鹿苑寺(ろくおんじ) 金閣
中世(鎌倉時代~室町時代)の建造物の中で、もっともよく出題されます。誰もが知っている金閣(以前は金閣寺と言っていましたが、北山鹿苑寺という相国寺の関連のお寺です。相国寺のHPに金閣寺と載っているのでそう呼んでも良いのでしょう)。
壁や軒に金箔がくまなく張られて、まさに金に輝く建築です。
3階は釈迦の骨(舎利)はまつられている禅宗建築様式、2階は武家屋敷、1階は平安時代の寝殿造りの様式とさまざまな様式を織り交ぜています。
もとは西園寺邸という貴族の館だったのを改装したためと思われますが、金箔張りは足利義満の趣味であったと思います。
義満は中国明との貿易を盛んに行い、すぐれた美術品なども集めました。
この金閣と比較されるのが、銀閣ですね。
八代将軍足利義政が東山に建てた建築は、2階建てですが、金箔も張らず、質素な印象です。その敷地にある東求堂の同仁斎という部屋は書院造という書斎の様式です。
将軍が勉強部屋にいるのか?
と思うかもしれませんが、中国の文人文化にならって、ただものを集めるのではなく、詩を読み、絵に親しむという生活を行ったものです。
そこに書画や工芸品を飾り、花を生けるという習慣が出来たと思います。
東求堂 同仁斎
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