった事が幾度かありました。これは白紙の上中央に鳥居をかいて、「あ」〜「ん」までの五十音と「はい」「いいえ」。そして「0」〜「9」までの数字を書き、十円玉を鳥居の上に置き、二人以上でその十円玉の上に指をおいて、そこに霊を呼び込むというものでした。

 霊が来ると十円玉が勝手に動き出すのですが、これが当時は不思議でたまらず、いろんな事を質問したりして、その答えを貰うというものでしたが、今から考えたら人間の深層心理の働きで、微妙に指に力が働き、十円玉が動いたのだろうと思います。ただ私は、この事で一度だけ実験をしたことがありました。それは油粘土を平にしてヘラで伸ばし、「守護霊さん」を呼び出して十円玉が動き出した時に「この粘土板に指を押し付けて指紋を出して下さい」とお願いをしたのです。するとどうでしょう、油粘土の上にじわりと指紋が浮き出してきたのです。これには正直、小学生の私はとても驚きました。

 いま考えてみてもこれは不思議な事で、信じてもらえないでしょうが、本当に誰も触れていないにも関わらす、自然に平にした油粘土の上に指紋が出てきたのです。

 こんな事は今の科学でも説明が着きません。さしづめ幻覚でも見たのだろうと言われるのがオチだと思うのですが、小学生の頃に体験した事は、今でも鮮明に覚えているのです。

 人は理屈で説明が出来ない事、科学的に説明が付かない事は徹底的に否定をします。「そんなオカルト的な事はあり得ない」「お前は頭がどうかしているのだ」と言われる事を恐れ、そこで思考をする事を止めてしまいます。幾ら自分が体験した事であっても、その自分の体験すら否定をしてしまいます。

 しかし考えてみたら、現代の科学で証明されている事を、今から二百年前、三百年前に持っていったらどうでしょうか。おそらくは「魔術的」と言われ「魔法使い」と言われる事は間違いないでしょう。中世ヨーロッパであった場合には「悪魔」とかレッテルを貼られて、異端審問にかけられ死刑になるかもしれません。例えば携帯電話や今の交通機関で利用しているテクノロジー等は、昔でしたら魔術以外の何物でもありませんよね。

 思うに現代でもオカルトとして分類される出来事のうち、幾つかのものは、もしかしたら二百年から三百年先には、当たり前のテクノロジーとして、普通に利用されている事柄もあるのではないでしょうか。

 心理学のカール・グスタフ・ユングは、ポルターガイスト現象やUFOの現象について、当時の科学では説明がつけられない事に対して否定はせず、事象としてそれらの事を存在する事を認め、研究を進めたと言います。そんな中で今ではよく使われる「共時性(シンクロニシティ)」と言うものを定義しました。思うに今の人類にとって、オカルトと分類される出来事や事象の中に、次の人類の科学進化のステップとなる事も隠されているのかもしれません。

 だから単に摩訶不思議な事、今の段階で科学的な理屈に合わないからと言って、単純に排除するのではなく、その事柄の奥底を洞察できる賢明な思考と言うものを、育む必要もあるのでは無いでしょうか。

 そんな事を、最近ではよく考えています。



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