徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2017 日光和楽踊り

2017-08-06 22:45:38 | 日光
2017 8/4 日光市清滝 古河電気工業(株)

日光の古河電工の日光和楽踊りに初めて行った。 日光和楽踊りは栃木県の他の地区の盆踊りでもやぐらを組んで円を組んで踊っていた。
今は自分の地区は盆踊り大会はなくなってしまった。

工場の敷地内に初めて入る。長い歴史のある工場。 会場までの入口は露店が並び、人出が凄かった


今はLEDの電飾が主流

華麗なイルミネーションのもと、和楽池の周りを老若男女が浴衣で踊ります。


この歴史ある事業所は足尾銅山に起因し、採掘した銅の鉱石を精錬した粗銅から、純度99・99%の電気銅を作ったのが日光事業所の始まりで・・
日光電気精銅所と呼ばれた
「精銅所」は操業が始まった明治39年6月(1906年)「足尾銅山日光電気精銅所」と命名され、大正9年古河鉱業(株)日光電気精銅所と横浜電線(株)が合併し、古河電気工業(株)が設立され、「古河電気工業(株)日光電気精銅所」が正式な名称となった。
それ以来昭和63年(1988年)「分銅」の操業が停止され、生産品目が多様化し「精銅所」では名が体を表わさなくなり、「日光事業所」と変更した。(足尾での銅の採掘は昭和48年で終わった。以後、輸入銅を中心に分銅工場は操業を続けた。)
現在創業114年


100年以上の歴史を持つ「和楽踊」は・・・大正2年9月に大正天皇と貞明皇后が古河電工日光事務所を訪問されました。当時、天皇が民間企業を訪問されるのは初めてのことであり、その大任を果たした夜、会社・所員の祝賀の席で自然発生的に歌い踊られたのが、日光和楽踊り発祥の由来とされています。発祥当初は従業員の慰労のためのものでしたが、現在では多くの市民が参加し、日光夏の風物詩の一つとなっている。



和楽とは、当時の精銅所精神の3項目のうちの1つ、「協楽の精神」からとられているという事です。
踊りは、当初、石投げ踊り、手踊り、笠踊りの三種類がありました。石投げ踊りは銅山の採鉱者たちの動作をもとにしたもの、手踊り、笠踊りは当時周辺地域で普通に踊られていた盆踊りからとったものということです。現在、手踊りと笠踊りが中心に踊られています。






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