高千穂峡(画像お借りしました)
日本の歴史を最初に編んだ『古事記』は誰でも知っているけれど、実際に本文を読んだ人は少ないのではないでしょうか?
「とても表記が難しくて読めない」と思うのが普通ですね。現代語訳?のような文章で読むことが出来ます。
でも、いかにも神話という内容で、昔の人もずっと扱いに困っていたようです。
それを真正面から扱ったのは江戸時代の本居宣長と言われます。
しかし、私はその宣長の文章も難しくて読めないので、小林秀雄の『本居宣長』のなかの説明を読む程度です。
それでも「古事記の言葉は歌と同じ」、それは言葉の理知的な面だけでなく、心情をあらわす面を味わなければならない、など初めて言葉で綴られた歴史の表現の理解はなかなか困難です。
それでも現代の「史実」とはなにか?を考えさせられます。『古事記』の内容は「史実」ではありませんが、どこかに「心」を残しているのではないか、それは「神」であった古き人々の「歴史」であるかもしれません。
歴史の教科書で多くの文献が紹介されますが、読むことは少ないですね。
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