自燈明・法燈明の考察

護憲について考えること②

 日本の国の安全保障はどうなっているのでしょうか。沖縄県の辺野古の問題についても、一番の根っこは日本という国が、明確な国の安全保障の姿を書けていないという事に問題がある様に私は思えるのです。以前にある左翼系の人に会って話をした事がありました。その人は片手に日本国憲法のプリントを持ちながら「これさえあれば、どんな事でも論破出来る」と豪語していましたが、本当にそうなのでしょうか。単に日本国憲法に寄りかかり、それを安眠枕とした平和主義が、本当の平和を未来に約束してくれると思うのでしょうか。

◆日本国憲法の理念
 日本国憲法は、太平洋戦争で辛酸を舐め、国が滅んでしまった状態の中で、当時の人々の実感の中で誕生したと思っています。だから私は安易に「アメリカから押し付けられた憲法」という評価はしたくありません。憲法の前文には、その法が制定される際の理念について語ったものが書かれてあり、それを読むと、その事を良く理解できます。

日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本という国は、明治維新以降、欧米列強に追い付け追い越せと、国が一丸となって突き進んできました。これは歴史を少しでも読めば解ります。
 当時の極東アジアは正に欧米列強の「刈り取り場」でした。「眠れる虎」と言われていた中国(清帝国)は、成は大きかったのですが、まともに抗する事もできずに、帝国列強に好き放題やられてしまいました。当時を振り返って見たら、アジアの中で白人優位の帝国列強から支配されなかったのは、日本とタイの二カ国だけ。他のアジア地域は当に植民地として、帝国列強に屈した状況でした。

 この当時の日本は何も楽をしていた訳ではなく、江戸幕府を倒し、近代国家を目指して、帝国列強の白人達からは「猿マネ国家」と揶揄されながら、庶民は重い増税と兵役にこき使われ、自由をも抑えられ耐えてきましたし、国政を預かる者達は、それぞれが日本の「自主独立」を勝ち取る為に、欧米の文化を取り入れ必死に国を作り上げて来ました。

 その結実が日清戦争や日露戦争での勝利の形であり、そこで勝ったからこそ、江戸時代以来あった不平等条約を解消する事も可能とし、日本はアジアの新国家でありながら、有色人種でも「五大国」に数えられる迄に急成長出来たと思うのです。

 しかし結果として、その戦争の勝利に溺れ、自分たちの国が常勝不敗であると錯覚して国際情勢を見誤り、その結果が太平洋戦争で亡国の憂き目に合う事になってしまいました。そして国も破れボロボロの中で、新たな国を模索した思いが、この前文に読み取れます。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 この部分は当時の日本としての決意であると思いますが、赤字で示した部分は、あまりにも理想的な内容であり、時の国際情勢を見誤っていた様に思うのです。

 日本が太平洋戦争に負けた頃から、アメリカとソビエト(現ロシア)の間では、既に冷戦の萌芽が見え始めていました。アメリカやソビエトは第二次世界大戦の戦勝国であり、当事国でしたが、戦争に勝った事ですでに次の世界戦略を互いに考えていました。そしてそこにある姿とは「平和を愛する諸国民」という事でもなければ「公正と信義」ではない事は明らかです。人類社会では有史以来、常に戦争が繰り返されており、その人類社会の中で歴史上、公正と信義だけで生き残れた国家がどれだけあったのか。そこを考えた場合、やはり日本国憲法は理想は高いのですが、そこにある事は、非現実的な理想であったと思うのです。

 そこに「われらの安全と生存を保持しようと決意した」という事は、一体どの様な事を私達日本人の上に招来してしまうのでしょうか。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 本来であれば、この日本国憲法に詠われる様な世界を人類は目指すべきであって、それを先導するのは日本という国家であれば、戦後の教育の在り方、政治の方向性なども、もっと違うものであった筈ですが、現実にはこの前文を作り上げ、自国の憲法と定めた日本自体が、「崇高な理想と目的とは程遠い国家になってしまったというのも、何かの皮肉にしか思えません。

◆今の日本の現状について
 皆さんは「横田空域」という言葉をご存知でしょうか。それは東京西部にある在日アメリカ空軍横田基地を中心に、南北で最長約300キロ、東西で最長120キロの、一都九県に及ぶ広大な空域の事を云います。高度約2450メートルから約7000メートルまでの6段階の交読文で立体的に設定され、日本の首都圏上空の領空にも関わらず航空管制権はアメリカ軍が担っているというものです。
 この空域ですが、アメリカ軍が戦闘機の訓練や輸送機の運航などに優先に使用できる空域で、民間機はアメリカ軍の許可が無ければ通過も出来ません。国家の首都圏上空の管制権(制空権)を他国が持っているというのは、世界広しと言っても日本位ではないでしょうか。またアメリカが戦時と判断した場合、この空域は完全にアメリカが管制し、首都圏上空にも関わらず日本国としての使用は出来ないものになるでしょう。

 また「日米合同委員会」という組織もあります。これは日米安保条約のもと、日米地位協定を運用するための協議機関として設立されたもので、日本側代表は外務省北米局長、アメリカ側代表は在日米軍司令部副司令官からなり、10省庁の代表から25委員会が作られている組織です。

 日本は戦後確かに平和であり、軍事よりも経済に重点を置き、一時期は経済大国として世界をけん引する立場にもなっていました。しかしそれはあくまでも「アメリカ軍の傘の下」にある国家としてであり、その日本の行政機関の中枢と、アメリカの在日米軍は強固な連携の下で日本という国は運営されてきた事を理解すべきなのです。

 この様な現実の一端を見るにつけ、護憲と「憲法九条の平和論」というものだけで、本当に戦後の日本に平和をもたらしたのか、そこについても再考が必要だと私は考えてしまうのです。


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