自転車ライドのハプニングで、JR文挟駅まで歩いて戻る途中。道標と見られる石碑を偶然発見。
例幣使街道と文挟街道の突き当たりの場所で。 普段は通り過ぎて目にすることもない。古い道標なのだろうか?
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。
なお、楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通である。地元(栃木県鹿沼市~日光市)では現在もこの区間(国道293号~国道121号)を「例幣使街道」と呼んでいる。この区間にも日光杉並木が現存する。
建立年など記載はない。 しかし何となく興味津々である
例幣使街道と文挟街道の突き当たりの場所で。 普段は通り過ぎて目にすることもない。古い道標なのだろうか?
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。中山道の倉賀野宿を起点として、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。
なお、楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と共通である。地元(栃木県鹿沼市~日光市)では現在もこの区間(国道293号~国道121号)を「例幣使街道」と呼んでいる。この区間にも日光杉並木が現存する。
建立年など記載はない。 しかし何となく興味津々である
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