ロシアとウクライナの紛争は、何時になったら収まるのでしょうか。様々な情報によれば、ロシアのプーチン大統領は短期決戦を見込んでいたという話もありますが、今のままでは長期化する恐れもあるやに見えます。
今回のウクライナ紛争については、様々な見方があるようで、それぞれの見方により、世界では様々な論争が起きています。
そんな中で、今回のウクライナ紛争を「グレートリセットの始まり」だという話題もあるようで、具体的には以下の動画がそうでしょう。
バカは気づかない
ここでは今回の紛争で、ロシアがSWIFTから外された事。しかしロシアは以前から仮想通貨に取り組んでいるので、ロシアの原油や天然ガスの取引は、将来的には仮想通貨で行われる事。また中国でも仮想通貨に取り組みを行っていて、今後、これを機会に世界各国では自国通貨を仮想通貨に移行する事を想定しています。
そしてこの仮想通貨やNATOの拠点があるのがベルギー、またロシアのプーチン大統領はダボス会議のメンバーであり、そのダボス会議もベルギーで行われているので、今回のウクライナ紛争は「グレートリセット(世界の枠組みの大変革)」の始まりだと言っているのです。
これは良くある「陰謀論」の切り口の話題であり、内容としてはとても興味深いものだと思いますが、こういった話題は今の世界には多くあります。
例えば元イギリスの政治家なども「DS(ディープ・ステート)」について今でも情報発信をしていたり、またそれに似たような話で、トランプ大統領の時代には「Qアノン」という事の話題もありました。
要は「世界は一握りの人達に牛耳られている」という事でしょう。そしてその「一握りの人達」が富みを独占し、人類社会を操作しているという話題ですね。そしてその人類の意識操作の媒体がテレビであり、マスコミや各種報道機関であるという意見もあります。
私も個人的にはこの様な「陰謀論」というのは、大好物な部類ではあるのですが、そんな中でも「ハイヤーセルフ」とか「光の存在」、また妙にスピリチュアルな内容まで混ぜ込まれている話については、興ざめしてしまいます。
私自身、この世界は「一握りの人達」が動かしているというのは、ほぼ間違いないと思っています。具体的には一部の巨大資本を持つ一族などがそれに該当すると思います。実際、人類は「資本」に対してとても脆弱であり、それに抗する事は普通の人間には不可能ですからね。
また「宗教」も当然、その一握りの一族には入るでしょう。こちらは具体的にはローマ教皇庁が該当します。日本でも宗教団体の殆どが、過去にローマ教皇庁を表敬訪問し、「キリスト教は外道!」と言っていた創価学会でさえ、以前に池田氏の御曹司が表敬訪問して、聖教新聞でも取り上げていましたよね。やはり世界の宗教のヒエラルキーの最上位はローマ教皇庁なんでしょう。但しイスラム教は少し違うみたいですが。
この宗教というのも人間にとって大きな脆弱性である事は、以前にもこのブログでは取り上げてきました。
かつてビートルズのジョン・レノン氏は「この世界は狂人が動かしている」という発言を行い、その後、自称熱烈なファンという人物から殺害されました。
これらの事から今の人類社会を考えてみてみると、確かに人類は「一握りの人達」に操られているのは、間違いない事だと個人的には考えています。
ただこういった話題に、私は自分の人生を振り回されたくはないとも思っています。
これからも目の前には様々な社会の情勢が出てきます。これは過去にしても然りだし、これから先も様々な情勢が出てくるでしょう。そしてその情勢を「陰謀論」で解釈する論調も出てくると思います。
私にとっては、そういった時に自分自身や家族の人生の判断が必要となった際、これら「陰謀論」の中身についても自分なりに取捨択一して判断する際の一つの情報だと考えています。しかし「陰謀論」だけで判断する事は行いません。確かに今のマスコミは唾棄する様な情報が多くありますが、その中でも見るべき視点はありますし、玉石混交とも思われるネットの中の情報についても、評価し選択する事で、得るべき情報がある訳です。
今の時代、大事な事はその情報を取捨選択できる「情報リテラシー」であり、それは詰まるところ、自分自身の頭で考え判断する能力であるとも言えるでしょうし、それを常に意識して自分自身の人生を歩む事だと思うのです。
「陰謀論」を頭から全て無条件に信じてしまい、結果として振り回されるのは愚の骨頂でもあるので、そこには十分、気をつけなければなりませんよね。
私の両手を広げると、訳1メートル70センチあります。
私が幾ら頑張ったところで、自分自身で「抱え込める物事」は、この範囲のものでしかありません。であれば自分で手の届く範疇の事を大事に考え、この変化激しくなってきた人類社会の中、100年も満たない人生を生ききる事を念頭に考えていくべきだと、私なんかは考えている訳です。
また私にとって、信仰とはそんな判断する自分の心を見つめるものであり、場合によってはその心の立ち位置を決めるものだと考えています。
この「陰謀論」には様々な話題が、これからも出てくることでしょう。そしてそこには「一握りの人達」が、意図的に人々を操作するために流す事もあると思います。ただ私はそんな事に振り回される事なく、有限な時間の人生を悔いなく生き抜いていればと考えているのです。