在宅勤務と言いながら、私の仕事には波があるので、トラブルなどが起きた場合や、新しいサービスが出た場合にはメチャクチャ忙しいのですが、その狭間ではとても暇な時期があります。いまその時期に入っていて、かなり時間が空いているので、暇つぶしにご執心という状況です。会社の事務所にいるより、在宅勤務では暇つぶしをするネタは結構ありますからね。
そんな中、以下の記事が一部界隈を賑わしていますね。
ここではサントリーホールディングスの新浪剛史社長が、9月9日に自らが副幹事長を務める経済同友会の夏季セミナーでの以下の発言を取り上げていました。
新浪氏はアベノミクスについて「最低賃金の引き上げを中心に賃上げに取り組んだが、結果として企業の新陳代謝や労働移動が進まず、低成長に甘んじることになった」と総括。日本企業が企業価値を向上させるため、「45歳定年制」の導入によって、人材の流動化を進める必要があると述べた。
私は過去に知人と一緒に会社をやっていて、小さい会社でしたがそこでは雇用する側の立場にいた事もあります。また現在では、雇われる側として仕事をしています。だからこの報道について、両方の面から思う事がありますので、少しその事について書いてみたいと思います。
この話をする前に、まずは一般的な45歳という世代について考えてみたいと思います。
最近では全体的に晩婚化が進んでいるという状況もありますが、だいたい男性の場合には30歳から35歳前後で結婚する人が多い様です。その場合、45歳になると子供たちが中学生や高校生になる世代で、これから教育費もかかる世代になっていきます。小学生や中学生くらいであれば、お金がかかると言っても、まだ良いのですが、中学生以降となるとやはりそれなりに金額がかかるものです。また持ち家の場合、そこには住宅ローンもありますので、より支出が大きくなります。そう考えると年収ベースで600万以上は最低限ないと、共働きでも生活はかなりカツカツとなってしまうでしょう。理想を言えば年収1000万あれば良いのですが、最近の状況ではこれも厳しい状況です。
まず雇用する側の視点で考えてみます。
雇用する側からすれば、社員を雇うというのは、そこから売り上げをあげて会社として利益を上げる事を当然考えています。
私が過去にやっていた会社はシステム開発会社でしたが、若い新入社員を入社させた場合、約3年間は会社が持ち出しで雇用する事を考えていました。若い社員の場合、年収で300万程度なので3年で約900万円。まあざっくりと考えたら1人1000万円の資金を会社で持ち出しを覚悟して雇用します。
一方、雇用するにしても中途採用で、それなりに年齢が高い場合には、やはり即戦力という事を期待します。でもやはり仕事という事で言えば、直ぐに利益を出せる様になる訳ではないので、前職給以上を求められた場合には、当然求めるスペックの閾値も高くなります。だから短期でスペックを期待できない状況が見えれば、一般的に試用期間を以って「ごめんなさい、さようなら」をしなければなりません。
まさか45歳の年齢で、新入社員と同様に年収300万前後では、雇用される側も納得しないでしょう。
まあ同業種であり、それなりに実務に明るい状況であれば、期待も出来ますが、仕事のやり方や相手をする顧客層などは、会社ごとに異なりますので、同業種で経験者であっても、やはり即戦力とはなかなか成り得ないものです。
また高い年齢の人を雇用すると「前の会社ではこうだった」とか「この会社のやり方は違う」なんて意見を言われます。まあ意見を言うのは良いのですが、会社の方針とは馴染めない人も多くいる傾向がありますから、やはり「使いづらさ」というのは付いて回りますので、やはり雇用するにも厳しい感じにもなります。
一方、雇用される側の視点で書きます。
雇用される側では、若い年齢の時には「自分のやりたい事」「仕事による自己実現」という事もあり、独身者も多いので、あまり年収に拘らずに転職する事も出来ますが、やはり年齢が高くなると、それなりに生活にお金もかかる事から、どうしても生活レベルの現状維持が念頭にありますので、年収ベースでの要求は高くなってしまうものです。
それでも前職で、しっかりと「仕事をするという事と、給与を得るという仕組み」を理解していれば、それなりに転職する際にも「自分の売り」を的確に会社側に提案して、年収の交渉についても進められると思いますが、私が見たところ、大企業に長年にわたり勤務していた人は、このあたりの感覚を持っている人があまり居ないように思えます。
また長年、大企業にいると「大企業の看板だから出来た仕事」であったという事が理解できず、それがさも自分の「実力」であると勘違いしている人も多くいます。そしてその勘違いが、転職後の悲劇を起してしまう事もあるでしょう。
高い年齢の転職では、収入が減少する事を、どうしても覚悟をしなければならないのですが、やはり生活レベルの維持。特に家族がいれば、家族との生活を守りたいので、収入が減少するという事を中々妥協する事が出来ないと思うのです。
ただここまで考えた時、そもそも「会社」というのは社会の中で、どの様な存在であるのか、そこを考える必要があると思うのです。果たして企業とは何なのか。私が過去に学んだのは以下のものでした。
「企業の目的はもうけること(利益をあげること)だけではありません。企業の最大の目的は、顧客・市場からの「満足」を獲得し、永続的に成長し続ける過程で社会的責任を果たすことです。そのためには、適正な利益を得なければなりません。利益をあげられない企業は存続・発展することはできないからです。」
ただ思う事は、21世紀に入り小泉自公政権が「市場原理主義(リバタリアリズム)」を日本に導入してから、日本国内の企業は「利益をあげること」「永続的に成長し続ける」事には注力していますが、ステークホルダーとしての「従業員」については「経費(損益)」として考える風潮が強くなったように思うのです。
過去の日本では、企業は日本社会の「公器」であり、人々の雇用の場を提供する事で、社会の安定性に寄与してきた存在でした。だから私の親の世代では「真面目に社員として勤務を続ける」という事で、40代にはそれぞれが家を持つ事も出来ましたし、専業主婦でも家庭を回す事も出来た時代であったように思うのです。
一方、現在ではグローバル化も進む中で、外資系企業も多数、日本に参入している事もあって、企業自体が生き残りを真剣に考えなければならず、その為には「利益重視」で企業経営をしなければならない厳しい状況です。だから従来の様な「社会の公器」という事では生き残りが出来ない時代となってしまいました。
だから今回のサントリーホールディングスの新浪剛史社長の話になるのかもしれませんね。またこれはやはり「日本の政治」の問題だと思うのですが、そんな事を真剣に考えている政治家は、今の日本には見当たりません。
まあ実際に大企業の中には「フリーライダー」の様に、自分の業務と会社の利益を度外視した40代以上の社員というのが居ますからね。そういう人達にとって、これから厳しい社会が到来するのかもしれません。