自燈明・法燈明の考察

日本の近代史を学ぶべき

 昨日の夜、私用で関東北部の地方都市を通りました。普段は飲み屋街等で、夜の九時頃であれば、多くの人で賑わっている街中の繁華街も、まるでゴーストタウンの様に人がおらず、空を見上げると大きめの月が煌々と光ってました。

 こんな景色は見たことない。

 率直な私の感想でしたが、今の日本に武漢肺炎の恐怖というのは、大きく覆いかぶさっている事を実感しました。

 さて、我が家の娘(高校生)が、先日の安倍総理の緊急事態宣言の後、東京都と政府の間で自習業種に折り合いがつかず、結果として自粛要請が遅れている事に怒りを覚えてました。

「早く自粛させないと、危ないんじゃないの?」

 この仰せ、誠にごもっともなのですが、今の日本という国は、そういう事がまるで出来ない国だと言うのを説明、娘は憮然とした表情でした。

 この時期、Twitterでは「安倍総理!退陣」とか、「安倍総理が日本の最大の災害!」という声も多くあり、その対案の様に、他の与党代表や様々な政治家の名前が挙がっていたりしますが、そんな頭を挿げ替えただけでは、この日本は変わりはしません。

 これ、私が常に考えている事です。

 確かに安倍総理やその閣僚の不甲斐なさは、目に余るモノがあります。変えたほうが多少改善するかもしれません。しかし恐らく結果としては、より日本は混迷の度を増すように思うのです。
 この事は前の記事にも書きましたが、要は江戸幕府の時から連綿と続いている日本の官僚機構自体、大きな問題を孕んでいるからです。しかし一方で、この官僚機構というのは、それなりにノウハウや処理能力を持っているという事実もあります。

 大事なことは、この日本の官僚機構を従えるだけの政治家が、今の日本には居ないと言う事が最大の悲劇であり、その政治家のレベルの低さは、即ち日本人の政治意識の低さを現しているのです。
 つまるところ日本人社会の政治意識が変わらない限り、いま日本に現れているこういう政治家の不甲斐なさに起因する問題は、解決する事はないでしょう。

 ではこの日本人の政治意識を変えるには、どの様な事が必要なのか。そこを突き詰めて考えていった時、私は最終的に「教育」という事に突き当たりました。やはり国の未来を担う世代に対して、日本社会はこの教育に対して真摯に向き合う必要があると思うのです。

◆あまりのもお座なりな近代史教育
 この教育で大事な「科目」として、私は歴史教育があると思います。それは日本という国が、この人類社会の中で、どの様な行動を取ってきたのか、そしてそれは如何なる理由によって、その行動を取ってきたのか。そこを後世の若い世代に伝えない限り、やはり若い世代の目というのは、政治には向かないと思うのです。

 私の世代、日本の近代史については殆ど教わる事がありませんでした。教えられた事と言えば、さしずめ以下の様な事でした。

 ・戦前の日本は軍部政府の下、国民は虐げられてきた。
 ・日本は太平洋戦争で、中国や韓国の人達に、大きな迷惑をかけてきた。
 ・だから日本はアメリカに負けて当然
 ・日本は戦前に間違った教育をされてきた。
 ・そんな日本が戦後に制定した憲法は素晴らしいものだ
 ・戦争は絶対悪である

 私の記憶する限り、小学校から中学校にかけて、社会で教わってきたのは、そんな程度の事でした。そこでは、近代国家としての日本がどの様に作られ成立したのか、日清・日露戦争とは何だったのか、第一次世界大戦とは、太平洋戦争は何故起きたのか、等など。要は近代史の中での日本という国の振る舞いを一切教わらず、今から思えば日教組の教員たちから適当に教わってきた記憶しか無いのです。

 こんな教育を受けていたら、そもそも日本という国に対しての公共心も養われなければ、日本人という、自分達の民族の事も理解しませんし、ひいては国という概念も持つことは出来ません。

 実はこういう事について、考えるきっかけを私に与えたのは、「坂の上の雲」「龍馬伝」「翔ぶが如く」「日本の一番長い日」と言った、近年になり世に出されたドラマでした。私は四十代を過ぎてからこれらドラマを観て、その原作本や関連する書籍を読み、幾つかの歴史本を読む事で、漸く日本の国の近代史について理解する事が出来たのです。

◆歴史は正確なものではない
 むろんこういった歴史というのは正確なモノではありません。歴史的な事実があったとして、それらを組み合わせて、どの様な歴史的な真実を語るのか。そこには語り部の歴史観や哲学・思想というのが、深く関係してきます。

「事実と真実は違う」

 これは歴史を語る上で良く言われる事で、大抵の歴史と言うのは「勝者の歴史」と言われる様に、敗者の考え方、想い等と言うものは、それこそ歴史の波間に消えてしまうものです。

 しかし歴史に触れる事で、一人ひとりがそういう事に思いを馳せるキッカケを作る事ができますし、そこから過去の先人たちの思いと言う事も理解する事が出来るはずです。私が「日本の近代史を学ぶ事が必要」と言うのも、若い人達には、そういう時間というのがとても大事なのでは無いかと思うからです。

「心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云」
(開目抄下)

 日蓮は、心地観経にある言葉を引用し語ってますが、現在の結果としての姿を理解するには、過去の原因を見なくてはいけません。

 安倍総理が不甲斐ないと言っても、やはりその根っこを認識できない限り、根本的な改善は望むべくもなく、結果として上滑りしてしまうのが落ちというもの。そしてこの根っこを見ることが、日本の近代史を学ぶ事だと思うのです。

◆世界を語る前に自国を知る
 もちろん理想は「国」とか「民族」を語らずに、人類とか世界の事を語れれば、それにこした事はありません。しかし現実に今の人類社会は、国家とか民族とかの単位で構成されており、未だ人類社会という視点に立てるレベルには達していません。だから先ずは自分達の民族や国家という事を理解して、その上でその国際社会や国家の政治に関与していかなければならないのです。

 私は長年に渡り創価学会に関与してきました。そこでは「地球民族主義」とか「世界平和」とか「人間主義」という美辞麗句を数多く聞いてきました。しかしそれらの言葉の根っこが固まっていない事から、結果として今の醜態が現れている訳ですね。

 世界を語るなら、今の人類社会の中で、自国と民族について考えるべきであり、その為にも近代史を学ぶ事が、今一番重要な事だと、私は思いますよ。



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