自燈明・法燈明の考察

心のかたちについて-臨死体験①

 さて、心のかたちを知る手掛かりの一つとして、臨死体験について少し考えてみる事を、この前の記事に書きました。

 臨死体験とは「死に臨む体験」と言いますが、この言葉通りに「一度死んだ」という状況の中から、生き返った人が語る体験の事を指します。こういった体験はネットを探すと多くの人の体験談があって、様々な内容を知る事が出来ます。

 ここでは京都大学の特任教授であり、医療倫理、死生学、宗教倫理などを専門にしている、カール・ベッカー氏の著書「死の体験」から、抜粋して、幾つかの臨死体験について、まずは紹介したいと思います。



◆日本霊異記
 これは「日本国現報善悪霊異記」とも言われ、平安時代初期に書かれ、伝承された最古の説話集で、そこの中に法相宗の僧である行基と、三論宗の智光の逸話が書かれています。

行基と智光はお互いに競い合っていたが、天平十六年(744年)十一月に行基が大僧正に任命された。ショックを受けた智光はその直後に下痢を起こし、一ヶ月後に死亡した。死ぬ間際に智光は、九日間は死体を火葬しないよう弟子たちに命じたが、その九日間のうちに、地獄を巡った。そこには行基が死後に住むことになっている黄金の御殿と、その北側に智光が罰を受ける場所とがあった。そして、智光自身の意志とは無関係に、彼は火・熱による厳しい罰を受けさせられる。その罰が九日間続いた後、智光は現世に戻され、行基と出会う。智光は地獄での体験の一部始終を行基に話し、彼に対して懺悔する。これを聞いた行基は喜び、智未も以降は嫉妬する事をやめ、両者ともいっそう教化に励んだ。

 ここに紹介されているのは果たして臨死体験と言えるのかはありますが、日本最古の記録の中にあった話としては、興味深い内容と言われています。ここでは智光が臨終の際に「九日間、荼毘に付さない」という事を、弟子達に言い残している事もありますが、この臨死体験によって、智光がそれまでの考え方を一変させている事も興味深いと言われています。

◆トンネルの体験
 臨死体験においては、「トンネルの体験」というのが多くあります。以下の体験もその代表的な体験ですが、紹介します。

 昭和六十年十月二十一日、歌手のフランク永井氏は首吊り自殺を図った。夫人が発見した時には既に手遅れ同然だったが、さまざまな人々の努力によって氏は一命をとりとめた。氏によると、首を吊った瞬間に呼吸困難となり、視界が一瞬真っ赤になった後、真っ黒になったという。空中に歪んだ自分の顔が見え、次第に奇妙な音が聞こえ始めた。その音は次第に大きくなり、氏は暗い穴の様なトンネルの中に吸い込まれていった。そして急に上昇し、浮遊しながら自由に壁や扉を通り抜け、下界の様子を見ることが出来たという。肉体との繋がりを断たれて柔らかい光に包まれ、再び急上昇した。ふと気づくと、平地に立っていた。前方の花園から美しい音楽とともに今は亡き肉親や友人の声が聞こえ、懐かしさと会いたい気持ちに駆られ、そちらへ歩きだした。そこには渡ると死に、引き返すと生き返るという三途の川があり、氏は何らかの力によって引き戻され、蘇生したのである。

◆花園の体験
 先のフランク永井氏の体験の中にもありましたが、臨死体験の中では、美しい花園を見るという体験も、実に多くあります。

 中岡俊哉氏は以下の様な体験をしている。終戦後も五年ほど中国大陸に残った氏は、ある日、火薬を積んだ車で移動していた。その車が突然転覆して大爆発を起こしたため、十二時間も死の世界をさまよい、その間に極楽を体験した。氏によると、そこは美しい花園で、そこにいる人々はみな楽しそうに見えたという。また橋の架かった川があり、渡ろうとすると、既に亡くなったはずの伯父たちに「渡るな」と言われ、追い返され、この世に生きて返って来たという。

◆無意識下の記憶
 臨死体験の中では、実際に臨床的には意識が無く見えていたが、実際にはその無意識の時間の中の事を、後に克明に語りだすモノも多くあります。

 東京に住む会社員の青島輝和氏は、二十六歳の時に交通事故で重傷を負い、収容された病院で臨死体験をした。氏の乗っていた車は夜中にスリップ事故を起こしてガードレールに激突し、病院に運ばれた際、氏は全身骨折で体がグチャグチャだった。気がつくと、横たわっている自分の体と、周囲の人々が自分を手当している光景を見ていたという。なお氏が語った人々の衣服や様子などは事実と一致している。医者が「もうダメだ」と言い、両親は葬式の準備を始めた。話しかけても誰も気づいてはくれず、大変腹立たしかったそうである。次の光景では、灰色の雲の中にいて、その中心に開いた深い真っ黒な穴の中に引きずり込まれていった。体が凍る様な寒さだったが、もがいても無駄だった。すると急に体が楽になり、今度は明るくて美しい自然の中を飛び跳ねていたという。そして氏は、二歳頃からその当時までの事を夢の様に思い出した。多くは楽しい事ではなく、悪い思い出だったそうである。その後、花が咲き、太陽の様な光がもっとも強くなった時に、青島氏の意識は戻った。事故から丁度三日目のことだった。

 以上が代表的な臨死体験です。
 ここでは花園や三途の川、また既に亡くなった親族との再会などを経験したとありますが、実はこの臨死体験の内容というのは、民族や文化、そして体験者の宗教によって、経験される体験に傾向性があると言われています。

 特に「三途の川」の体験というのは、日本人が経験する臨死体験に多くある傾向であって、これが欧米になると「暗闇のトンネル」「光との出会い」という内容が多くありますが、三途の川というのは日本ほど多くは無いという事もある様です。

 よく「臨死体験」とは「死後の体験」であり「死後の生命の実在」を語る上で、証拠の様に扱われる事もある様ですが、私自身はこういった臨死体験の中に、文化的・民族的な差異があるという事から、完全なる「死後の体験」では無いと考えています。(まあ私は学者でも何でもありませんが)
 文化的・民族的な差異が生じるという事は、そこには体験者がこの世界に誕生してから、後天的な環境等の影響の要素が見える事から、「臨死体験(死に臨む体験―死の直前の体験)」であり、これは「死後の世界」とは少し分離して考える必要があると思うのです。

(続く)



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