自燈明・法燈明の考察

法華経の思想性について(1)

 さて、今日は日曜日で時間もある事から、少し法華経の思想性について考えてみたいと思います。

 鎌倉時代の日蓮という僧は、当時の仏教界を見て、釈迦一人で始まった仏教が、何故多くの宗派に分かれてしまったのか、そしてその仏教が社会の混乱を増長させていたのかという事を疑問に持っていたと言います。

「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗念仏宗等の大綱粗伺ひ侍りぬ」
(善無畏三蔵抄)

 この有名な御文も、その日蓮の心を顕している部分だと思うのですが、残念な事に、ここにある「虚空蔵菩薩眼前に高僧と云々」という言葉に振り回された議論も多くなされてきてしまいました。

 日蓮が仏教を学んだのは、言わずとしれた比叡山延暦寺で伝教大師が日本に開いた天台宗の総本山です。天台宗では法華経を中心とした教学を持っていたので、日蓮が法華経を最大一として考えたのは、ある意味で当たり前であったと思います。

 日蓮の生きていた時代に、この法華経の事をどれだけ研究されていたのか、そこは明確にわかりませんが、近年で判明した事は、法華経という経典は、釈迦滅後、五百年ほど経ったのちに成立した経典であるという事実です。つまり良く言う「法華経非仏説論」というのは、事実であるという事。
 また法華経が大乗経典で最高の経典であると位置づけしたのは、中国の天台宗の智顗(天台大師)でした。この智顗は法華三部経として無量義経・法華経・観音経を定め、その開経(序文)を無量義経であると定義して、そこにある「四十余年・未顕真実」という言葉から、法華経以前に釈迦が説いた経典は「真実を述べていない」と定義し、法華経を宣揚する教学体系を構築しました。

 しかし最近になり判明した事(というか、昔から言われていた事で、あまり知られていない事)として、この無量義経という経典には、サンスクリット版(梵語)が存在せず、漢訳した経典を曇摩伽陀耶舎(どんまかだやしゃ)が所持していたという事です。

 もし無量義経がインドで発生していた経典であれば、当然、サンスクリット語版も存在するものですが、無量義経にはそういったものが存在しないのです。つまるところ、この無量義経を法華経の開経であると決めたのは天台智顗(天台大師)なのです。

 だから無量義経の「四十余年・未顕真実」という言葉により、法華経が最高経典であるという事は、論理だての段階では崩壊していると言っても良いでしょう。

「なんだ、それならば法華経というのはバッタもんの経典で、嘘八百の経典ではないか」
「日蓮もそんなウソの経典を最高の経典なんて言っていたとは、大した人物ではないな」

 この様に短絡的な事を言う人もいるのでしょうが、論理構成として最高ではないという事と、そこで語られている事は、イコールではないのです。何を言いたいかと言えば、たとえ無量義経が「開経」ではないとしても、仏教の思想の中での法華経の位置づけというのは、やはりとても重要なポジションであり、大乗仏教を解釈する上で、大事な観点を提供している事には、変わりがないと私は考えているのです。

 恐らく日蓮もその事には気づいていたのでしょう。

「但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗成実宗律宗法相宗三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」
(開目抄上)

 後世の日蓮の門流である堅樹院日寛師は「文底秘沈抄」という論文で、この事を述べていますが、正直、あまりに小難しく論じているだけではなく、ここにある「文の底にしづめたり」という言葉を通して、この法華経の肝心への理解を、人々から遠ざけてしまっていると私は感じています。
 この事について、ここで少し語らせてもらえば、「文底」というのは、何も小難しい話ではないものです。例えば小説を例にして言うと、過去の文豪というのは、自身の書く小説という物語を通して、そこで語りたい内容というのが必ずあります。この場合、書かれている物語のストーリーとは「文上」であり、そのストーリーを通して本当に語りない内容を「文底」と言っても良いでしょう。
 法華経というのは、過去の学者は「意味の解らない壮大な物語」と言っている人もいましたが、そういった物語を「文上」なのですが、その法華経の物語を通して表現している事を「文底」と言うものがと私は理解しています。

 つまり日蓮は一念三千という法門は、法華経に書かれている壮大なる物語の「テーマ」として存在していたという事を宣べ、そのテーマに過去の人師・論師で気が付いたのは龍樹菩薩や天親菩薩だったが、あえてその事については触れていなかったという事を、この開目抄では述べています。また「但我が天台智者のみこれをいだけり」と言うのは、天台智顗は、この事を理解していたが、表立って語ってはいないという事なのです。
 一念三千とは天台智顗の著した摩訶止観等の文書には、一切明確に明かされておらず、あくまでの内観修行を行う際に「手引き的」に述べられていたという事について、如来滅後五後百歳観心本尊抄で日蓮が書いていますが、「いだけり」とはそういう事を指しているのでしょう。

(続く)


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