唐獅子図屏風は現在は屏風ですが、もとは壁絵などだったと思われます。ふつうの屏風よりもずっと大きいサイズです。
その大きな画面いっぱいに、中国風の獅子(ライオン)が二頭、ゆったりと歩いています。
「おれたちになにも恐れるものはない」といった風情です。
このような絵はその前にもその後にも描かれませんでした。
作者は狩野永徳と画面の狩野探幽の極め(鑑定)が書いています。永徳以外考えられないというのが、多くの意見です。
永徳は、なにを考えて、このような絵を描いたのでしょう。
注文主はこの獅子のような気持ちの人物・・・というと永徳の時代では、豊臣秀吉以外には考えにくいと思います。
この屏風は毛利家に伝わりました。秀吉が毛利を攻めて、その和睦のために与えたと伝えられています。
でも、美術史家は永徳のもっとのちの作風だと考えています。秀吉は大坂城、京都の聚楽第と大きな城を作りました。大坂城はのちに焼かれてしまいました。聚楽第は後継者としていた豊臣秀次に与えたのですが、謀反を理由に秀次を処刑するとともに聚楽第を破壊しました。
一部は諸侯がもらい受けたとも聞きます。
もしかすると聚楽第の広間を飾ったものではないでしょうか。聚楽第は贅をつくした究極の建物であったようです。この世のすべてを手にした王者の気持ちを反映している気がします。
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