最近思うのは、この新型コロナ禍というのは、いったい何なのかという事ですね。世の中の仕組みが変化するばかりか、感染症拡大という恐怖感をテコに、この一年半程度の期間で、人々の意識も大きく変化させられてしまいました。
やはり私達は、人類社会という枠組みの中での、大きな変革期を生きているのかもしれませんね。
さて、本日の本題です。
ジブリ映画の「もののけ姫」というのは、多くの人が観ていると思います。あの中で「シシ神さま」というのが、物語の中心に出てきますが、あれは「シシ神の森の神」であり、その森の自然の中に生きている生き物たちが信じて尊崇している存在です。
以前に監督の宮崎駿氏は、このシシ神については自然そのものであり、自然とは生き物たちを守り育むも存在でありますが、時によっては生命を奪う存在でもある事を述べていました。
確かに自然はその様な存在である事は、自然と人間の関係を見てみればわかる事です。農作物の豊饒で、人々を豊かになることも有れば、天災で多くの人々が生命を奪われる事を私達は見てきています。
考えてみれば、人類とは傲慢不遜な存在で、この地球というのは私達の為に存在し、まるで私達人類を守るべき母親の存在だと過信していますが、私達は地球環境の一部であり、何も他の生き物達と異なることの無い、少し智慧のある一つの生物種でしかないのです。だからこの先、いつ人類が居なくなってもおかしく無いと私は思っています。
私は「人間主義」という言葉は、若い時にはとても大事な視点だと考えていました。しかし最近になって、この言葉には人類の傲慢不遜な心が表れているように感じているのです。
何故なら「人間こそ尊い」という基本的な信念があってこの言葉は出来ていると思いますが、その人間とは生きていく為に、多くの生き物を喰らい飲み込み、化石燃料をバンバン消費して地球環境に多大な負担をかけて、近年では核燃料を利用して放射性物質まで環境に撒き散らしています。
私もそういう今の人類文明の恩恵を受けて、日々生きているので偉そうな事は言えませんが、最近になり、この人間主義という思想には、何が大事な事が欠けている気がしてならないのです。
そしてこの要因の一つに、私はいま人類が持っている信仰観が根っこにある様に思えています。
ここで一般的な信仰に関する観点で話をしますが、人々の信仰では、多くが人の目の前にある苦悩に対する解決に向けて、超自然的な存在に祈る行為を行います。このときの超自然的な存在として、ある人達は「神への贖罪」の祈りを捧げ、またある人達は「仏様の御威光にお縋り」し、そこで罪障消滅を祈る事もあります。
人間とは社会的な生物なので、一人ひとりが感じる苦悩とは、社会の中で他者との関係性で起きている事があります。具体的に言えば、例えば借金にまつわる苦悩、また自分自身の社会的な願望、これは社会的な地位や立場、また資金的な豊かさという事もあるかと思います。しかし社会という中の繋がりを持っていた場合、一人が利益を享受する陰で、一人が損害を被るという事も当然ある事です。
しかしこういう日常の社会生活の中で感じる苦悩を持つ人達は、往々にして自分の事は考えていても、他人の事には思いを致していない場合が多くあります。それは既に苦悩の中に溺れてしまっているので、そこまで想いが至らないのでしょう。
少しの常識を以て考えてみれば、こんな事は誰でも理解できると思いますが、その「少しの常識」というのを、今の人類が持つ信仰の世界では、考えさせずにやり過ごしてしまいます。そういう事が、翻り人類の自己中心的な思考を増長させてやしないでしょうか。
また病やそれによる死ぬ恐怖、そこから逃れるために必死に祈る事もあるでしょう。しかし人間とは何時が必ず死ぬべき存在であり、けしてこれらの苦悩や恐怖から逃れる事は出来ないのです。だから大事な事は、私達もそんな生き物としての宿命を背負っている存在であることを、まずは受け入れる事から始めなければならないのですが、やはりこの生物の根源にある恐怖に人々は翻弄されてしまいます。
神や仏が地球をも育む存在という事であれば、何も人類のみにご利益を授ける存在であろうはずがありません。時と場合によっては、むしろ人類を罰し、時によっては滅ぼす事もあり得るのではないでしょうか。そんな観点から考えた場合、果たして今の人間主義というのは、普遍的な考え方になるのでしょうか。
最近思うのは、神や仏は人間のご都合に合わせて働くものでは無いということ。また私は仏教を少し学んできましたが、仏教ではご利益ある仏様を信じることなんて、求めていませんし、仏とはそんな存在ではないのです。
人類はいま、この辺りの考え方を変えるべき時に来ているのではないでしょうか。そして人類社会やその中に生きる私達という存在を、まずは地球環境から俯瞰して見えるようにならなければいけない。そんな時代を生きている事を自覚すべき時ではないのか。
そんな事を考えています。