飛鳥浄御原宮址 (借用)
中大兄皇子は天智天皇となり、大津宮を都にします。
天皇が蒲生野へ量に遊んだ時、妃 額田王が詠んだ歌(万葉集)
茜さす紫のゆき標野ゆき 野守はみずや君が袖ふる
大海人皇子の返答歌
むらさきのにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに吾恋ひめやも
そして天智天皇の
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなるらし いにしへも 然なれこそ 現身も 妻をあらそふらしき
つまり額田王をめぐって、兄弟で争ったことが壬申の乱の遠因とする説があります。(ただし人に隠すようなことであれば、歌に残さないでしょう。)
天智天皇の子、大友皇子は「魁岸奇偉 風範弘深 眼中に精耀あり、顧盼煒燁(こへんいよう)」(よくわからないが、際立った容貌らしい)といい、美貌の優秀な人物であったようだ。
そして、大海人皇子も皇族、廷臣の間で人望が大きかった。どちらも優れた人物であった。
大友皇子は朝廷の軍勢の精鋭をもちいて、大海人皇子は在野の軍勢で立ち向かうという不利な態勢であった。大友軍は内部の不和などから大海人軍の勝利となる。
大海人皇子は天武天皇として即位する。
大化の改新は壬申の乱を経ることにより成就した(直木孝次郎)といわれる。
叔父甥による権力抗争によって、天皇の地位が確立していくということだそうですが、せつないことですね。
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