このブログでも幾度か紹介している本があります。
この本はアメリカの精神医学者であるJ.L.ホイットン氏とJ.フィッシャー氏の共著というものになっていますが、輪廻転生を題材として扱っているものです。輪廻転生については仏教の中にも説かれていますが、仏教の中でいう輪廻転生は、バラモン教から継承しているものですが、仏教の中でも特に原始仏教の関係者は否定的な人がいるようです。現代社会においてはどうなのかと言えば、世論調査(例えばアメリカのギャラップ等)では肯定的に捉えている人達が多いと出るのですが、一般的には肯定も否定もしていません。まあそもそもですが、「科学的」という言葉で証明できる内容では無いというのが、その理由です。
すでに紹介して読んでいる最中の「DEATH」に比べたら、この本に書かれている内容の方が、より具体的な内容にも思えるので、私個人としてはこちらの本を読むことをお勧めしたいですね。
この本で紹介しているのは「生まれ変わり」という事と、人が死んだ後、生まれるまでの間を過ごす「中間世」という内容です。仏教では四有のうち、中有に属する事柄で、チベット仏教では「バルト」と呼ばれる世界の内容です。
ここで書かれている内容は、昨今のスピリチュアル関係の本でも語られている内容とかなりダブりますが、私が興味を持つのが、その事を現役の臨床精神科医が自身の診た多くの臨床例から導き出しているという点にあります。
この本の内容に依ると、人はこの人生を終えると中間世(中有)に入り、そこで生きてきた人生を見返しながら、自身の魂の成長のために、次の人生を選択して生まれてくるという事で、その際に必要な課題をカルマとして自身で設定して、ある程度計画して生まれてきているという事だそうです。
仏教などでいうカルマ(業)とは足し算や引き算の様な考え方が多いのですが、J.L.フィッシャー氏によれば、カルマとは課題として自分が選択してくるというのです。これは仏教の中でも「願兼於業」の考え方に近しい内容です。
そしてこのカルマ論によると、例えば人が不慮の事故に遭い亡くなる事も、また事件に巻き込まれ殺害されたとした事も、全ては自分自身が生まれてくる前に、すでに自分自身として計画してきていいるというのです。この事は「必然主義」という単語で語られる事です。つまりこの世界で起きて遭遇する出来事には偶然はなくすべてが必然であるという事、またそれは誰でもない自分自身が選択してきているというのです。
こういう事から考えても、この考え方を受け入れるには、それなりのハードルが高いという事になるのかもしれません。
何故ならば昨今の報道で流れている様々な社会の悲劇も、実はその被害者自身が生まれる前に計画して選択してきた出来事だという事であり、これは人々の中で容易に受け入れられる事では無い様な気がするからです。
しかしかなり興味深い内容もあるので、このブログでこの本に書かれている内容についても、すこしづつ紹介をしていきたいと思います。